近世までの日本文芸史上で「物語」文学が盛り上がりを呈するのは2度あって、
1度目は『源氏物語』を要とする平安期、2度目が上田秋成の『雨月物語』に代表される十八世紀後半(江戸後期)の読本ブームの時です。
読本ブームは、江戸前期からはじまる木版印刷技術の進歩によって書籍が庶民レベルまで広く行き渡るようになったことと、
中国で白話小説という、俗語で書かれた小説が日本でも盛んに読まれるようになったことが主な理由と考えられます。
この時期の物語作者は白話小説や本邦物語文芸の果実からネタを得ながら、模倣や創意をない混ぜて新しい物語の創作を始めていったわけですが、
どういう物語を創っていくかについては、『源氏物語』などを手本にしながらあれこれ思案を重ねていったようです。
『雨月物語』は秋成30歳代の創作で、交流のあった他の読本作者の影響を受けつつ、和歌や古典文芸の研究、
さらには江戸期になって創始された国学への関心などからの成果を持ち込んで書き上げたものでした。
その後、読本作者としては長く逼塞していましたが、晩年に至って『春雨物語』の創作に取り組んでいきます。
この作品は、死没するまで10年ほどの時間をかけて何度も書き直され推敲を重ねていったために、秋成生前には刊行までに至ることができませんでした。
物語集はいくつかの異本の形で伝えられてきて、今日私たちが読めるような形にまとめられて出版されるようになったのは戦後になってからです。
『春雨物語』は、そのようなわけで未完成といえば未完成なのですが、
そもそも「物語とは何か」というような問題意識の設定の下では、
近世から近代へと展開していく創作意識をめぐる根源的な問い掛けを含むテキストとして、
ここでは『春雨物語』に焦点を当てて紹介していきたいと思います。
このテキストに対する研究者諸家のさまざまな解説や論考は、ある一定の方向性を有した創作論のようなものが獲得されているわけでもなく、多彩な解釈が繰り広げられてきています。
しかしどの研究者の論考にも共通しているのは序文への言及で、秋成の“物語”創作論の基本的な考え方が表明されています。
短いものではあるのですが、その表現はかなり込み入っていて、解釈はいろいろと成り立ちそうです。
次のように書かれています(現代語訳を出しときます)。
「昔近頃の出来事など、まことと読んで人に欺かれてきたものを、己(おのれ)またこうして偽りと知らずに人を欺いている。それもよい。絵そらごとを語りつづけて、正史であるとありがたく読ませる人もあるのだからと、ものを書き続けていると、春雨は外にひとしお降り続けることである。」(小学館刊『新編日本古典文学全集78』より)
世の中の出来事や歴史上の事実ということと、物語としてひとつの虚構を組み立てていくこととの間の関係が、
物語作者と古典・歴史の研究者を兼ねた秋成の“創作”に対する態度(倫理観)とか、作者(秋成)と読者との関係、といったことも絡んできて、相当複雑に込み入ったヴィジョンが、この短い文の中に埋め込まれているようです。
私が最初に『春雨物語』を読んだときの印象は、生涯の集大成として書いているなというものでした。
その生涯の集大成を10の物語に分けて語っていますが、これをテーマ別にカテゴリー化して分類するとすれば、私の案としては以下のようになります。
1.歴史語り――「血かたびら」「天津処女」「海賊」
2.人の世語り――「二世の縁」
3.和歌論―――「目ひとつの神」「歌のほまれ」
4.人倫(人の道)――「死首の咲顔」「宮木が塚」「捨石丸」「樊噌」
次回から、この4つのカテゴリーに即して、解説を試みていきます。