聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

使徒の働き18章1-11節「特別な夜」

2018-03-04 17:41:56 | 使徒の働き

2018/3/4 使徒の働き18章1-11節「特別な夜」

 使徒の働き十八章は、パウロの第二回伝道旅行で、ギリシャのコリントに行き、そこで伝道した事が書かれています。コリントはその地域第一の都市で、経済的に栄え、風紀は乱れた都でした。そこでパウロは二年近く伝道をします。後に、この教会に書かれた手紙の二通が聖書には残されています。そういう大事な教会の始まりがここに書かれています。

1.初めての幻

 そのコリントでの伝道で、目に付くのは9節以下の幻ではないでしょうか。

ある夜、主は幻によってパウロに言われた。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。10わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」

 実はパウロが主の幻を見たのは、聖書が記している限りだと五~六回です[1]。最初はまだキリストを信じる前、教会を激しく憎んで滅ぼそうとしていた時に、強烈な幻で回心したのです。やがてアンティオキア教会のリーダーになり、二度の伝道旅行をしてきましたが、その間こんなにハッキリと主が語られた幻は書かれていません。「主が禁じられた」とかマケドニア人の幻を見ることはありましたが、主が夜の幻でハッキリとパウロに

「恐れないで語り続けなさい。わたしがあなたとともにいる」

と言うなんて初めてです[2]。またここで主が言われた内容も、特別なパウロへの約束というよりも、聖書に繰り返されている神の契約です。神は民に対して、ともにいること、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となると、聖書を貫いて何度も何度も繰り返されます。パウロだけでなく、全てのキリスト者が、私たちも含めて約束されている、主の恵みです。ですからこの言葉も、教会は自分への約束として聴いてきたのです。

 コリントでパウロは約二年過ごします。これまでの宣教では数ヶ月か数日で、迫害や区切りをつけて次の町に移ったのです。今までになかった長期間です。一年半の間の事は多く書かれていませんが、穏やかに過ごせたばかりではなく、本当にいろんな事があったでしょう。コリントを去ってから書かれた手紙を読んでも、パウロはコリント教会のために悩まされていますし、当時もどれほど苦労したかしれません。しかしルカはそのような大変なことには殆ど触れません。それよりも、その始まりのある晩、主が夢に現れて幻で語ってくださった、この出来事を記すのです。主がパウロに久しぶりに現れてくださったこの夜は、特別な夜でした。決して小さな夢ではありませんでした。今に至るまでこの出来事は慰めとなってきたのです。

2.恐れるパウロ

 なぜ主はこの夜、幻で現れて、パウロにお語りになったのでしょうか。「恐れるな」と言われるからには、パウロが恐れていて、こういう主の言葉を必要としていたのでしょうか。確かにパウロはコリント人への手紙第一二3で

「あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました」

と書いています。前のアテネでの疲れや孤独で弱って恐れていたのかもしれません。でもそこで、後々長いつきあいになるアクラとプリスカ夫妻、ローマから来たユダヤ人夫婦に出会うなんて、思いがけない出会いがありました[3]。それも同業者で一緒に協力できるなんて吃驚です。会堂で説教して、結果的にはそこを出て行く決断をするのですが、それは残念だったはずです。でも決別したつもりが、そこの会堂司が家族全員とともに主を信じて、仲間になりました。多くのコリント人も信じて順調だったはずです。この後十八章の出来事一つ一つが想像もしなかった展開でしょう。ここまでの伝道旅行のどの時よりもパウロが恐れて孤独で、主の幻を必要としていた、とは思えません。あえて申し上げると、私たちが恐れたり孤独だったりして、主の幻や夢の声が聞きたいと強く強く思うとしても、それで主の声が聞こえるとか、慰めが来るとか、祈りが応えられるとか、そういう保証はないのです。暗闇のような毎日が続くこともあるでしょう。涙も枯れて過ごす日もあるでしょう。主がそばにいるとは感じられない。そういう時はあるのです。それでも主はそばにおられるのです。[4]

 この幻の後、パウロは一年半

「腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続け」

ます。それはコリントでの宣教がそれだけじっくりする必要があったからでしょう。でもそれでシッカリした教会になったわけではなく、後からコリントに宛てて書かれた二通の手紙はパウロが後々までこの教会の問題や質問をフォローしなければならなかった証拠です。二つの手紙から浮かんでくるのは、分裂や不品行、礼拝での無秩序、賜物を自慢し、裁き合う教会の姿です。それに心を砕き、骨身を削るパウロです。とても教会とは思いたくない姿です[5]。詳しく書いていませんが、もう「コリントで一年半過ごした」というだけで、読者は十分その大変さを想像できたのではないでしょうか。あそこで何もないはずがない、きっと大変だったと想像できたのでしょう。

「わたしの民がたくさんいる」

と言われたコリント教会は、実に人間的で課題だらけでした。外からの迫害より、内側の争いでパウロは苦労します。主がともにいて守ってくださって、主の民を備えておられるとは、問題や大変さがない保証では全く違うのです。

