「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

こんな夜話・・・

2007年06月18日 00時49分17秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
日々、ブログの内容がお寒い傾向にある中

更にお寒い話を・・・。

故人には大変申し訳ないのですが、8~9年前のことでしょうか、

未だに空手の試合には出ているのですが、

現役バリバリの時のことです。

私は、高校卒業と共に大阪へ行きその土地でも空手をやり続け

4年後田舎に帰ってきてからも指導に稽古に励んでいる毎日でございました。

一、二年経ってから一時期、空手から離れていた連中(他の道場)が、

復帰してまいりました。

その当時、私どもはもろ手を挙げて喜んだものです。

その中の一人、私よりひとつ年下のZ君はとても稽古熱心でした。

私もそれに答えようと質問に答え、指導もしていました。

あれは、春の県選手権大会のことでした。

組手(一般的に殴り合いのようなもの)の部で、

対戦することになったのです。

自慢ではありませんが、その当時の私はZ君に対しても

負ける気はしませんでした。

確か、私が技有りを取って再び試合開始で私の中段廻し蹴りが

彼の左胸下に当たりその後、私の上段廻し蹴りがかすった後

審判から『止め』の指示があり両者が白線に戻ってしばらくすると、

Z君は、直立のまま仰向けに倒れたのです。

今、思い出してもスローモーションの様に思い出されます。

すぐさま、医師が駆けつけ脈を取り、人工呼吸が始まりました。

しばらくすると、救急車が駆けつけ搬送されていきました。

大会役員は、大会終了後病院へ行き、

私は、兄と数人で大会会場に残ることになりました。

約一時間後、病院からZ君の死亡を電話で知らされました。

死因は、『てんかんによる心臓発作』だそうで、

Z君は、大会前日に家族が止めるのも振り切って大会出場を決めたそうです。

当日には『てんかん』の薬も飲みながら試合に挑んだようでした。

私は、病院に来るように言われ病院で警察から簡単な事情聴取を受けました。

警察はとても私に同情的で『気の毒だったね』とまで、

声を掛けてくれたほどです。

その後、遺体と対面した時に彼の心臓に位置には

私の蹴った爪あとが残っていました。

大会の会長、副会長が地元有力者だったので新聞沙汰になることはなく、

事態は収拾しました。

あの頃も私は至らなかったので、彼の葬儀に行ったときも遺族の方々に

何を言われ、何をされるのか気が気ではありませんでした。

気にするまでもなく、何事もなく焼香を終えたわけですが、

遺族の列で号泣するZ君の彼女がとても印象に残り

とても申し訳なく思ったものです。

その後、Z君のお母さんから手紙をもらい

『息子の分まで空手を続けてください』と書いてあり、

私は、それを今まで否、これからも贖罪としても空手を続けているわけです。

時々、Z君の話が出るたび私は居たたまれない気分になります。


なんでこんな話をするかって?

生きるのが面倒になった夜の懺悔話ですよ・・・。