故・立川談志が「学問は貧乏人の暇つぶし」とはよく言ったもので、
時間は単純に考えると「過去・現在・未来」と区分されますが、
さて、今感じている「過去」はどこに行くのでしょうか?
どこかに「夢の島」みたいなところにに蓄積されるのでしょうか?
「現在」といっても人それぞれに感じ方は違いますので、
「人間の脳に蓄積される・過去」は当てになりません。
それから、「未来」はどこから来るのか?
用意されているものが目の前に出されて体験や見聞きするのでしょうか?
それから、もう一つの議論は似たような話ですが、
時間は瞬間・瞬間の細切れが連続して出てくるのでしょうか?
それとも「帯状」に永遠に流れているのでしょうか?
西洋の学者の中でも「佛教の時間論」になびく方もいれば、
アインシュタインの学説に基づく理論を打ち出す方もいます。
西洋科学での「時間論」は、様々な数式をもって証明を目指していますが、
なんだか、「時間」という日常的なものなのですが、
「数式」を持ち出されると、一気に日常から引き離されると思うのは
私だけでしょうか?
ちなみに佛教学の一部で上げられている「時間論」は、
「時間は瞬間瞬間に連続して出現し過ぎていく」といったものですが、
これは大学で学んだ「刹那滅論」です。
あぁ~、しばらく「佛教学」もずいぶん触ってないなぁ~。
いかんいかん。
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