モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

日本的りべらりずむⅩ『源氏物語』のりべらりずむ⑤浮舟は二代目「わきまえない女」

2022年08月30日 | 日本的りべらりずむ

後半のクライマックスは、「宇治十帖」と呼ばれている最後の一〇巻に語られている物語で、主な登場人物は、薫大将、匂宮、八の宮、大君、中君、浮舟です。

薫大将は、柏木と女三の宮の間にできた子で、表向きは光源氏と三の宮の子供ということになっている。匂宮は光源氏の孫(明石宮と今上帝の第三皇子)。八の宮は光源氏の異母弟で皇位をめぐって光源氏と対立し、源氏が権勢をほしいままにしてからは失脚して出家し、宇治に引き籠る。大君・中君姉妹の父親。浮舟の腹違いの父でもある。
薫大将と匂宮は平安期物語文学を彩る男性登場人物の二大タイプを表していると言えるでしょうか。匂宮は“色好み”、薫大将は女性にはあまり関心を示さず、仏道に憧れて精神的な世界を志向する人格者のイメージで描写されるところから始まります。

以下、あらすじを紹介しますと――、
薫は八の宮の噂を耳にして宇治の山荘に訪ね、そこで大君に出会って思いを寄せる。薫と八の宮の親交は数年続き、やがて八の宮は病に伏せ、亡くなる前に二人の娘の後見(うしろみ)を薫に託します。薫は匂宮を宇治に誘うなどして姉妹との間を取りもち、匂宮は中君を都の邸宅に迎え入れる。大君は中君の将来を案じて独身を通すことを決意し、薫の思いを受け入れずむしろ中君との間を取り持とうとしたりしますが、やがて衰弱して死んでいきます。その後薫は、匂宮が中君に対して冷淡になっていく様子を見て中君への思慕を起こしたりして、優柔不断さと俗物性がだんだんと露わになってきます。
そうこうしている内に、八の宮が愛妾との間にもうけた娘、浮舟が母親に連れられて都に住み始め、薫はその姿を垣間見て大君と引き写しのように感じて、浮舟に心を寄せ始める。匂宮も浮舟の存在を知って同じように心を奪われます。かくして薫、匂宮、浮舟は三角関係に陥ります。

浮舟の母親は下級貴族と結婚して娘を連れて東国に下りますが、浮舟は八の宮には娘と認知されず継父には疎んじられ、都に戻ってからは、匂宮の北の方となっていた中君の庇護を受けながらも、縁談の相手を探す母親の奮闘も空しく破談になったりして、浮舟は肩身の狭い思いをして暮らしていました。それがやがて薫と匂宮との三角関係に陥るわけですが、宮中での生活でも貴公子との三角関係でも浮舟は次第に閉塞的な状況に追い詰められていって、ついに自らの命を断つことを決心するに至ります。しかし思いは達せられず、宇治の山中に行き倒れているところを比叡山横川の僧都に助けられて、僧都の妹尼の庇護の下に養生の生活を送ります。その間に浮舟もまた出家を切望し、その思いは僧都の手によって遂げられます。
薫と匂宮は浮舟が行方をくらましたことに衝撃を受けますが、やがて、もうこの世にはいないと諦めかけておりました。ところが横川の僧都の話を介して薫は浮舟が生きていることを知り、浮舟に和歌や手紙を送って都に帰ってくるように勧めますが、浮舟はこれを終止拒否します。業を煮やした薫は自ら浮舟を迎えに行こうとし、彼女が潜んでいる館の近くまでやってきたところで、源氏物語全巻が閉じられます。



浮舟は薫に会って彼の申し出を受け入れるのかどうか、あるいは薫を拒否して匂宮が訪ねてくるのを待ち彼の庇護を受け入れるのか、
はたまた、薫にも匂宮にも会わず、出家したまま仏道に挺身していくことを選ぶのか、浮舟のこれからの生き方が気になるところではあります。

『窯変源氏物語』というオリジナル小説を書いた橋本治さんに『源氏供養』というエッセイ集があります。

その中で、浮舟は自分の庇護者として薫と匂宮のどちらを選択するだろうかという問題に対して、
「どちらも選択しない、という選択をした」と解答しているのを、私はなるほどと思いました。

浮舟の今後は、薫とも匂宮とも決別して、まったく異なった人生を歩んでいくだろうということです。

とすれば、それはどんな生き方になるでしょうか?
私は二つのケースを予想しました。

一つは、第三の男性が現れますが上級の貴族ではなく、国司として地方に赴任するのに付き従い、武士の胎動など地方の新らしい息吹に浸っていきます。

数年後に再び都に帰り、薫や匂宮に再会するけれども、彼らとは距離をとりつつ、宮中の人事に深くかかわっていく、という筋です。

これはしかし、武士の胎動という新しい時代の空気を体験するには時代的に少し早すぎるかも知れませんし、
紫式部に地方の状況を活写する観照データがまだ蓄積していない可能性があります。

もう一つは、男女の立場を逆転した“色好み”の物語です。

つまり、浮舟を女性版“色好み”のヒロインとして活躍させるということですね。

これならば、小野小町、伊勢、和泉式部といった先輩女性のモデルに事欠きません。

前者の案にしろ後者の案にしろ目指されているのは、女三の宮に続いて「わきまえない女」の路線を求めていくことです。

それは今日風に言えば、人間の自由を求めて平安貴族社会の拘束枠を超えていく想像力の挑戦ということに他なりません。
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