路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

あざやかに歳月老いて帰路翳る

2011年10月12日 | Weblog

 朝晩はめっきり寒い。焚く火の匂いばかりが懐かしい。

             

 ホヰットマン詩集『草の葉』有島武郎訳(昭和21年5月 富岳本社)
 ワルト・ホヰットマン原著 有島武郎訳著『草の葉 Ⅱ』(昭和22年7月 富岳本社)
 定価が前者が10円なのに1年後の後者は35円。(ページ数は176ページと193ページ)1年間で3.5倍というのは当時のインフレを物語るもの、としていいのかどうか。ちなみに日本の古本屋で検索したら、前者が1冊出ていて、4500円ついていた。

 中は読んでない。ホイットマンにも有島武郎にも詳しくない。ただ気にはなる。藤田省三は白樺派の中で有島のみを唯一評価していたような記憶があるが、違うかもしれない。有島とホイットマンは対みたいなところがあって、大正期有島の周囲に集った若者たち(大仏次郎とか谷川徹三とか)が作った組織の名前が、草の葉会だった。
 それだけでなく、たとえば今井信雄『「白樺」の周辺』によれば、大正十年、長野県のホイットマン愛好家たちにより、草の葉会、が結成され、ホイットマンならば有島だろう、ということで有島が講師として招聘されそれがやがて白樺運動へとつながる、というようなこともあったらしい。こちらは最初にホイットマンであとから白樺、というわけだ。ともかく、大正期文化を考えるうえで、ホイットマンの影響は無視できない。

             

 ただし、今回入手したのは戦後すぐの出版のもの。このころは教養主義が一時的に復活した時期だから、それにあわせてホイットマンも蘇ったということでいいのかどうか。富岳本社という出版元もよくわからない。
 ただ、奥付には検印紙が貼ってあって、有島、の捺印がされてある。いうまでもなく有島本人は大正12年に波多野秋子と心中して果てているから、こういうのは子孫が捺しているわけだろうか。となると長男で二枚目俳優の森雅之か。まあ、どうでもいいか。ちなみに、前記二冊で有島の印は全然違うもの。さらにちなみに、有島の亡妻は陸軍大将神尾光臣の娘で、神尾家は有島の三男が継承したらしい。
 ともかく、有島武郎、ちょっと読んでみるか。(たぶん読まないけど。)