11代垂仁天皇の后sはサホヒメ、ヒコイマス王の娘なら9代ワカヤマトネコヒコ天皇の孫ではありえない、だが孫ではなく皇女という可能性は否定されないから右側ではそういうことにした
15代応神天皇ことホムチワケ王の后jはズバリ神功皇后である、祖父がヒコイマス王ではないようだから9代天皇の曾孫という素性を全否定する理由もない、どうして仲哀天皇ではなく応神天皇の后なのかと言えば九州の海岸で皇子を生んだという記事が何ともインプレッシブで全否定するに忍びない(歴史学者という人種はこの手のエピソードをオトギ話と決めつけるのが商売なわけであるが)その時生まれた皇子は諸般の事情で応神天皇ではありえずとなれば聖帝の誉れ高い16代仁徳天皇というのが一番ありそうで(どうせなさそうだというヒトばかしだとは思うけど)応神/仁徳はマチガイなく親子なのだから(DNA鑑定はやってないけど)応神天皇の后は神功皇后しかないのである(何で誰もそう言わんのかにゃん?)
仁徳天皇の后iはソツビコsの娘イワノヒメ、ソツビコの父tはタケウチスクネである、スクネの父ヒコフツオシ王はただそのためにのみ記される名前だけの存在だから逆に8代天皇の皇子という素性を疑う理由がない(存在自体を疑う理由大ありと思うヒトが多いだろうが)、さらに日本書紀はスクネを13代成務天皇と同年と記す、天皇と全く世代数が合っていないが故に怪しくない、このヒトは古代には珍しく系譜通りの人物であるとしてマチガイないと思う(マチガイ大ありと主張するヒトの方が多いことはよーく知ってるが)
だが・・・逆にスクネとソツビコの親子関係は怪しい(これ宝賀氏は全く疑っておられないのだが)、スクネは誰と結婚したのかもわからんのに子供だけが9人もいるって何か不自然、それにこの男が成務天皇と同年ならホムチワケ王の応神天皇ともほぼ同年代のハズで仁徳天皇の「最初の」后はその孫より娘の方が年代的に合うのじゃないか、神功皇后が9代天皇の曾孫ならイワノヒメは8代天皇の曾孫、皇后として適格な女性であった、と結局さういうことになるのかにゃ
イワノヒメ又の名ノノイロメ=タケウチスクネの娘、この女性は応神天皇の后として記載があり生んだ皇子はイザノマワカ王、この皇子が実は17代履中天皇(イザホワケ)じゃなかろうかと前に思ったことがある、これなら倭王珍=履中は倭王讃=仁徳の弟ということになって向こうの記録と合うものね、ここでイワノヒメとノノイロメが実は同一人物、仁徳天皇は父天皇の若い后を自分の皇后に迎えたのであれば・・・二代の后、別にこれあってもよいのじゃない?何かしょーもないことをみつけちゃったにゃん
15代応神天皇ことホムチワケ王の后jはズバリ神功皇后である、祖父がヒコイマス王ではないようだから9代天皇の曾孫という素性を全否定する理由もない、どうして仲哀天皇ではなく応神天皇の后なのかと言えば九州の海岸で皇子を生んだという記事が何ともインプレッシブで全否定するに忍びない(歴史学者という人種はこの手のエピソードをオトギ話と決めつけるのが商売なわけであるが)その時生まれた皇子は諸般の事情で応神天皇ではありえずとなれば聖帝の誉れ高い16代仁徳天皇というのが一番ありそうで(どうせなさそうだというヒトばかしだとは思うけど)応神/仁徳はマチガイなく親子なのだから(DNA鑑定はやってないけど)応神天皇の后は神功皇后しかないのである(何で誰もそう言わんのかにゃん?)
仁徳天皇の后iはソツビコsの娘イワノヒメ、ソツビコの父tはタケウチスクネである、スクネの父ヒコフツオシ王はただそのためにのみ記される名前だけの存在だから逆に8代天皇の皇子という素性を疑う理由がない(存在自体を疑う理由大ありと思うヒトが多いだろうが)、さらに日本書紀はスクネを13代成務天皇と同年と記す、天皇と全く世代数が合っていないが故に怪しくない、このヒトは古代には珍しく系譜通りの人物であるとしてマチガイないと思う(マチガイ大ありと主張するヒトの方が多いことはよーく知ってるが)
だが・・・逆にスクネとソツビコの親子関係は怪しい(これ宝賀氏は全く疑っておられないのだが)、スクネは誰と結婚したのかもわからんのに子供だけが9人もいるって何か不自然、それにこの男が成務天皇と同年ならホムチワケ王の応神天皇ともほぼ同年代のハズで仁徳天皇の「最初の」后はその孫より娘の方が年代的に合うのじゃないか、神功皇后が9代天皇の曾孫ならイワノヒメは8代天皇の曾孫、皇后として適格な女性であった、と結局さういうことになるのかにゃ
イワノヒメ又の名ノノイロメ=タケウチスクネの娘、この女性は応神天皇の后として記載があり生んだ皇子はイザノマワカ王、この皇子が実は17代履中天皇(イザホワケ)じゃなかろうかと前に思ったことがある、これなら倭王珍=履中は倭王讃=仁徳の弟ということになって向こうの記録と合うものね、ここでイワノヒメとノノイロメが実は同一人物、仁徳天皇は父天皇の若い后を自分の皇后に迎えたのであれば・・・二代の后、別にこれあってもよいのじゃない?何かしょーもないことをみつけちゃったにゃん