路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

いつまでも小さな心鳥帰る

2011年10月02日 | Weblog

 天気予報では雨が降るという話が、降りそうだったけれど結局降らず。
 ともかく、そんな風にして9月は10月に。だんだん淋しげになってきた。

 田中優子『江戸の想像力 18世紀のメディアと表徴』(1986 筑摩書房)
 なんか積ん読本の中から、なんとなく拾い上げてパラパラと。
 25年前の本だけど、出版当時世評を賑わせてたから買った記憶がある。定価2,600円。当時は若くて太っ腹だったわけだ。
 帯に、「同時代の異質な個性とジャンルを織り込んで、蛇行する近世の〈運動〉を描く気鋭の処女作。」とある。今や大御所田中センセイも気鋭だったわけだ。

 で、読んでみると、良くも悪くも処女作だなあ。なんかもうイッショーケンメイ肩に力入ってマス、というかアレもコレもみんな知ってるよ、っていうか、でもヨユーだから、というような手の内が透けて見えちゃうというか、あの頃君は若かった、みたいな文章でした。

 第一章が、「金唐革は世界をめぐる」 どうもなんだか要約してよ、みたいな流れを横に通ってみると、金唐革ってのは、ルネサンス、ボッティチェルリまで行き着くらしい。それが日本の近世で金唐紙になって、それがどうやら平賀源内、ということになるらしいのでちょっと目からウロコである。であるわけだけれど、その平賀源内がちょこちょこ顔を出してきて、気持ちがそちらにいってしまうのが煩わしくて、ともかくこの源内先生がほんとに迷惑というか詐欺師というか、こんなヤツが身近にいなくてよかったよ、という話になっていくわけだ。
 火浣布とか鉱山開発とか、昔NHKで「天下御免」といったか早坂暁のドラマをやっていて、その中で源内が火浣布を作ってたところがあった気がして、今度シナリオ確認してみよう、というような感想で終わったのでありました。