モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

初期「私小説」論――宇野浩二(6)“女”(社会的弱者)をいじめるのは、“国家”

2024年07月25日 | 初期「私小説」論

「…ここには国家の生成をめぐる二つの様相がある。ひとつは、物理的システムを形成しつつ、ますます脱コード化される社会的な力の場において、国家を内面化すること、もうひとつは、形而上学的システムを形成しつつ、ますます超コード化する超地上的な場において、国家を精神化することである。国家が内面化されるのと精神化されるのとは、同時でなければならない。良心の呵責の時がやってくる。それは大いなるシニシズムのときでもあろう。内面生活において抑圧され、恐れおののいて自分自身の個人性に後退した(畜群人間)のあの押し殺された残酷さ。飼い馴らされるために〈国家〉の中に閉じこめられ……。」


この文章は、20世紀を代表するフランスの哲学者ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプス』の中で出会ったのですが、
なんとなく『軍港行進曲』を連想させるものがあって、私の記憶にとどめているものです。
『軍港行進曲』とドゥルーズ・ガタリとは時代も違えば国も違っているし、文化的な背景もあまりにもかけ離れていて、全然関係ないと言われるとそれを否定することはできません。
しかし『軍港行進曲』を語りの臨界点において創作された小説として捉え、その臨界点において作者宇野浩二は何と向き合おうとしていたのかということにアプローチしていこうとするとき、上記の引用文が何かを語りかけてくるような気がしてくるのです。

たとえば、横須賀が軍港の町であるということが言われ、その軍港に停泊する軍艦を描写しながら、小説の語りは“私”の幼年時代には軍艦の絵をよく描いたものだというところへ話を持っていき、その追憶の語りに多くの言葉を費やしていきます。
そこには軍港や軍艦という記号が指示している事柄に対する作者の“構え”とも言いうるものが表明されていると解釈できるわけですが、
しかしそのように“構え”ざるを得ない、作者の、ほとんど無意識化しているともいえる、精神の形成史の内実もまた籠められていると読み取ることができる。
それを言語化して表したのが、冒頭の引用文であるというふうに受け止められます。



具体的に説明するならば、
「物理的システムを形成しつつ、ますます脱コード化される社会的な力の場において、国家を内面化すること」
は、“私”の幼年時代の「軍艦の絵をよく描いた」という習慣(「脱コード化される社会的な力の場」)の中で「国家の内面化」が進行していたことを暗喩している。

それから、海軍の士官として横須賀の軍港に勤める中学時代の同窓生たちとの再開と旧交のエピソードは、
「超コード化する超地上的な場において、国家を精神化すること」
を暗喩していると解釈できるではありませんか。
すなわち、「超コード化する超地上的な場」とは、天皇を大元帥とする明治帝国の軍隊組織そのもの、あるいは『軍港行進曲』においては明治国家の統治のイメージとしての“軍港”を指していると考えられます。
そういう場の中で「国家の精神化」が進行しているというわけです。

こういったことを作者宇野自身が意識していたとはちょっと考えられません。
しかし軍隊や軍艦が宇野にとってどういう意味を持っているかということは、宇野なりに考えていたはず。
『軍港行進曲』は表現者としての宇野の誠実な語りの賜物であり、と同時に、宇野の語りの臨界点への挑戦であったとも言えるのではないかと思います。

夜の軍港を、宴会のあと、“私”と二人で料理屋の小部屋から窓を開けて眺めた君子が発する「怖い海でせう」の一言は、彼女が恐れているのは何であるかを一瞬のうちに照らし出します。
それは“軍港”に暗喩された明治国家であり、その国家を内面化している彼女の家族および親族たち、彼女の身柄を商品として取り扱う性産業界業界であり、海軍士官たちであり、そして“私”自身もまたその中に含まれているという自覚に宇野は達しています。
そして君子という“女”に象徴される社会的弱者たちをいじめているのは“国家”という支配のシステムであるというまなざしが、宇野の無意識を通して“軍港”に注がれているように、私には思われるのです。              (つづく)
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