路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

花嫁を柏陽越しに北秋天

2011年10月09日 | Weblog

 いつもどおり5時過ぎには目覚めて、ゆっくり風呂に入る。
 朝飯まで時間があるから散歩に。犀川は遠そうなので、あさの川を目指す。朝のせいか車がどれもけっこうなスピードで飛ばしていく。だけど、カンペキ都会である。どこにでもある都会の風景。浅野川にはそれなりについて、橋の隅で深呼吸。鷺らしき鳥を遠方で写メしたらさすが新品、それなりに写った。
 その後駅周辺をグルグルしてホテルへ。
                     

 で、本日の視察(?)最初は21世紀美術館。なんか立地はいいところだな。学芸員のひとの話を聞いた後、グルッと一巡しました。一巡しましたが、現代美術でしたなあ。現代美術でしたが、開館7年目にして何百万人だか何千万人だかの入場者があるらしい。この日も老若男女いっぱいでした。しかし、このようなハコモノがあって、その中によくわからん(失礼)現代美術があるものをしっかり維持運営できるというのは、やはり金沢という土地の地力、もしくは民度、というものに他ならないのだろう。他の町では不可能である。そのあたりは心底からの敬意を表するものであります。
 売店で、ブルーノ・タウト『忘れられた日本』中公文庫と、ロラン・バルト『表徴の帝国』ちくま学芸文庫を買いました。

 そのあと、バスで風情アル町並みを抜けて、金箔資料館へ。ご当地伝統技術でありますが、最初の館長さんのオハナシが長くて参観はザッと。かわいらしい学芸員のお嬢さんが朗らかな声で説明してくださる中を朗らかに一巡。この資料館に冠せられている、資料を収集寄付された方の名前が、I波書店(ってあからさま)の元社長と同じで、その人は金沢の金箔師の倅です、ということだったので、学芸員さんに聞いてみたら、やっぱり親子だった。どうでもいいけど。
 出てきたら、法被姿の豆腐屋さんが鐘ならしながら、あれはなんて云うんだろう、荷車みたいな木箱を引いて家々を御用聞きしていた。さすがな風情。

                    

 というわけで、今回の出張はおしまい。お土産買って、昼飯食べて、さあ帰るべ、と思っていたら、同行諸氏が兼六園でも行きましょう、と言う。おいおいマジかよ、ということなのですけれど、同行金持ちオバサンが、この前来たとき兼六園の川だか池だかに並べられてる石の配列がとっても気に入って、その意味が知りたいとズット思ってたの、とおっしゃるので、ハアそうすか、ということになる。

 兼六園はデカイ庭だな。松がいっぱいあったぞ。草ちゃんと取ってあった。池に突き出した月見の部屋(?)のぞいたけど、アレ最近のだな。蛍光灯ついてたし。というのが感想でございます。でも、職人さんや市の職員らしき人がたくさん入って川浚いやら草取りやらしていた。維持費だけでも大変だな。金持ちオバサンに連れられて、ホラこれこれと、川の底に並んでる石見て、オバサンがそこで作業してる庭師のお爺さんに、これはどんな謂れが?みたいに聞いたら、お爺さん、首をかしげてサア特に意味は無いかと、とお答えに。

 それにしても二日間快晴。正直言えば、金沢は好印象でありました。機会があったらまた来たいと思ったことでした。
 石川門の前では、秋の柔らかな日差しの中、金襴緞子の花嫁さんが記念写真を撮っていて、周りを花婿はじめ関係者、さらには関係ねえだろ観光客が取り囲んでさかんに写メしておりましたが、花嫁さんがぜんぜん恥らうふうでもなく、堂々と笑っておられたのが印象的でした。

                      

 で、ついでに金沢ですけど、北国新聞とか北国銀行とか、北の街名乗りがいっぱいでしたが、日本の地理的にはなんか北というカンジでもないような。ということを云うと多分怒られるので、昔から、井上靖の「北国」とか「北の海」とか、やっぱり、北が似合う町なのでしょうね。
 というわけで、旧制四高寮歌であります。
 前記井上の「北の海」にも出てきましたし、高橋治「名もなき道を」もこの歌に由来するわけで。香林坊かどっかに歌碑もあったな。

北の都に秋たけて 加藤登紀子