今、話題の映画「ハンナ・アーレント」を先ほど見てきた。
話はイスラエルのモサドに拉致されたアイヒマンの裁判の傍聴記をニューヨーカーに書いたアーレントがアイヒマンを「凡庸なる悪」であって、根源的な悪ではないと書いたことによる周囲の反響とかを取り扱ったものである。
アイヒマンは確かに多くのユダヤ人を強制収容所に送り、結果的に多くのユダヤ人を殺害することに関与したことになる。だが、彼はすべて命令にしたがっただけだと法廷で述べているが、その罪を自覚したから南米に逃亡したのであろう。
別にアーレントはアイヒマンに罪がないとは言っていなくて、死刑でも当然であろうと考えてはいるが、彼を「根源的な悪」だとはみなさなかった。
その傍聴記のためにアーレントは長年の友人を失ったし、失望を友人たちに与えたことも確かである。
ただ、哲学者というものはそこまで突き詰めて考えるものかと思って、アーレントの徹底さをうらやむと同時に、これは私がもし彼女の友人の一人ならば、やはりなかなか友人である続けるのは辛いかもしれないと思った。
人間は論理的には理解しても感情で理解できない、または許せないことはあるものだと思う。
ハンナは夫のハインリッヒとは家庭でドイツ語で話していたし、友人たちも多くはアメリカでも家庭内ではドイツ語で話しており、その会話のすべてを聞き取れたわけではないが、久しぶりに映画でドイツ語を聴くという機会を得たのはよかった。
映画は明日3月28日までだから見たい人は松山市銀天街のはずれのシネ・ルーナティックへ急いで見に行って下さい。
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