3.「保証」ではなく「信頼」

 この十八章の展開一つ一つが、予想の出来ない出来事でした。パウロの伝道旅行は、計画通りというよりも、計画にない出来事の連続の珍道中でした。それこそ実に私たちの生きている、予想不可能で思うままにならず、地道な現実生活そのものです。パウロがコリントで腰を据えて伝道したのは、コリントだろうと日本だろうと、伝道や教会形成が本当に実を結ぶには、じっくり腰を据えて取りかかる必要があるからです。短い滞在で、種だけ蒔いて、深入りしないうちに次に行く働きもあるのでしょうが、それでは本当の人間関係は育ちません。そして長く一緒に過ごせば、それだけ人間らしさが出て来ます。長年一緒にいる家族だってそうです。コリント教会の問題はとても極端です。でも、それは特殊でも特別でもなく、実に人間臭い姿です。そしてパウロ自身の人間臭さも、コリント書には浮き出ています。自分の弱さ、恐れ、苦しさを赤裸々に語るのがコリント書です。しかしそれは不本意だとは言いません。苦しみや弱さや恐れの中で、慰めを受ける。弱さの中に、神の力が現される。だから私は自分の弱さこそ誇る、と言いました。それがパウロの飾らない姿勢でした。

 パウロの信仰は人間らしさや自分の弱さを踏まえた信仰であり、宣教でした。そういうコリント教会の人間らしい宣教に向けて、主は夜の幻でパウロに

「恐れるな」

と仰いました。パウロが恐れていたから慰めるため、というよりも、これから起きる出来事が今までよりも深いつきあいでの教会形成になり、人の抱える問題や闇に向き合って、恐れずにおれない事を見越しての覚悟を与えるためではなかったでしょうか。そこから目を背け、主がともにいるから大丈夫、と明るいことしか言わないのではなく、主がともにいるからこそ、人間の闇にもシッカリと、しかし優しく向き合い、そういう私たちとともにいてくださる主を仰いだのです。

 主がともにいるとは、大変な事は起きないという保証や、人間離れした希望や楽観的な憶測ではありません。もっと人間らしく、もっと人間の心の機微や、自分自身の恐れや弱さにも素直にならせてくれる約束です。どこに行くか分からない、未知の体験の始まりの合図でした[6]。出会う人たちがどんな問題を抱えて、手こずらされるとしても、それでも主はともにおられる、主の民だと信じて向き合う。そういう姿勢へとパウロの背中を押したようです[7]。私たちの教会や家族、コミュニティのあらゆる場面で、主はともにいてくださいます。だから、自分の弱さや恐れを恥じず、そこにこそ神の恵みが働くと信じて、歩むことが出来ます。どんな時も

「わたしがあなたとともにいる」

と仰る主なのだと教えられて、私たちもその主を語り、その主の民として生かされていくのです[8]

「「この町にはわたしの民がたくさんいる」と仰った主よ。その選びと摂理を信じて、私たちもここに希望をもって歩みます。何が起きるかを案じて、保証や答が欲しくなりますが、あなたは、あなたが私たちとともにいるとの約束と信頼を下さいます。明日がどんな日か分からなくても、明日を守られる主がおられる。この恵みに立って、私たちをここに歩ませてください」



[1] 使徒九3-6、十八9-10、二二17-21(時系列では九章の後半)、二三11、二七23-24。また、Ⅱコリント十二1-4、9も可能性としてあげられます。

[2] パウロの観た幻は、この後も二回出て来る。しかし、復活と会わせても四回。いつも幻を見たり、神とおしゃべり出来たのではない。こういう幻は初めて。それだけに、この言葉は、パウロにとって特別だったろう。そして、これはパウロを通しての、私たち全員への語りかけなのだ。主がともにいてくださる。それは私たちにとっての保証や想定内の展開とは違う。しかし、私たちの精一杯の想定よりも遥かに深く、尊く、険しく、力強い計画なのだ。

[3] この2節の「クラウディウス帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じた」のが、紀元49年に発布されたと分かっていますので、「使徒の働き」の出来事が年代測定できる定点になっています。

[4] この事では、特に最近、マザー・テレサが、尊い愛のわざを続け、ノーベル平和賞を受賞するほどの大きな影響を与え続けた傍ら、自身のうちの深い孤独、闇、不信仰を吐露していたという記事が印象深くあります。また、「安心して絶望できる社会」というキーワードも、「必要なら神が慰めてくださる!」という安直な楽観的信仰に釘を刺してくれます。

[5] 社会的にあまり高くない人が集まっていたともあります。また、パウロは、お金目当てに伝道しているのだと言われないために、手弁当で伝道し、謝礼は一切受け取りませんでした。そういう雰囲気がコリント教会だったのです。

[6] これは、モーセやギデオン、エレミヤ、マリアら、他の聖書の人物の召命で語られる言葉でもあります。大変な生涯の幕開けを告げる言葉でもあるのです。

[7] この「民」という言葉はイスラエルの選民を指す言葉です。しかし、ユダヤ人ではなく、まだ回心もしていない人々を指すのは珍しい用法です。

[8] パウロは、分派や競争や不品行などの問題に心を痛めながら、しかしコリント書で繰り返して語るのは、あなたがたはもう主イエスのものだ、神の民だ、キリスト・イエスがあなたがたのうちにおられるのだ、という言葉です。そしてその自分の限界に行き詰まりながら、主はもう一つの言葉を下さっていました。「Ⅱコリント十二9しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。10ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

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