ホーエンシュタウフェン

生きるために食え、食うために生きるな。

地震後 近況

2011-04-06 20:11:00 | 東日本大震災・地震関連

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地震から1カ月近く経過しました。

私の住む福島県いわき市の浜通りは津波の被害を受け、海岸沿いの集落はほぼ壊滅し、がれきの山と化しています。

嫁の実家は豊間(とよま)というところで、目の前はすぐ海、ということもあり、津波をモロに受け流されてしまいました。

幸い人的被害は無かったものの、その近所で無くなった方も相当おり、この地域の方の心中いかばかりかと胸を痛めています。

地震後すぐにライフラインがストップし、特にガソリンが無い状況が長く続いたため、現地に行って何か手伝うという事が出来ませんでした。

皆と同じように何時間も並んで、やっとの想いでガソリンを補給しましたが、今度いつ補給出来るかも判らず、また、いつ出勤の連絡があるか判然としなかったため、可能な限り外出を控えガソリンの温存に努めました。

二度と経験したくない、それほど並ぶのがキツかったです。

最近やっと、スタンドの行列が解消されてきています。

断水していた時の水の運搬の際、治りかけていた腰痛が再発し、歩くのも辛い状態になりましたが、幸い今は会社が休業状態ですので、犬の散歩以外、出来るだけ安静にするようにしています。

そんな中、浜沿いに住む叔父さんが心筋梗塞で急死したとの連絡が入りました。

奇跡的に津波の被害が軽微で、家もしっかり残っていたのに・・・

その何日か前にウチの風呂に入ってもらい、スッキリした表情で元気に帰って行ったのに。

地元でがれきの撤去などを行っており、過度な疲労がたたったのでは、と感じています。

今週末は叔父さんの入棺と火葬です。こういう状況で死者が多過ぎて通夜・葬式が出来ないようです。

そんな中、今日から子供たちは学校です。

息子は中学の入学式の後、小学校の卒業式を行うという、掟破りな進行でしたが、それも良い思い出となるでしょう。

また嫁の両親は家を失ったため、現在避難所に暮らしながら公営住宅の申し込みを行い抽選を待つ、という生活です。

浜沿いの集落は結束が固く、被害の無い親戚の家にやっかいにならない人も多いようです。

私も今回の地震で生活パターンが変わったりして、色々と精神的に疲れ、体重も一気に減りました。

食事も毎回レトルト、インスタント等が続くと、いい加減嫌になってきますね。それで食欲が減退したせいもあります。

あと気掛かりなのは原発事故の経過です。

この辺は避難圏外なので私は自宅で持久戦を行いましたが、やはり飛散する放射性物質は気掛かりです。

鎮静化に向かうかと思えば、高濃度の放射能を帯びた水の処理に手間取るなど、予断を許さない状況です。

この状況下、住む家・地域がある私など、幸せと言わざるをえません。


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