モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

日本的りべらりずむⅨ上田秋成 日本文芸の始原へ①江戸期の学芸と秋成の合理精神

2022年05月07日 | 日本的りべらりずむ
江戸時代というのは幕藩体制下世情も比較的安定して、経済活動は町民階層を中心に活発化し、
富が豊かに蓄えられていって、遊行や文化活動が盛んになっていった時代です。

町民が主体となった文化は貴族や武家のそれとはまた雰囲気を違えて、気ままさとか自由感のようなものがあったと想像されます。

そうして財の裏付けのある人ならばものを蒐集するとか、何か一つの世界に薀蓄を傾けていくとかして、
いわば趣味的な文化人・知識人ふうの人がパトロン的な役割も果たして、その繁栄の様相は多様な展開を呈していったのでした。


およそ250年におよぶ江戸期の文化的な盛り上がりは、前期と後期の2回のピークを実現しました。

前期は1700年前後で元禄文化と呼ばれ、後期は1800年代初頭の文化期で化政文化と呼ばれています。

これからこのブログで取り上げていく上田秋成の活動の期間は1700年代後半で、その拠点は京都・大坂でした。

期間は江戸文化の最盛期からは少し外れていますが、しかしたとえばヴィジュアル領域では伊藤若冲、池大雅、円山応挙、与謝蕪村といった江戸期水墨画を代表する絵師たちが顔を揃えていた時代で、それなりにクオリティの高い文化状況にありました。



上田秋成は怪奇小説集『雨月物語』で知られているように、表看板は物語作家といってよいかと思います。

と同時に古典文芸の研究家でもあり、特に古事記・日本書紀の文献批判や万葉集の評釈などの事績を遺し、また江戸時代から始まった国学の学者でもありました。

さらに和歌、俳諧のジャンルでも活動しています。

特に物語作家としては30代のときに書いた『雨月物語』で一躍スターダムにのし上がりましたが、
晩年には歌人、古典研究者、国学者としての自らの人生を総括するような作品『春雨物語』を遺しています。


日本で印刷技術が発展していきはじめるのは江戸時代前期、そして後期には、現代の“小説”的な創作意識につながる、読本と呼ばれたフィクション物が盛んに書かれるようになり、書肆(書店)という業種も生まれてきました。

(同時に版画技術も精緻さを加えていって、浮世絵ブームを起こし日本美術のひとつのエポックを形成したことは周知のとおりです。)

フィクション物には、怪奇現象をモチーフにした読本に人気があったようですが、
ちょうど同じ時期の西洋でも、民主革命とロマン主義と産業革命の時代に、怪奇小説が一つのブームをなしていたというのも、興味深い現象です。


怪奇物語の作者とはいえ、秋成の創作や学問研究の全体をとおして貫かれている姿勢は、一種の合理的精神です。

秋成の合理的精神とは、私たちがふつうにイメージする科学的な合理主義というのとは少し違い、
また秋成の身辺近くにあったと推測される儒学(主として朱子学)における合理主義とも異なっています。

江戸期の儒学者は一般に、狐狸が人に憑いたり人を化かされたりすると考えるのはナンセンス(非合理)であると考えますが、
秋成の考え方は、儒学の合理主義は間違いではないが、狐狸に憑かれたり化かされたりする人もいる、自分自身にもその体験がある、というふうのものでした。

「是は必是、非は必非と思ふは愚のみ、非には是、是には非の弊あるも自然の事理ぞ」(『安々言』)
(是と認められることは必ず是であり、非は必ず非であると断定するのは愚かしい。非にも是と認められる場合があるし、是にも非の弊害が認められることもあるというのが自然の事理である)
というのが秋成の合理的精神の特徴でした。


この精神で以って物語を創作し、学問的定見に向き合って真実に辿りつくことを自らの学問的方法としていました。

ここ(当ブログ)ではこの観点から秋成の事績を、物語の創作・万葉学(または古典文芸研究)・国学の3つの領域に分けて見ていきます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本的りべらりずむⅧ 久隅守... | トップ | 日本的りべらりずむⅨ上田秋成... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本的りべらりずむ」カテゴリの最新記事