対談と歴史的資料が紹介してあります。
「A級裁判」や「A級戦犯」などは「東京裁判」などでよく知っているのかも知れません。
「A級戦犯」でいうと東条英機さんなどです。
また、ちょっと知っている方なら「マレーの虎」と
二つ名があった山下奉文などはB級戦犯になります。
何を持ってA・B・C級戦犯というのかと言いますと、
「罪の重さ」ではなく、「罪状の違い」なのです。
ではでは・・・本書の「解説」に書いてあるのですが、
「A級戦犯」・・・平和に対する罪
「B級戦犯」・・・通例の戦争犯罪
「C級戦犯」・・・人道に対する罪
「A級戦犯」は東京裁判で裁かれ、またB・C級戦犯も証人として出廷しております。
「B・C級戦犯」はアジア各地で裁判され、ところによってはろくな弁護士も付かず
証拠もなかったり、証拠も伝聞・噂で裁決に持ち込まれることも多々であったといいます。
私が思うに「感情裁判」であったところが多かった、と言わざるを得ません。
戦後裁判で日本が一矢報いたと言われているのは
『東海軍司令部B29搭乗員処刑事件』は、ここで裁判に掛けられているのは
岡田資(タスク)中将でこの裁判を作家 大岡昇平が緻密に取材をして
『ながい旅』、映画化され『明日への遺言』となって、「やや偶像化されている」と
著者は記している。
裁判の内容というと、名古屋の守備に当たっていた「第十三方面軍 東海軍管区司令官」の
前述した岡田 資中将は当時、軍需工場が集中していた名古屋地域は
1944年12月13日から空襲を本格化し、45年3月絨毯(じゅうたん)爆撃が始まり
特に5月14日の大空襲では約450機のB29が来襲、名古屋城も焼失、
名古屋市内は壊滅的被害を受けた。
全焼戸 2200戸、死者約300人だった。
この空襲の際、11人の米軍人がB29から脱出して捕獲された。
東海軍はこの11人のB29搭乗者を無差別殺人の戦争犯罪人として軍律会議で
「全員死刑」とし処刑された。
また、大阪・神戸を爆撃して帰途途中で墜落した同じくB29搭乗員27人を捕らえ
これは裁判を行わず、略式で済まして全員処刑された。
これに対して戦後米軍を始めとする連合国軍は、感情的な裁判を繰り広げるが
岡田 中将は「この責任はすべて自分にある」としながらも
捕らえた搭乗者を「今までの俘虜とは異質のもの」と訴える。
すなわち、「名古屋・大阪・神戸での大空襲という大罪を犯した犯罪者」と言う位置づけから
「死刑に処しても致し方なし」と言うことで対抗した。
戦後の戦犯裁判の多くは上司が下司、多くは現地の隊長などに罪を着せるという
なんとも「武士道」とは遠く外れたお恥ずかしい裁判が繰り広げられたという・・・
てなもんで、岡田 中将が「異質」として出てくるのである。
なんだか逆な話しですが・・・。
ここで問題になっているのは、「俘虜に関する取り扱い」である。
まずは、軍律会議は百歩譲って裁判が行われたといえども以後は「略式」で済ましていること。
また、処刑の仕方が「斬首」であること。
そして、処刑後遺体を埋葬していたのを戦後、
証拠隠滅のために燃やして遺骨を散逸させたこと。
戦争犯罪人については、「絞首刑」もしくは「銃殺刑」である。
裁判が「略式」というのは前例が死刑だったことや大阪・神戸の大空襲をした搭乗員を
感情的に死刑にしてしまったこと。
この様な状況から私が思ったには米軍が日本列島の各都市を絨毯爆撃で蹂躙し
語るまでもないかと思うが沖縄での殲滅戦、広島・長崎の原爆投下。
また、連合国内でも違法に裁かれ、もしくは裁判無しに
銃殺刑などにされていることなどをされていることを思えば、
連合国に裁く権利があるのか?と首をかしげてしまう。
裁くのならば、全ての軍人・軍属を裁かなければならないだろうし、
それらを裁く権利があるのは、中立な国の裁判官でなければならない。
本書の終わりには「連合国の戦争犯罪」も記してある。
また、戦場で異常な精神状態での「人肉食」も記してあり、
思わず目を背けたくなるが、戦場で繰り広げられる「狂気の沙汰」を直視しなければならないし
愚かさや「戦争に聖者なし」と感じてしまうのは決して間違った見解ではないと信じる。
詳しくは本読んで!
この本、読まずに死ねるか!