偏微分の順序の入れ替えに最近は関心があるのだが、その関心事に心が向いているのに妻が最近麻雀を始めたので確率云々と言い始めた。国士無双がどうとか。
それはともかくとして、以前に四国の数学教育協議会の研究会で高知の高校の数学のK先生が授業で宝くじの期待値を計算して見せて
「宝くじなんぞ買うものではない」
と言ったそうだ。そしたら、生徒からは「先生は夢がないねえ」といわれたとか。
宝くじがどういう場合に発行されるのかは知らないのだが、なにか宝くじを発行する団体が資金を必要としている事業を行う資金を調達するために行うものだろう。
そうだとすれば、その団体にとって宝くじを発行することによって、必ず資金調達が保証されており、かつ宝くじを買う人にも何らかの夢を与えるものでなくてはならない。
期待値は実は宝くじを買う人のためにあるのではなく、宝くじを発行する団体のために存在するのだというのが私の現在の見解である(注)。
件の数学の先生はそこまでは言及されていなかったが。
(注)まさに夢を買うのであるが、期待値を計算すると賞金を得る期待値があまりに小さいので、数学の先生は「宝くじなど買うものではない」といったのだろう。
賞金が当たるからといって、もしか自分の全財産を投入して宝くじを買い占めて見ても、確かに賞金はもらえるかもしれないが、それ以上のお金をつぎ込むことになるので大損するのは宝くじを買い占めた当人である。
このことから数学の先生の言うとおりであることがわかる。いくらか少額の宝くじの購入で夢を買うことは反対しないが。
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