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事件記者のページ

遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

海ゆかば

2024-08-27 18:32:55 | 音楽
團さんによれば作曲家信時潔のもっともすぐれた作品とのこと、信時は軍歌を1つも書かなかった、これも軍のために作ったのではない、放送局に頼まれたんださうである、何で家持の歌が選ばれたのかそれはナゾ、こんな歌である、作者が家持だということはいつの頃からか知ってたのだが長歌全編は実を言うと私も今初めて聞いた、メロディーのせいかどっか悲しい響きを感じてた気がするのだが家持は別にそんなつもりなかったみたいだね

さて作家古山高麗雄が芥川賞を取った時私は早速文春で受賞作を読んだ、選考委員はユーモアを評価してのだがさほど面白いと思わなかった、ただ
「僕らも歌おうじゃないか、海に河馬、みみずく馬鹿ね
なる1行には大笑い、だがこれ戦中派にはまるでウケなかった、オヤジは何も言わなかった(子供てのは何でこんなしょーもないモノ面白がるかなあとたぶん思ってた)しオフクロは大真面目で
山にも河馬、草も馬鹿ね」・・・さう続けられると何か全然おかしくないかも
芥川賞って戦争と青春に甘いのよにゃ、それがだうしたって実はそんだけ

話変わって有吉佐和子の「連舞」電子版買ってあったの忘れてた(と五七五)タハハのハ
戦況いよいよ悪化してヒロインたち(日本舞踊の師匠と2人の娘)は工場へ慰問に行くことになった、そん時の出し物というのが「出征兵士を送る歌(我が大君に召されたるというヤツ、朝ドラでしょっちゅう歌われてたから私も知ってる)」「海ゆかば」「隣組の唄」・・・つまり当時まだ作られたばかしの曲どもなのである、それまでもっぱら古典を踊ってた彼女らにとっちゃ「何それ?」なシロモノだったハズ、とにかく威勢のいいヒトだったお母さんがすっかり無口になってガクッと老け込んじゃったとのこと、そら当然だわにゃ、日舞のことなんか全くわからんけどでも今さらながら「海ゆかば」ってどんな踊だったんだか・・・それがだうしたって実はそんだけ

正直爺さんのナゾ

2024-08-26 14:43:09 | 音楽
「はなさかじじい」の出だしは「うらのはたけでポチがなく」だが私はこの歌を自分で歌った記憶がないので犬がポチなのかシロなのか長らく知らなかった、ある時週刊誌(たぶん週刊朝日)で「犬の名前がポチとはいったいいつの話だ?」とつっこんでるヒトがいたので「確かにポチは変かもな」と思った
團さんによればこれはポチだからいいのでポチだったから当時(明治34年)の子供にウケたのだとのこと、さう言われたらさうですかとしか言いやうがにゃいが・・・

昔学生だった頃同級の男の子が「正直爺さんポチ連れて」と歌っていた、私は「え、爺さんポチ連れてどこ行ったの?」とは訊かなかった、彼の歌は「ポチ連れ敵は幾万ありとてもしもしかーかーからすがはとぽっぽ」とあらぬ方向へ行ってしまって正直爺さんは戻って来なかったのだ、いや戻って来ることは来たのだが・・・(後半に続く)

ちょっと後にオーケストラ部の合宿で年下の女の子たちがトランプゲームをやりながら「正直爺さんポチ連れて」と歌っていた、何でもジョーカーを引いたらさう歌わなくてはいけないというルールださうで彼女らの歌には続きがないらしかった、何か昭和40年代後半の名古屋では正直爺さんがポチを連れてたのである、いったいどこへ行ったんだか・・・

さてそれからざっと50年が過ぎた今年になって團さんのおかげで我が家に鳩ぽっぽがやって来た(正確にはとっくに来てたモノが表に現れた、こちら)
あっと思ったその時大昔の正直爺さんがつながったのである「はとぽっぽっぽぽっぽととんであそべらぼーでこんちきしょーでやっつけろ、さつきのこいのふきながしょーじきじいさんポチつれて・・・」私は鳩ぽっぽの歌を知らなかったからその1行が記憶から抜け落ちたのだった

検索してみるとけっこうポピュラーな歌らしい、こちらでは
敵は幾万ありとて「ももからうまれた」もしもしかーかー
とのこと、ラストは
あ、なんて長いんでしょーじきじいさんポチつれて・・・
この行も昔の歌に入ってたのかもわからん、けど思い出せぬ
で結局疑問は疑問のまま、爺さん(とポチ)はどこへ行ったんだろ?

