聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

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使徒の働き4章1-22節「捨てた石が礎石に」

2017-07-23 16:54:53 | 使徒の働き

2017/7/23 使徒の働き4章1-22節「捨てた石が礎石に」

1.良いわざについて

 今日の箇所に出て来るのは、ペテロとヨハネの逮捕、そして議会での尋問です。留置所に入れられ、国会のお偉方の前に引き出されて審議にかけられたのです。そして、脅されて返された、という出来事です。ペンテコステ以降の教会が経験した初めての迫害、逆風でした。前回三章で、生まれつき足のなえた人が、ペテロとヨハネによってイエス・キリストの力に与り、歩き出し、踊り上がって神を賛美し、宮に入っていった、という奇蹟がありました。その出来事に回りの人々も驚いて集まってきて、ペテロは彼らに対してイエスこそキリスト(メシヤ)であると語ったのです。祭司や宮の守衛、サドカイ人たちはこの騒ぎを聞いて駆けつけ、困り果てました。勝手に宮で集会を始めたのも困ったでしょう。自分たちが殺して厄介払いしたはずのイエスがメシヤだという主張も迷惑でした。サドカイ人が否定する復活を使徒たちが語るのも目障りでした。だから逮捕して一晩留置し、翌日、議会が招集されたのです。

 7彼らは使徒たちを真ん中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」と尋問しだした。

 この言葉は実はイエスにも投げかけられた質問でした。

「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。あなたにその権威を授けたのはだれですか。」[1]

 弟子たちも今、イエスと同じように当局から目をつけられ、尋問されています。しかし、以前の弟子たちは、イエスが尋問されても黙っていました。イエスが逮捕された時には、逃げ出してしまいました。あなたもその仲間だろうとちょっと尋ねられただけで、ペテロは誓願を立ててまで激しく否定したのです。その臆病だったペテロたちが、ここではどうでしょう。彼らは主張します。

 8…ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。

 9私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行った良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、

 「病人に行った善い業」について、です。議員たちは

「こんなことをしたのか」

と遠回しな言い方をしています。彼ら自身、何をしているのか、どう非難したら良いのか分からず、曖昧に「こんなこと」と言っています。でもそれは

「善い業」

です。何の非難や処罰を受ける筋合いのことでもありません。この「良い業」という確信は、大事な鍵なのでは無いでしょうか。

2.「捨てられた」方

 ペテロが臆病な逃亡者から、大胆な証人に変わった事実はここで私たちも驚くべきことです。

10…この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。

 ペテロの大胆に返答をし、癒やされた本人がそこにいて、議会は言葉が見つかりません。それでも彼らはペテロたちの言い分を聞こうとせず、18節でも21節でも黙っていろと脅します。彼らは脅されても怯えません。19節20節で、実にストレートに応えます。23節以下、仲間の弟子たちの元に戻っても、「大変だ。どうしよう。脅されたからちょっと静かにしておこう」とは言いません。24-30節での祈りも、脅しや反対からお守りくださいではなく、

29主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。

30御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。」

 暴力は主がご覧になって裁いてくださればよし。自分たちは恐れることなく、大胆に御言葉を語らせ、癒やし、しるし、不思議な業を行わせてください、と心を合わせて祈ったのです。

 でもそれは彼らに勇気があったからでしょうか。信仰が強かったからでしょうか。「自分たちにはそんな勇気も信仰もないからとても真似は出来ない」なのでしょうか。いいえ、彼らは、人間が十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストを知ったのです。人が捨てたイエスこそ、天の下でこれ以外に救いはない、唯一の御名だとハッキリ知ったのです。そして、その方は、ここで歩けなかった人に力を下さり、歩かせて、神を賛美させてくれました。そういう「良いこと」をなさったイエスを知ったときに、彼らは議会に立っても脅されても、そんな権力が借り物でしかない恐れるに足らずと知って、冷静でおれたのです。

