モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

初期「私小説」論――宇野浩二(7 最終回)宇野の語りの臨界点は日本の近代小説の臨界点

2024年08月01日 | 初期「私小説」論
前回の冒頭にドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』から引用した文章の後半を再掲します。

「国家が内面化されるのと精神化されるのとは、同時でなければならない。良心の呵責の時がやってくる。それは大いなるシニシズムのときでもあろう。内面生活において抑圧され、恐れおののいて自分自身の個人性に後退した(畜群人間)のあの押し殺された残酷さ。飼い馴らされるために〈国家〉の中に閉じこめられ……。」

この文章をどう読むかはなかなか難しいところがあります。
ましてや昭和初期の日本の私小説の読解に適用などできるわけがないと考えるのは、無理もないところではあります。
それを了解しながらも、牽強付会の誹りを免れないかもしれませんが、まあ広い意味でのシャレのようなものと笑諾(筆者の造語です)していただいて、話を続けさせてもらいます。

宇野浩二において、「国家の内面化」は少年期に軍艦の絵を描くことを通してなされていたと考えられますが、「国家の精神化」はなされないままで現在(『軍港行進曲』を書いた時点)に至っています。
「国家の精神化」は、宇野の中学時代の同窓で現在は海軍士官として横須賀の軍港に勤めている数人の男たちに実現されています。
彼らにおいては「国家の内面化」と「国家の精神化」が同時に果たされていて、その一種安定した(国家意思に服従した)言動・姿が『軍港行進曲』では語られています。



しかしその言動・姿は、ドゥルーズ=ガタリの視界においては
「内面生活において抑圧され、恐れおののいて自分自身の個人性に後退した(畜群人間)のあの押し殺された残酷さ。飼い馴らされるために〈国家〉の中に閉じこめられ……」
と評されるようなそれです。
他方、宇野の場合は、「国家の内面化」と「国家の精神化」が同時になされていない(あるいは、「国家の精神化」の契機が欠如している)ために、「良心の呵責」に責めさいなまれることになります。

ただその「良心の呵責」の中身は、家族から見捨てられ、自らの心身を性産業の商品と化し、ヒステリーという病理に苦しんでいる社会的弱者としての“女”を、自分(“私”)との関わりの果てに死へと追い詰めてしまった、ということに向けられていることが小説『軍港行進曲』のミソとすべきところではないかという気がします。

小説前半最後の、“私”が吐く「俺は何をしているのだ!」という慙愧の言葉は、旧友が国家に忠実に奉仕する姿を目にしての自己叱責の表明ではなく、海軍士官たる旧友たちに対抗する表現者(芸術家)としての自分の至らなさの表明であり、その至らなさがまた“女”(君子)をいじめる(死へと追い詰めていく)原因であるとする自己呵責の念の表明であると私は思います。
そして後半の最後(小説全体の最後でもある)、8年後のやはり似たようなシチュエーションでの旧友(海軍士官)の昔に変わらぬ国家への忠勤ぶりに対して、自分は自立した表現者(小説家)として彼らに対峙していることへの、一種の達成感・満足感が表明されています。
しかしその表向きの自己満足的な語り口の内側では、“女”(社会的弱者)をいじめていった主体としての自分自身への痛切な断罪意識に苦しんでいることが、切々と伝わってくるように私には感じられるのです。

『軍港行進曲』は君子の死の報せを受け取ったことから構想されていったと想像されます。
そして前半の発表から半年の間に、後半の発表を経て、作者宇野の精神は錯乱の淵に沈み込んでいったのです。



※「宇野浩二」の項は今回で終わりにします。
 次回からは、「初期私小説論拾遺」として、三人の作家論を書いている間に思い及んだことなどを書いていきます。








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