エンリコ・フェルミ1と2とはフェルミの学問的業績に触れたが、彼らの教育的業績については触れなかった。それについては優れた彼の学生であり、かつノーベル賞受賞者のC. N. Yangの文章から引用しておこう。
『よく知られたているように、フェルミは水際だったすばらしい講義をした。これは彼の特徴的なやり方であるが、それぞれの題目について彼はいつでも、最初のところから出発して、単純な例をとりあげ、できるだけ「形式主義」を避けた(彼はよくこみ入った理論形式は「えらいお坊さま」たちのものだと冗談を言った)。
彼の論証は非常にすっきりしているので、ちっとも努力をしていない印象を与えた。しかし、この印象はまちがっている。すっきりしているのは、注意深い準備と、いろいろの異なった表現の仕方のうちどれを選ぶかを慎重に考慮した結果のためであった。ーーー
週に1-2回、大学院生のために非公式の、準備なしの講義をしてくれるのがフェルミの習慣だったた。グループは彼の部屋に集まり、フェルミ自身か、ときには学生の誰かが、その日の討論のために特別の題目を提起した。
フェルミは、綿密に見出しのついた自分のノートを探し回って、その題目に関するノートを見つけ出し、われわれに講義してくれるのだった。---討論は初歩的水準に保たれた。題目の本質的、実質的部分が強調された。大抵いつも、分析的ではなく、直観的、幾何学的な取り組みであった』
このようなすばらしい教育を受けた人たちが羨ましい。またフェルミはいくつかの講義ノートを残しており、それらはいまでも学生に読み継がれている。
(エンリコ・フェルミ完)
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