亡くなられたとのこと、驚いたね(平凡でゴメン)、吉田直哉元ディレクター(太閤記)の直後というのも何かの因縁かも。
いや太閤記ってのはしょーもないドラマだったのだ、拳さんの他に高橋幸治、藤村志保、石坂浩二(佐藤慶もかな?)を世に出した功績は大きいし(私にとっては川津さんに会わせてくれた記念すべき番組だし)、出だしは確かになかなかよかったんだが、途中で完全に緊張感を失って惰性で続けてるだけになった、札束番組とそしられ続けた「赤穂浪士」のアンチテーゼとして新鮮なドラマ作りを心がけたつもりだったんだろうけど、ドラマ作法なんてそうそう変わったことができるわけはない、結局キャストにはかなりの金をかけてたし(それが必ずしもいかんとは言わない、浪花千栄子=大政所なんてたいした存在感だった)、高橋信長人気に引っ張られてとうとう10月にズレ込んでしまった本能寺の規模ばかり大きい盛り上がりのなさは見事に討入りの轍を踏んでいた、しかもその後強引に死ぬまでの事件を押し込んで、最終回は全然大団円に(たぶん小団円-北杜夫さんの言-にすら)なってなかった、そら主人公が死ねばどんなドラマだってオワリだけど、自分の子供(秀頼)の将来を心配してそのことだけを言いながら死んじゃう、その時期、朝鮮では戦争が泥沼にはまってるなんてこと、本人(?)も台本作者もディレクターもキレイスッパリ忘れてたろうよ(もちろん視聴者も忘れてた、考えてみればよく最後までつきあったよな、川津さん-これまたヒドかったが-のファンだったという以外に何か事情あったかしらん?)
今のお子様番組が緊密な構成(時に破綻はあるものの)とスリリングな展開で視聴者を引っ張り続けてるのとはエライ違いだった、これってやっぱ録画されて細かいとこまでチェキされる作品と一回限りで銀河の彼方へ飛んでっちゃう作品の違い-というかTVドラマというジャンルが40年かけて確実に「残るもの」へと進歩したことを意味してるんだよね、何でもかんでも昔がよかったということはない。事件記者ほどの番組は今も昔もなかったと信じてる私だがこの一件は認めざるをえないのだった・・・・
ともあれそんなTVの歴史を体現されたとも言えるお二人、お疲れ様でした、アーメン