渋谷区立松涛美術館で開催されている「スサノヲの到来」という展覧会が面白く感じられたので、ここに報告することにしました。
日本神話に出てくる天照大御神の弟スサノヲの事跡をテーマにして、縄文土器から絵画、彫刻、工芸品、古文書、歌、書蹟、松尾芭蕉、平田篤胤、南方熊楠、田中正造、出口王仁三郎、折口信夫らの関連資料や、近代の美術家の作品、さらには現代造形作家の作品までを展示して、「スサノヲ的なもの」の摘出とその現代的な意義を探り出そうとしています。
「スサノヲ的なもの」とは「“日本的”とはどういうことか」と言い換えてもいいでしょう。
自然・人事にわたって次々と生じてくる現今の異変のさなか、日本列島における「ひとつの原点回帰」を促そうとする意図の下に企画された展覧会です。
この種の展覧会はウルトラナショナルな雰囲気を漂わせる傾向があるとして敬遠する向きもあるかと思いますが、
この企画は決してそういう曰くのあるものではなく、むしろ事態を武力で解決していこうとする為政者の意向に対して、「ことばひいてはうたの力」で「言向け和す」意思と知恵の系譜を浮き立たせていこうとするものです。
今日本が直面しているさまざまな問題、そしてこれから向かうべき方向といった問題に対しての、ことばやうたそして芸の力が秘めている可能性を探っていこうとするものです。
私自身も「かたち」ということばを看板に背負ってる人間として、看過できない内容が含まれています。
「かたちのちは血の気のち」であり「日本的なるもの」の根源的な生命力やエネルギーを象徴するものですが、この「ち」をいかに発現させていくかという問題意識にとっては、示唆されるものがいろいろと提示されていることを感じました。
たとえば、この展覧会でその存在を初めて知った長谷川沼田居(しょうでんきょ 1905-83)という画家の、60歳代の後半から70歳代の晩年の10年間を眼球摘出による全盲状態で描かれた作品がとても印象に残りました。(上の写真は、水墨の作品「日月」)
解説文には「意識光」という表現でこの画家の内的世界が解説されていますが、要するに「精神の内側から発してくる光」のなかで絵を描いたわけです。
その「精神の内なる光」というのがとても興味深く、それは「かたちのち」と深く関連するものであると感じました。
「かたちのち」をいかに発現させていくか、この展覧会により大いに挑発されたように思います。
それから、塩香の作品が出品されている栃木美保さんの、塩香(モイスチュア・ポプリ)を作るワークショップが会期中にあり、これに参加してきました。
塩香は草花の香りを塩の中に詰めて、香り永く愉しもうというオブジェクトです。
日本の伝統文化の中に香道があるように、臭覚をはたらかせる自然観賞も「かたちのち」に由来するものだと思います。
そのように、香りを介して自然のディテールと親密な交感を行っていくことを栃木さんは提唱する創作活動を展開していて、この展覧会にも作品を出品しているわけです。
(上の写真は向かって右が私の塩香。シナモン、ラベンダー、レモン、月桂樹が入ってます。タイトルは「沼田居」とつけました。
展覧会は9月21日まで。
詳細は松濤美術館HPをご覧下さい。