モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

上島鬼貫――俳句における‟見ることの訓練”

2019年10月25日 | 「‶見ること″の優位」

“ものが見えるようになるためには訓練が必要”ということは、訓練の度合いとその成果のあり方によって、“見えていること”の内容が異なっているということになります。
そこには個人差ということがあり、したがって、同じ場所で同じ時刻に同じものを見ていても、何を見ているかは人それぞれだということになるわけです。
つまり外見上は同じものを見ているはずが、見ているものは人によって違っているということです。
事実は一つということが当然のごとく言われますが、実はそうではなく、事実は人の数だけあるということです。
自分が見えていると思っているものが他者と共有していると思ったら大間違いです。
見るということはどこまでも孤独な作業なのですね。

では、コミュニケーションということはどうなるのでしょうか? 
人と人の間に、厳密な意味でのコミュニケーションは成り立たないのだ、というのも一つの考え方かもしれません。
厳密にはコミュニケーションは成立しないと前提するところから、人と人の関係をどう考えていくか、というのは一つの方向であると思います。
しかし私自身は、「事実は人の数だけある」という命題は、むしろコミュニケーションということが成り立つための前提であると考えたいと思っています。
人はそれぞれみな違うものを見ているのだから、それを報告し合うことでコミュニケーションということが成立すると、それが文化というものだと考えているのです(詳しく書くのは、またの機会ということにします)。



話は変わりますが、今私の手元に、たまたまですが、上島鬼貫(うえじまおにつら)という俳人の句集があります。
鬼貫は江戸時代の人で、芭蕉より一世代ぐらい後、京都に在住して、東の芭蕉、西の鬼貫と言われた人です。
代表作に「おもしろさ急には見えぬ薄(すすき)かな」という句がありますが、これなども、“ものが見えるようになるためには訓練が必要”ということを詠っていると言ってよいかと思います。
鬼貫が書いた『独(り)ごと』という俳論書があって、その中で薄について次のように書いています。

「薄は、色々の花もてる草の中にひとり立ちて、かたちつくろはず、かしこがらず、心なき人には風情を隠し、心あらん人には風情を顕はす。只その人の程ほどに身ゆるなるべし」

また、こんなことも書いてます。

「花の句は花のみをいひ、月の句は月のみいひて、しかも意味深きをよしとす」

見ることは孤独な作業であるゆえに、何を見ているかは自分にしかわかりません。
自分には何が見えているのか、何を見ようとしているのか、すべて自分で探り当てていくほかありません。
鬼貫は、作句は生涯をかけての「まこと」を求めていく事業であると言ってますが、それは「何を見ているか」を自分で探り当てていく道であり、
その行き着くところは「花の句は花のみをいひ、月の句は月のみいひて、しかも意味深き」というところであるようです。

最後に、薄を詠んだ代表的な句をいくつか、歳時記などから拾って紹介しておきましょう。
同じ鬼貫の作から始めます。

茫々と取りみだしたるすすきかな      鬼貫
折りとりてはらりとおもき芒かな    飯田蛇笏
  薄を詠った句として代表的と見なされています。
薄活けて一と間に風の湧くごとし    佐野美智
  薄の日本的楽しみ方ですね。
まん中を刈りてさみしき芒かな     永田耕衣
  耕衣は私の好きな俳人の一人。

この際なので拙作の最近作も。
「風立ちて天穹を掃くすすきかな」     



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カメラの機能――見えないものを見えるようにする

2019年10月14日 | 「‶見ること″の優位」

望遠鏡と顕微鏡、そしてそのメカニズムに不可欠なレンズといった器具が担った使命は、17世紀ネーデルランドで確定されたように、「見えない世界を見えるものにしていく」ということでした。
19世紀前半に発明された写真機(カメラ)も光学機器のジャンルの一つのアイテムと見れば、その使命もやはり「見えない世界を見えるものにしていく」ということとして考えられるでしょう。
通念的には、カメラは「見えている世界をそのまま写し取る」装置というふうにみなすことで、絵画表現の役割を写実から抽象や心象表現へと向かわせ、写真の機能を「事実の複製化」と規定した、というふうに考えられてきました。
しかし、光学器具のアイテムとして写真機(カメラ)を捉えれば、その機能は「見えないものを見えるようにする」ことであると考えるのが正統的であるように思います。

カメラは決して「見えるもの」を写し取っているわけではない。カメラの表現形式は静止画像だけれども、考えてみれば、動いているもののある瞬間というものは決して肉眼で見えているわけではないのです。
つまり、カメラは見えない瞬間を「見えるもの」にしていると解釈することができるでしょう。
写実的に表現された絵画も静止画像と見なせますが、「見えない瞬間」を見えるものにしているのではなく、絵画の静止画像は過去から現在を経て未来へと見渡していく時間の堆積像が表現されていると考えられます。
そのように捉えていくと、カメラと絵画が同じモチーフを対象にしてリアルに再現したとしても、そこに表現されていることはまたく別物であるということができます。



写真表現の世界ではアマチュアカメラマンとされる人が何十万(何百万?)人といて、しかもテクニックもプロ顔負けで、ファンタジックな作品をものされる人もたくさんおられます。
なのでプロとアマの差がつけられない、ということがよく話題になりますが、
しかしやはりプロとアマの差ははっきりとあるように思われます。
アマチュアカメラマンはカメラの機能をあくまでも「見えているものを写し撮ろう」としていますが、プロのカメラマンがレンズを向ける先は「見えない世界」であって、この点に決定的な違いがあります。

