モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

「使うことは作ること」について(続き)

2009年08月22日 | モノ・こと・ことば


かたち21のHP






去る6月に「女の手仕事5人五様」という展覧会を企画・開催しましたが、
その会場である「可喜庵」のブログの展覧会終了報告の中で、
「これからは使い手の批評性を引き出していきたい」
という私のコメントを紹介していただいてます。(6月9日の記事
「使い手の批評性」というのは言葉としてはちょっと堅苦しいですね。
とりあえずは使っている現場からの声にアプローチしていこうということです。

前回の記事の最後に、日本の伝統文化は「使うことは作ることである」文化だと書きましたが、
それが生きていた時代というのは使い手の意識もすごく高かったんです。
ある意味、使い手がその時代の文化を育てていったと言ってもいいぐらいです。
作り手と使い手が丁々発止のやりとりをしてたんですね(見てきたみたいな言い方ですが)。
そういう意味での「批評の言葉」というのは重要な役割を持っています。

そんなわけで、「かたち21」のHPに「使うかたち」というサイトを開設しました。
さしあたっては「批評」などといったたいそうなことではなく、
ささやかであるかもしれませんが、使い手の率直な感想の言葉を
紹介していくところから始めます。
オモシロソーと思ったら、ご愛用の工芸品、美術品など、ご紹介ください。
投稿を希望される方はどなたでも、HPの「お問い合わせ」経由で連絡OKです。

作り手ばっかりがエライわけではありません。
作り手と使い手が対等になっていって初めて文化が育っていきます。
そういうことをやっていきたいんですね。


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「使うことは作ること」について

2009年08月07日 | モノ・こと・ことば

「かたち21」のHP



最近、「使うことは作ることだ」というリクツを考えているのですが、
それを説明する前に、「作ることは使うことだ」というのを説明しておきます。
「作る」ということは、なんにしろ材料とか道具を使って作るということですね。
たとえば「絵を描く(作る)」もキャンバスや絵の具や筆やを使って描きます。
その意味で、「絵を描く」とは「キャンバスや絵の具や筆やを使う」ことであるというわけです。

やきものだと粘土とか釉薬とかの材料に、電動ロクロとか電気・ガス窯とかその他道具がいろいろあります。
つまり陶芸の創作には、粘土や釉薬や電動ロクロや電気・ガス窯
その他諸道具を消費するということが付随している。
言い換えれば、陶芸創作は材料や道具などを消費していくプロセスと見ることもできますが、
今日の経済社会というのは、「陶芸創作」の意義をそのあたりに見出していると私は思います。
「作る人」は自己表現をしているとか趣味を楽しんでいるとか思ってるかもしれませんが、
経済社会の中での意義は、「材料や道具を消費する人」という位置づけをされています。
それが「作ることは使うことだ」ということの意味です。

今日における「個人」の価値というのは、消費力をどのぐらい持っているかというところで計られる傾向があり、
いくら稼いでも結局最後は全部持っていかれてしまうということになりそうです。
「消費から消費へ」というサイクルの中に身を置くとそういうことになりかねないので、
そこから抜け出すひとつの考え方として、「使うことは作ること」というリクツを提示したいと思うわけです。

たとえばお茶を飲むのに湯飲みを使いますが、
湯飲みを使ってお茶を飲むことでお茶がおいしく感じられたり、気持ちがホッと安まったりします。
おいしく感じるとか、気持ちが安まるといったことは、自分の時間を過ごすということで、
そこから何かが生まれ(作られ)てくるということも起こりえます。
この場合湯飲みを使うということも、ただ消費するというだけではなくて、
湯飲みと使い手である自分との間に、ある関係が発生してくることが多いようです。
使い捨ての紙コップではそういうことはほとんど起こりえないでしょう。
モノを使うことで自分の時空を作るとか、モノとの間にある関係を作るといったことが
「使うことは作ること」の意味です。
「作ることは使うこと」とは大違いであることがわかっていただけるでしょうか。

日本の伝統文化というのが「使うことは作ること」の文化なんですね、実は。



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