 祭司長や議会たちは神殿の全てを取り仕切り、祭司としての権力で尊敬され、イエスを十字架に殺し、弟子たちを投獄し、贅沢な暮らしを楽しんでいました。でも12節でペテロが言った通り、どんな地位や財産や神殿儀式も人を救うことは出来ません。人を脅して力尽くでも守る生き方に、本当の幸せは決してありません[2]。彼らの脅しは張りぼての脅し、勘違いした強がり、惨めな足掻きでした。その権力は、借り物に過ぎません。しかし、最も権力のある方、本当の主なるお方は、貧しくなり、捨てられ、御自分の命を捧げて下さいました[3]。それ以外に、私たちの救いとなる御名はありません。それゆえに、逮捕や牢獄や、あれこれ奪うぞと脅されて、勿論、緊張もし平静ではおれず、逃げたり隠れたり対処すべき時があるとしても、もっと大きな主、真実なイエスの深い憐れみを信じて、冷静に対応することが出来るのです。

3.救いは他にない

 12節で

「救い」

と言われるのは唐突のように思いますが、実は9節で

「何によっていやされたか」

とあるのは「救われたか」とも訳せる同じ言葉です。これは「魂の救い」に限らず、あらゆる苦しみや絶望、困窮、人間の持つ深い問題を視野に入れています。生まれつきの障害を持ち、社会的な尊厳が与えられなかったこの人は、イエスが歩かせてくださって、躍り上がって神を賛美しました。また、ペテロたちが一晩留置された時、そこにいた人々の悲しみや傷や罪の状況を目の当たりにしたかもしれません。暗い留置場で見た人々も、宮に上って行く人々も、宮を差(さ)配(はい)する祭司長や、自分たちを脅して黙らせようとする指導者たちも、神がどれほど憐れみ深いかを知りません。救いを求めつつ、当てにはならない金や銀や地位や健康、イエスではないものに礎を置いています[4]。30節でペテロが

「いやしを行わせ…しるしと不思議なわざを行わせてください」

と祈ったのも、派手なパフォーマンスで人を惹き付け、会員を増やすためではありません。本当に、このイエスの御名による救いを知って欲しかったからです。頑固に心を閉じて脅してでも黙らせる権力者もいる一方、イエスによって癒やされ、立ち上がり躍り上がって喜び、神を賛美している人、その人を見て信じた五千人以上の人々がいました。その「良い業」がペテロたちの心を動かした秘訣だったに違いないと思うのです。

 主イエスこそ、神が下さった唯一の救い主です。イエスは私たちを服従を要求し、脅しで不服従を禁じる権威者とは全く違います。確かに権力を持つ人間が、脅しや偉そうに命令し、力尽くで迫害や投獄、殉教をする時、この攻撃は本当に厳しいものです。私たちは挫けて負けてしまうかも知れません。しかし、主はその弱さも知っておられます。私たち以上に人間の弱さを知っておられます。そのイエス御自身が、ペテロの裏切りを責めず、予告した上で、そのペテロのために捨てられ、愛をもってもう一度立ち上がらせてくださいました。本当に権威を持っておられる主が、まず私のために捨てられてくださいました。そして私たちを立ち上がらせ、私たちの拙い歩みを通して、癒やしや不思議な良い業をさせてくださいます。

 この方が私たちの礎です。このイエスに信頼して、落ち着いて受け答えすれば良い。そう大胆に祈っていけば良い。そうです。主は、この世の権力者より遙かに大きく、遙かに良いお方です。

「主よ。あなたの御名以外に救いはありません。人に捨てられ十字架に死なれたあなた以外に、礎はありません。どうぞ、私たちを自分の守りばかりを求め、恐れたり脅したりする生き方ではなく、無学な凡人の私たちを通してあなたの栄光が現され、恵みの良い業がなされることを願わせてください。主が始められた不思議な命の御業が私どもを通して果たされますように」



[1] ルカ二〇2。

[2] 事実、今また彼らは事実を直視できず、ペテロたちを脅して黙らせようとするしか出来ないでいます。脅すのは、力があるからでは無く、脅すしか出来ないからです。そんな彼らの弱さが透けて見えなければ、いくら勇気や信仰で脅しに屈しまいとしても、限界があるでしょう。

[3] 24節で神に語られる「主よ」という言葉は、絶対的権力者、天地の所有者などを意味する「デスポテース」という珍しい言葉が使われています。

[4] イエスを証言する言葉を聴き、イエスがなさった癒やしの奇蹟を見ても、まだ現実から目を背け、脅しや無視で蓋をしようとしています。そんな人々の脅しは恐れるに足りません。いや、そんな人がトップにいる社会だからこそ、キリストの御名を知って欲しいと思ったのでしょう。

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