「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

今日はいい月が出ています。話題は違いますが・・・「宗教の時間です。」

2016年10月15日 19時21分10秒 | うつせみ佛教問答

先程帰宅したのですが、ポストを見るとなんだかチラシが入っておりまして、

「また廃品回収かな?」と思って、部屋で広げますと・・・

まさかの『創価学会バッシング』のチラシ。

「ご本尊の真偽云々・・・」正直どうでもいい。

※日蓮の辻説法の図

まっ、ちょっと創価学会の概略をおはなししますと、

もともとは、「日蓮宗→日蓮正宗」という流れがございまして、

その「日蓮正宗の檀家の脱退集団」=「創価学会」ということです。

ざっくりと、話しましたが・・・。

私自身の「物差し」で言いますと、『創価学会は宗教団体では無い』ということです。

だいたいが、「法華宗」を「日蓮宗」と言ってのけるところが気に食わない。

日蓮は法華経を第一と考えたので、「南無妙法蓮華経」と、唱えよ!

と、説いたわけです。

浄土真宗の親鸞は「南無阿弥陀仏」と「阿弥陀経と他二経」をもって、

『浄土三部経』というのですが、

日蓮、親鸞ともに「大衆受け」を狙ったんですな。

「難しいお経は学僧に任せて、お前らはバカだからワンフレーズの方が良いだろ!」

と言うことです ※著者の拡大解釈です。

そこから派生し、傍流となった「創価学会とはなんぞや!?」というところです。

 

 

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空蝉、佛教問答『仏にお願いしてはいけない』-というのが『佛教の真の形』

2016年10月09日 18時18分30秒 | うつせみ佛教問答

ガウタマ・シッダールタ像

一般に「仏陀」というのは『悟りを開いた人のこと』のことと言い。

ガウタマ・シッダールタ=ブッダ(仏陀)ではない。

要は「悟りを開いた」人が居ればみんな「仏陀・ブッダ」というわけである。

「佛教」というからには、「ガウタマ・シッダールタ」を崇拝し願いを掛ける。

というのは、「事実誤認」である。

ガウタマ・シッダールタは、弟子達に「それぞれが修行を励むように」としている。

そして、ブッダとなったなら、「『法』と『(悟りを開いた)自分』を守り、

唯一のものとせよ」と、弟子に説いている。

だから、ガウタマ・シッダールタは修行の「先達」であって、

「唯一頼りにするもの」ではない。

逆にその事をガウタマ・シッダールタは、諫め嫌っている。

じゃぁ、どうすればいいのか?という問いに対して私は、

「ただ、無心に手を合わせる」ことだと思う。

「偶像に願い事をしたり、崇める」ことは厳に慎むべきであろう。

 

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佛教学科卒として、仕方なく一言『ゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼)論』

2016年08月28日 00時44分15秒 | うつせみ佛教問答

ゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼)像

現代の人は、ゴータマ・ブッダのことを超能力者のような聖人と思っているのではないか?

ブッダ自体は、あくまでも「人間・ゴータマ」なのである。

尊崇する存在になることは、ゴータマ自身が望まなかったであろう。

それを考えると、今の大乗仏教は「ゴータマの真意」からは大きく外れていると思う。

ゴータマが望んだことは、『それぞれが修行し覚醒せよ』ということであって、

ゴータマを崇拝対象とする「一神教のようにしてはならない」と言っている。

人間は、「起きていても寝ていても日々修行しなさい。」

少しでも「まともな人間」になるために・・・

 

 


今日は「時の日」。たまにはまじめに『時間論』をば・・・

2016年06月10日 22時30分10秒 | うつせみ佛教問答


故・立川談志が「学問は貧乏人の暇つぶし」とはよく言ったもので、

時間は単純に考えると「過去・現在・未来」と区分されますが、

さて、今感じている「過去」はどこに行くのでしょうか?

どこかに「夢の島」みたいなところにに蓄積されるのでしょうか?

「現在」といっても人それぞれに感じ方は違いますので、

「人間の脳に蓄積される・過去」は当てになりません。

それから、「未来」はどこから来るのか?

用意されているものが目の前に出されて体験や見聞きするのでしょうか?

それから、もう一つの議論は似たような話ですが、

時間は瞬間・瞬間の細切れが連続して出てくるのでしょうか?

それとも「帯状」に永遠に流れているのでしょうか?

西洋の学者の中でも「佛教の時間論」になびく方もいれば、

アインシュタインの学説に基づく理論を打ち出す方もいます。

西洋科学での「時間論」は、様々な数式をもって証明を目指していますが、

なんだか、「時間」という日常的なものなのですが、

「数式」を持ち出されると、一気に日常から引き離されると思うのは

私だけでしょうか?

ちなみに佛教学の一部で上げられている「時間論」は、

「時間は瞬間瞬間に連続して出現し過ぎていく」といったものですが、

これは大学で学んだ「刹那滅論」です。

あぁ~、しばらく「佛教学」もずいぶん触ってないなぁ~。

いかんいかん。










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日本の『佛教』について

2016年06月06日 04時54分26秒 | うつせみ佛教問答
久し振りに「佛教」について。

今、日本に存在している佛教はほとんどが「妻帯OK」です。

そうなると、世間の人々となにが違うのか?

ある宗派は、「自由頭髪」だし、「寺は世襲」だし、なんだか解んない講習を1週間ばかしで

「僧侶」になれるし、在家と違うのはどこでしょうか?

「お経」をすらすら読めることでしょうか?

『人の道を示す』のが出家の勤めとは言いません。

釈迦はそのような教えを説いていませんからね。

少なくともBMWを乗りまわすことは佛に仕える身のすることでは無いと思いますがね。














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