さて、最近のカメラはデジタル技術化していますが、昔のマニュアルカメラの表現力に郷愁を抱く人も多いようです。
マニュアルカメラのほうが味わいの深い表現ができるが、デジタルカメラは精細な画像が得られても味気ない、といったりします。
しかし私が思うには、そのような写真観はカメラの機能を「見えているものを写し撮る」というところに設定している、アマチュア的な発想であるということです。
本来の使命である「見えない世界に侵入していく」という機能を果たしていくためには、デジタル化はカメラという光学器具が不可避的に求めていく技術であると思われます。

私の知人の西川茂というカメラマンは、デジタルカメラを使って、物質が有するまざまな色層を、肉眼では見えにくい光を捉えて「見えるもの」にしていくという作業を続けてきています。
彼のモチーフは刀剣であったりやきもの(陶器)であったりしますが、同じやきものでも焼成方法によって物質の組成が随分と異なっていて、「やきものの美しさとは何か」ということについて、新たなヴィジョンを提供してくれたりするのです。
下の画像は、窯変天目茶碗を撮影したもの。左は肉眼に映る窯変の景色。右は、肉眼ではほとんど見ることができない色層を捉えている。


  


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“ものが見えるようになるためには訓練が必要”

2019年10月04日 | 「‶見ること″の優位」

今年の2月に、ローラ・J・スナイダーというアメリカの歴史家・哲学者・作家が書いた『フェルメールと天才科学者』という本が出版されました。天才科学者とはファン・レーウェンフックという名の17世紀のネーデルランドの科学者で、生涯顕微鏡を覗き続けて人間の眼には見えない豊穣な微生物の世界があることを発見した人です。人間の精子を発見したのもこの人です。フェルメールの同時代人であり、フェルメールの住居のすぐ近くに住んでいました。(二人の間に行き来があったかどうかは、学問的にはまだ確認されていないようです。この本の著者は、少なくともお互いの存在は認めていたのでは、と言ってます。)

西洋の光学の歴史の中での17世紀のネーデルランドの位置付けを通して、科学と絵画との同時代性を論じている本です。
大意は、「ネーデルランドの17世紀は、“自然界には肉眼では見えない世界(星々の世界と微生物の世界)があることが発見された、視覚上の一大転換期」として、
「ファン・レーウェンフックと同様に、フェルメールも光学を本格的に学んだわけではなかった。それでも彼は視覚の何たるかを理解しようとし、レンズ越しに見る世界はどのようなものかを探った。彼はカメラ・オブスクラを絵を描く道具としてつかっていたのではない。ファン・レーウェンフックが顕微鏡をつかったように、光学の実験器具としてつかっていたのだ。」
ということです。



「新しいものの見方」と題された最終章では、“ものが見えるようになるためには訓練が必要”ということが繰り返し言及されています。
印象的なフレーズを2,3紹介しておきましょう。
「1768年に哲学者のジョン・ロックと共に犬の精子の観察をしていたときのことだ。ロックには、精子の尻尾がなかなか見えなかった。「私には、どうしてもきわめて小さなビーズ球にしか見えなかった」ロックはそう告白している。ファン・レーウェンフックは、自分もあらゆる物質の構成要素がどうしても球状に見えていたことを思い出した。ロバート・ボイルたちが唱えていた、すべての物質は粒子によってできているという〈粒子説〉に囚われていたからだ。ファン・レーウェンフックは、何もかもが丸く見えてしまう自分の心と闘い、ようやく精子の尻尾がみえるようになった。」
「ファン・レーウェンフックは(中略)“見たいもの”でなく、そこにあるものを見る腕をみがかなければならなかった。」
「視覚体験を鮮明(見えるまま・筆者注)に再現した作品をフェルメールが描けたのは、視覚を実験し研究したからにほかならない。」

最終的にこの本が主張していることは、つぎのようにまとめられています。



「こうした一七世紀の一大転換は、二一世紀を生きる我々にさまざまな影響を与えている。そのなかで最も斬新なものは、視覚はただ眼を開いて、入ってきた情報を漫然と受け入れるだけでは、得られない、とする考え方だ。視覚を得るためには、注意深く観察する技術を学び、時には光学機器をつかって世界というものを理解しなければならない。この考え方が、一七世紀に芽生えたのだ。フェルメールとファン・レーウェンフックの時代、〝自然を調べる”ことは、望遠鏡と顕微鏡、もしくはカメラ・オブスクラのレンズがもたらす新しい光で自然を見ることを意味するようになった。フェルメールをはじめとしたネーデルラントの画家たちは自然を見る新しい手段をつかって絵を描いた。彼らは陽の光が差し込む部屋を描いた。(中略)この時代の〈敢えて見よ〉という力強い主張は、我々にさまざまな遺産をもたらした。その遺産のなかでもひときわ輝きを放っているものが、ファン・レーウェンフックによる顕微鏡観察と、カメラ・オブスクラをつかったフェルメールの絵画なのだ。」

「“見る”とは自分の心と闘い続けていくことである」ということを肝に銘じたいと思います。
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