物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ドイツ語が嫌われるわけ

2018-11-16 12:43:39 | 日記

がないなどとは思っていない。これは私自身の体験に基づいてもわかる。英語を学んでそのあとにドイツ語を第2外国語として学んだのだが、これはまったくもってわからなかった。

それでいつも言うのだが、「ドイツ語を分かる人はどんな頭のよい人なんだろう」と勝手に思っていた。

そういう時が2年ほど続いた。大学院に行こうかと思い出したのは大学3年のことであったが、そのころは英語以外に第2外国語の試験があった。それでしかたなくNHKのラジオのドイツ語放送を聞き始めた。

そのころは朝の時間帯にしか放送がなかったと思うが、だいたい朝に弱いのに朝起きて聞く羽目になった。そのころはいまよりも教え方がしっかりしていて、ドイツ語の特徴としての文章の枠構造を十分に意識して教えられていた。

それで、「ああドイツ語は英語とは動詞の位置がちがうのだな」とようやくわかった。最近ではNHKのラジオとかテレビの放送でもその点はあまりしっかり教えないのは教え方の退歩ではないかと思っている。

一時は不定詞句の中で動詞が一番最後にあるのが、ドイツ語の特色だが、その動詞の部分が主語の性、数に応じて変化して、これが定動詞して文章の2番目の要素としてくる。そしてその定動詞以外の不定詞句の部分は文末に残ると教えるようになった。しかし、最近はそういうこともあまりあからさまには教えなくなった(注)。

もちろん、きちんと毎回放送を聞いていれば、そういうことはどこかで講師の先生が話をしてはいるのだが、どうもそういう点が私がドイツ語を学び始めたころよりは、おろそかになっている。

もう英語全盛の時代だから、ドイツ語学、文学者が昔みたいに一生懸命に学生にドイツ語を教えることをやってみてもせいがないとでもいうのだろか。

実際に初歩のドイツ語を教えている先生方の率直な考えを知りたい。

(注)今晩友達と映画に行く heute abend mit einem Freund ins Kino gehen という不定詞句がある。このとき、ドイツ語では 行くという動詞が不定詞句の最後に来ている。

それがたとえば、彼女 Sie がと主語がきまれば、

Sie geht heute abend mit einem Freund ins Kino.

彼女は今晩友達と映画に行く

となる。一番最後にあった不定詞のgehenは主語が決まったので、gehtと変化して、文の2番目の要素にくる。定動詞第2位の原則である。

主語以外のものが文頭に出ることもある。

Heute abend geht sie mit einem Freund ins Kino.

となっても定動詞のgehtは文章の第2位の位置に来ている。語としてはHeute abendの次だから第3番目の位置であるが、意味上heute abendは一つの塊として文の要素としては一つと数えるので、定動詞の第2位の原則は守られている。

Mit einem Freund geht sie heute abend ins Kino.

もありである。このときもMit einem Freundは文の要素としては一塊である。

(注)ドイツ語の特徴として、二つ挙げられる。一つはこの本文で述べた文章の枠構造(der Rahmenbau)である。もう一つは冠飾句(das Linkattribute)である。

こちらはあまり初歩の段階では出てこないし、書き言葉で主に出てくるので、こちらも大きな問題ではあるが、あまりドイツ語を学ぶときの直接的な障害とはならないであろう。

もちろん、どういう格変化語尾がつくのかの原理は知っていることは前提とされるではあろうが、実際にドイツ語を話すときにはなかなか正しくは話せないのが、現状である。慣れるしか方法はない。

(注)上で書いた用語のLinkattributeは『独和辞典』(郁文堂、1990)にも載っていない。Rahmenbauのほうはもちろん載っているが。


形容詞の変化語尾

2018-11-16 12:17:31 | 日記

ドイツ語の面倒なところは形容詞の付加語的用法で変化語尾がつくところである。

特に外国人としてドイツ語を話すときにはこれに困ってしまう。たくさんドイツ語を話す機会があれば、自然に身につけることができるのだろうが、残念ながらそういう環境にはない。それでも少しづつ慣れていくしかない。

形容詞に語尾がつく基本的な考え方は知っていたが、今日Signalendung(標識語尾:私の勝手な訳語)という言葉を初めて知った。

形容詞のつく名詞の性、数、格によって語尾が異なるのだが、それはその前にある冠詞類がSignalendung(標識語尾)を持つかどうかによって決まる。もっていなければ、その機能を形容詞が引き受けることになる。

ドイツ語の統語論学者はさすがにきちんとした概念を用語として表しているものだと感心した。

もっともわからないのは形容詞の弱変化語尾がeかenであるというのはいいが、einen grossen roten Kreis(一つの大きな赤い丸(円):この場合は対格(4格))の後ろのgrossにつくenと、rotにつくenは確かに弱変化語尾といってしまうとそうかもしれないが、それだけでは説明が不十分なような気がする。

男性名詞の不定冠詞の対格語尾ein(en)にあわせて、gross(en)とrot(en)と語尾が一致すると響きがよいというような語感があるのではなかろうか。(この場合の3つの語のかっこ内は変化語尾を強調するためにつけた)。

ドイツ語の統語論の研究者の方々、そこをもう論理的に少しつきつめてくださいませんか。

 


県知事と市長の投票に行った

2018-11-16 11:25:43 | 日記

18日の日曜日は市長の県知事の投票日であるが、不在者投票に行ってきた。妻が車を出してくれたので、行くことができた。

最近は不在者投票をする人が多くなっているが、私もその一人になった。8時15分ぐらいに目を覚まして、朝食をつくり、新聞を半分くらい読んで、支度をして出かけた。

市役所の支所での投票だったが、不在者投票の通知書に記名して出かけたので、数分で終わり、すぐに投票所からでてきたので、妻が驚いていた。