モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

年末のご挨拶ーー明年は「かたち塾」を始めます

2014年12月30日 | 笹山央著『現代工芸論』

あと3日でお正月。
今年は私にとって、『現代工芸論』を上梓した記念すべき年でした。
この著書をスプリングボードとして、来年から「かたち塾」というのを始めます。
先日、「かたちの会」の会員向けにその案内の文書を送りましたが、
「かたち塾」開校の趣旨について、以下のように書きました。

「『現代工芸論』に表明されている考えに基づき、主として手仕事分野での活動を対象として、ヴィヴィッドなイベント・人・創作を掘り下げていく講義、ワークショップを企画、開催していきます。
工芸と美術、生活と芸術、経済と文化、等の区別を超える新しい「かたち」の世界を、人々の日常的・非日常的な営為の中に探っていくような内容です。」

さて、「かたち塾」というネーミングですが、
これを採用するまでに「かたちの学校」だの「かたちインスティチュート」だのと
いろいろ案を検討したのですが、結局「かたち塾」というところに落ち着きました。
このことでは、いささか感慨深いものを私は感じています。

そもそも「かたち」というタイトルは、私の個人編集で1979年末に創刊した現代工芸評論の専門誌につけたものです。
創刊号の特集は、当時気鋭の中堅陶芸家と目されていた茨城県笠間市の月崇寺住職松井康成(後に人間国宝、故人)さんへのロングインタビューで飾りました。
松井さんとはその数年前から懇意にさせていただいていて、雑誌を発行することでも相談にのってもらっていました。
インタビュー取材をした前後のころに、松井さんは『無のかたち』というエッセイ集の出版の準備をされていたのですが、
ある時「雑誌のタイトルは決まったか?」と訊かれたので、「『無形』というのを考えていたのだけれど、先生に先を越されました」と答えました。
それから二人で雑誌のタイトルを考えたのですが、「いっそのこと、ズバリ「かたち」で行きますか」と私が提案すると、
松井さんも「それでやってみたら」と賛同していただいたので、この言葉を背負わさせてもらうことにしました。
私が29歳のときのことです。

もう一つのエピソードを紹介しておきます。
旧「かたち」は12号まで発行して休刊になり、それから4年後に復刊しました。
復刊しての5号めに、それまでのA5の判型からA4に拡大したのですが、
この時の巻頭特集に、近代日本で傑出したアヴァンギャルドのいけばな作家中川幸夫さんを取り上げました。
中川さんとはその1年か2年ぐらい前に面識を得たのですが、その最初か2回目かぐらいのときに、
「かたちのちは血の気のちだからね」と言われたのが、強く印象に残りました。
以来、私はこの中川さんの言葉を座右の銘として今日に至っておるわけです。

「かたち塾」というタイトルは、あまりに重きに過ぎて私などのとても担いうる言葉ではないのですが、
以上のような私の「来し方」というものがあって、その意味では、私にとっては非常にすっきりとしたクリアなネーミングであることは確かです。
現在の日本男性の平均寿命からすると残された時間はあと20年ほど、常人の状態で活動できる期間は正味10年ぐらいのところと考えると、
「かたち塾」で最後を締めることができれば、私にとってはこれ以上望むべくもない幸福であると言うほかありません。

ではみなさん、良い年をお迎えください。

「かたち塾」の内容についての詳細はHPでご覧ください。
当ブログの次回でも、第1回目のご案内をいたします。



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