モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

岸野 承の木彫②

2012年01月21日 | 岸野 承の木彫


この木彫は、昨年の11月6日の記事で紹介した岸野承さんの作品です。
「雲水」というタイトルで、素材は樫の枝、高さは約40cmほどあります。
12月の「アートでおもてなし展」の期間中、ずうーっと見続けてきましたが、
見れば見るほどどんどん作品の世界に惹き込まれていく不思議な魅力のある木彫です。




ある一人の年配の女性の方がこの「雲水」に見入ってました。
近づいて声をかけると、この雲水さんはお顔もいいし、
全体のお姿にも尊い感じがありますと感想を述べられました。
それから裏の方を覗き込んで「裏側もいいですね」と言うので、
裏側を正面にして私も改めて拝見したところ、確かに裏もいいんです。
私は特に背中から足元にかけての削りの面の起伏、その流れと
面と面が出会って生じる「線」の流れとに、見入らされてしまうものを感じました。




仏像彫刻をめぐって岸野さんとメールのやりとりをしたことがあります。
大略、二つのポイントがあって、
ひとつは素材と向き合って仏の「お顔」の量を絶対的に決定するということ、
もうひとつは、形態を面で囲んでいくというような方法です。
「お顔」の量を絶対的に決定するということについては、
中国の六朝時代(4世紀~6世紀)石仏や朝鮮半島の石仏、
日本の飛鳥時代の仏像などを例に挙げて話しました。

形態を面で囲んでいくという方法については11月6日の記事でも少し触れましたが、
その意味するところを更に掘り下げて考えてみたいと思います。
「形態を面で捉える」ということならば、西洋の彫刻の方法でも、
全体を大づかみする方法として大きく面取りしていくやり方がオーソドックスです。
岸野さんの方法はそれとは異なるもので、比ゆ的に言えば、
「素材の中から面を見出していく」というような感じです。
そしてひとつの面を見出したあと次にどう展開するかについては、
「そのイメージが出てくるまで待つ」というような言い方をします。
つまり即興的とも言えますし、素材との対話を続けていくというふうにも言えます。
そういうプロセスを通して、作者はどこに至ろうとしているかということが問題なわけですね。

山を遠望するとその山の形があるように見えます。山の形は輪郭線で表わされます。
しかし山に近づき、山の中に入っていくと、その形や輪郭線は消えてなくなります。
そこで改めて「山の形」とは何なのかという問いが発生します。
山の中に入ると山の形は面の連なりとしてのみあり、その面の連なりを体験することが、
体験した人の「山の形」となる、と考えるのはいかがでしょうか。


岸野さんの作品は〈「かたちの会」コレクション〉のサイトでも展示中。


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