神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

宇田川2

2014-12-05 07:27:02 | 城西の堀川4

 「宇田川 第二大区第三小区芝宇田川町ニテ桜川ヨリ分レ埋樋ヲ通シ新銭座町を流レテ海ニ入小溝ナリ昔上杉朝興ノ臣宇田川某ノ子孫宇田川喜兵衛ト云者此ノ辺ノ名主ナリシヨリ町ノ名ニモ川ノ名ニモナレルナリ」(「東京府志料」) 宇田川の地名由来については、「江戸砂子」はさらに詳しく、上杉朝興(ともおき 扇谷上杉家)が北条氏綱に敗れた際、北条に下った宇田川和泉守の子孫が、のち北条氏滅亡に際して当地に土着、代々の名主となったとしています。この伝承が事実ならば、人名が地名、川名に先行するレアケースということになります。(ちなみに、渋谷川の上流である宇田川が宇田川姓の元で、その一族が上杉や後北条に仕え、江戸湊周辺に勢力を拡大した、との説もあるようです。)

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 第一京浜(東海道)を越えます。ここに宇田川橋(「長壱丈弐尺巾九間」)が架かっていました。「江戸名所図会」に「上に土を覆ふ故に橋の形を失す」とあります。 

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    2. 江戸時代、宇田川町と新銭座町の境のこの通りにも、土橋(「長壱丈弐尺巾九間」)が架かっていました。 

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    3. 旧新銭座町を抜けます。正面の高架はJR、さらに高いところはゆりかもめです。

 <新銭座>  「新銭座は宇田川町の東海手の方松平肥後守屋舗のわきなり。寛永日記云十三年初て寛永の新銭を鋳(いる)と、この所も此時より建しなるべし」(「御府内備考」) 寛永13年(1636年)、寛永通宝を鋳造するために設けられたのが新銭座です。もっとも、同書に収録された新銭座町の書上では、設立を寛永15年としています。「先年常州水戸ニ住居仕罷在候郷士ニ而鳴海兵庫と申者御当地え罷出寛永十五寅年月日不相知右新銭座町古代より網代場ニ有之候処新銭吹座ニ拝領仕候哉寛永通用銭吹立差上候跡町並屋敷ニ相成り候ニ付新銭座町と唱候由・・・・」 なお、これに続けて、新銭座町の起立を貞享年中(1684~88年)としていますが、「寛永江戸全図」では「新銭座」とある保科肥後守下屋敷の西隣が、「明暦江戸大絵図」では無名ながら「町」となっており、明暦(1655~58年)頃までさかのぼる可能性もあります。