[1] これを「レビラート婚」と言いますが、創世記39章には、ヤコブの息子ユダが、自分の長男が死んだ時、その妻を次男に嫁がせ、次男も死んだら三男に嫁がせることを考えた出来事が書かれています。モーセの律法の四百年以上前に、このような習慣が既に当地にはあったことが窺えます。モーセ律法がこのように定めた、というよりも、家父長権・世襲制のシステムで、跡継ぎの長男の名を残さなければならないというあり方を、モーセも容認しているのです。
[2] 申命記25章5、7節(兄弟が一緒に住んでいて、そのうちの一人が死に、彼に息子がいない場合、死んだ者の妻は家族以外のほかの男に嫁いではならない。その夫の兄弟がその女のところに入り、これを妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。6そして彼女が産む最初の男子が、死んだ兄弟の名を継ぎ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。7しかし、もしその人が自分の兄弟の妻を妻としたくないなら、その兄弟の妻は、町の門の長老たちのところに行って言わなければならない。「私の夫の兄弟は、自分の兄弟のためにその名をイスラエルのうちに残そうとはせず、夫の兄弟としての義務を私に果たそうとしません。」)
[3] たとえば、ルカの福音書14章15節以下では、「イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」」と言いますが、イエスはこれに対して、神の国を婚宴に譬え、招待されても自分のことを優先して、断る人々の姿を描きます。
[4] マタイでは20回!1:20(彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。)、24(ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、)、2:13(彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」)、4:6(こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」)、4:11(すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。)、11:10(この人こそ、『見よ、わたしはわたしの使いをあなたの前に遣わす。彼は、あなたの前にあなたの道を備える』と書かれているその人です。)、13:39-41(毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫は世の終わり、刈る者は御使いたちです。…41人の子は御使いたちを遣わします。彼らは、すべてのつまずきと、不法を行う者たちを御国から取り集めて、)、13:49(この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者たちの中から悪い者どもをより分け、)、16:27(人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。)、18:10(あなたがたは、この小さい者たちの一人を軽んじたりしないように気をつけなさい。あなたがたに言いますが、天にいる、彼らの御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。)、22:30、24:31(人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。)、24:36(ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。)、25:31(人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。)、26:53(それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくことが、できないと思うのですか。)、28:2(すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来て石をわきに転がし、その上に座ったからである。)、28:5(御使いは女たちに言った。「あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。」
[5] ドラマだと、夫が死んだと思って別の男性と再婚したら生きていたとか、複雑な事情で二人の男性が一人の女性を巡って争うなんて筋書きはあって、泥沼劇になるものとして描かれるものはよく見ます。古くは映画「ひまわり」、韓国ドラマ「冬のソナタ」や「伝説の魔女」など。
[6] 参照、レベッカ・ソルニット『私たちが沈黙させられるいくつかの問い』(ハーン小路恭子訳、左右社、2021年)。https://bookmeter.com/books/17296609
[7] 思い違いをしているプラナオー 道を外れている。彷徨っている。 18:12-13(あなたがたはどう思いますか。もしある人に羊が百匹いて、そのうちの一匹が迷い出たら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。13まことに、あなたがたに言います。もしその羊を見つけたなら、その人は、迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜びます。)、22:29、24:4-5(そこでイエスは彼らに答えられた。「人に惑わされないように気をつけなさい。5わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わします。)、11(また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。)、24(偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います。) 27:63(こう言った。「閣下。人を惑わすあの男プラノスがまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました。」、27:64(ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと弟子たちが来て、彼を盗み出し、『死人の中からよみがえった』と民に言うかもしれません。そうなると、この惑わしプラネーのほうが、前の[惑わし]よりもひどいものになります。」)も同語根。
[8] 出エジプト記3:6~16節「さらに仰せられた。「わたしはあなたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは顔を隠した。神を仰ぎ見るのを恐れたからである。…12 神は仰せられた。「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない。」…14 神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエルの子らに、こう言え。『あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、あなたがたのところに私を遣わされた』と。これが永遠にわたしの名である。これが代々にわたり、わたしの呼び名である。…」。また、同4:5 「これは、彼らの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主があなたに現れたことを、彼らが信じるためである。」
[9] ヤコブも、四人の妻の間で、気まずい人生を歩んだ人でした。
[10] この言葉は、ブレーズ・パスカルが上着に縫い付けていた羊皮紙に書き付けられていた言葉を思い起こさせます。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。哲学者や学者の神ではない、確実、確実、直感、喜び、平安。イエス・キリストの神」。神は哲学者や学者の神ではなく、アブラハム、イサク、ヤコブ、そして私たちの神となってくださった、イエス・キリストの神でいてくださいます。
[11] 聖書は、人間を魂だけではなく、からだもあるものとして見ています。創世記2:7「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」。ですから、人の死は、「魂と体の分離」と理解して、「魂だけが存在する」という状態は、人間としては不完全であり、やがてもう一度身体がよみがえって、魂と結ばれて初めて、人としての希望ある将来が始まると考えています。