追記ーともあれあの頃できた歌じゃないみたいね、もうちょっといやけっこう前からあった、あの同級生に今度同窓会で会った時忘れてなかったら訊いてみやう、あの歌いったいどっから仕入れたの?確か彼ワンゲル部員だったと思うんだよにゃん・・・

抜刀隊

2024-08-25 16:30:03 | 音楽
こちらで動画をどうぞ、歌も歌だがフィルムがスゴいと戦後人種は思う
團さんはこの本で軍歌寮歌を扱わないとおっしゃってるのだがそこは例外もあってこれと「海ゆかば」と「軍艦行進曲」を論じておられる、いずれも否定的ではない、特にこの歌「抜刀隊」は日本語を解さないフランス人が作曲したこともあってむずかしい、それでも観兵式の度に演奏されてだんだんと一般人にもなじまれるようになっていった、戦時中はドイツとイタリアの曲以外演奏してはいけないことになっていた(そっかその2国はよかったんだ、めでたいにゃ)が観兵式ができんくなっちゃマズイから誰が作曲したのか言わないことにして使い続けた、陸軍は臨機応変だったのだとのことアハハハ(笑いごとじゃないのかもしれんが)

そっか、けど私は知らんかったのよにゃ「海ゆかば」はよくオクフロが歌ってたし軍艦行進曲を(歌詞はともかくメロディを)知らんヒトはまずおるまい、けどこれはホントにむつかしいよ、うまく写ってないけどラストの3行は(それまでマイナーだったのが)シャープ3つのイ長調に転調してて特に音程とりにくい、クラならA管に持替えるとこだ、いやそん頃だってクラはあったに決まってるけどA管はあったのかしらん?そも分列行進しながら吹くんだから持替えの楽器を持てるわけはなし、何とかシャープ5つでやってたんだろにゃ、やれんことはにゃい、バスクラではやったんだから、あれ何の話?

と書き始めたらどんどん話がそれちゃった、言いたいことは團さんがこの曲をカルメン2幕の「山賊の歌」に似てるとおっしゃってることで、え?さう言えば山賊の合唱確かにあるわにゃ、はて似てるかにゃん?と思ったら堀内敬三は「兵士の歌」だと言ってるとのこと、そっか「竜騎兵の歌」(ドンホセのソロ、つかアカペラ)だね、そんなら一応納得、似てないことはないかもにゃ

メロディが似てるかだうかの判断はけっこうむつかしい、團さんによれば鉄道唱歌の出だしはロッホローモンドに似てるとのこと、そっかねー・・・

「知床旅情」は「早春賦」に似ている、けど出だしだけ、そんなんいくらでもあること(と團さん)これ森繁が作ったんだってね、紅白でも聴いたのに知らんかった、初めて聞いた、あれ何の話?

追記ー抜刀隊に似てるのは竜騎兵であって山賊じゃないと何で誰もつっこまんかったのか、フシギと言えばフシギだが私みたいにまともに知ってるオペラが1つしかない(しかも諸般の事情でその主人公にベタボレの)人間ならともかく山ほどオペラを知ってるヒトにとっちゃ「あー何かこんなメロディーどっかにあったよにゃ、カルメンの2幕か3幕だった?」になっちゃうのもしゃーないことかもにゃ

8/26追記ー考えてみれば(みんくても)時は明治18年、19世紀も末である、クラのA管がなかったわけはない、最初っからinAのフラット3つで書いてあったに決まってるわにゃ、後半の3行inAにしたら(ってつまり3度上げたら)シャープが消えてみごとに歌いやすくなった、ただこの曲クラが目立つとこなんてまずなさげであるのよにゃ

鳩ポッポのナゾ

2024-08-24 18:38:51 | 音楽
團伊玖磨「好きな歌嫌いな歌
何でこの本が出て来たかということはまたいずれ(書かないかもしれない)Azonが古書を置いてたのでクリックしたら即届いた、改めて知らない歌が多いのよにゃ、昔の歌は知らんくて当たり前かもわからんけどほぼ同世代の荒井ユーミンや上条恒彦も知らない、あの頃けっこうラジオから聞こえてたハズなんだがにゃ

ということは全然関係なく滝廉太郎の「鳩ポッポ」も知らないのである、作詞者の東くめさんは私が子供の頃まだご健在で何かこの歌を記念するイベントに参加されたというニュースをTVでやった、そん時子供たちが歌ってるのを聴いたハズなのだが全然メロディが印象に残ってない、自分の知ってる「ポッポッポ鳩ポッポ」とは別の歌があるのだにゃと思ったきりついに今日まで知らずじまいなのである、聴こうと思えばどっかで聴けるんだらうがまあユーミンや上條を先にするかなと

さて話は全然変わって昭和40年代前半放送のお子様番組「ひょっこりひょうたん島」ある時(POP^2O)^2810POP^2Oなる文字列が出て来て博士がこれを「ポッポポッポハトポッポ」と解読する、何とこれ「魔女がヒトのハートを抜き取る呪文」という設定だったのだ、博士に自白剤を飲ませてこれを聞き出した魔女たち早速ハート抜き取りを企むのだがそん時黒柳徹子さん演じる魔女いわく「相手の眼をみつめてポッポッポハートポッポって言えばいいんでしょー」
あのさ徹子さんそれ歌が違うと思うよとそん時の中学生視聴者は思わなかった、けど博士が言ったのと微妙に違うんでないの?とは思った、その後いろいろあって(忘れた)この呪文がハート抜き取りに使われることはついになかったからこれがネタだったかだうかはわからずじまいだったのだが・・・

なんて言ってるより今の世の中聴いた方が早いやね(こちら)そっか「鳩ポッポ、ポッポポッポと」だったんだ、改めて私はメロディ記憶能力ゼロだにゃん