近松秋江の数多ある短編集のなかで「青草」という植物類を現わす普通名詞だけをタイトルにつけている小説は珍しい。少なくともこの小説が収められている全集第一巻では、39篇の作品の中にこの一篇だけです。そのほかはほとんどが人事に絡んだタイトルがつけられています(「雪の日」「春の宵」「春のゆくゑ」という時候を表すものはありますが)。
四百字詰原稿枚数にして四十数枚ほどの文量のなかで「青草」という言葉が出てくるのは3箇所で、しかも各々極く短い一文に収まっています。
三番目に出てくるのは小説の最終行をなしているのであとで引用しますが、途中2箇所の文を、解説抜きでただ文だけをここで紹介しておきます。
「(浅海が散歩中に通りがかった)溝の縁には足の踏み場もないまでに盛に青草が萌えてゐた。」
「青草を蒸すやうな強い日が照った。自分の感情の疲れた浅海は、焦々(いらいら)する心地で思ひに任せぬ日を消していた。」

小説の大筋は、主人公浅海(中年の独身の男性)が逗留する大阪の南海電車沿いの温泉街に、浅海が独身の恋情を思い詰めている遊女江口が訪ねてきて、しばしの時を過ごすというだけの話で、物語的な感興は特にありません。
道具立てとしては、“桜”が一つのキーワードになっています。
小説の冒頭は、浅海が逗留する宿楼の庭園の桜が盛りを過ぎて花びらを散らしていく時候がが描写されています。
回想シーンでは、浅海と遊女江口が連れ立って文楽の「義経千本桜」を観劇している場面が語られ、爛漫たる春の景状に飾り立てられた舞台が描かれます。
浅海が江口を思い詰める気持は、尾崎紅葉が創作した『金色夜叉』の間寛一、『多情多恨』の鷲見柳之介の、「切ない悲恋に身を慨(なげ)き、人を怨」む心情に重ねて表明されます。
そこには以下のような文章が置かれています。
「近頃芸術の自然を説く者の作に、理由(わけ)もなく唯嫌つてゐた柳之介が、友人の妻お種を只管(ひたすら)懐しがるに到る、如何にも自然な前後の情景を宛(さ)ながらに描いてゐるのも無かつた。」
青草は“桜”との対照の中で、小説空間のほんの一隅にさりげなく位置を占めるのみです。
その“桜”というのも、盛りを過ぎた散り際の桜であり、文楽の舞台においては、残酷な折檻を受ける中将姫の物語や、義経千本桜における静御前の吉野山の別れの舞いを伴った、、陰影のある桜です。
そうして小説『青草』の最後は、浅海と江口が宿楼で寿しを食べたりして数時間を過ごしたあと、大阪に戻る江口を南海電車の駅まで送っていく道中のエピソードを叙して閉じられます。その場面を写しておきましょう。
「『もう帰るわ。』
『ぢゃ、電車まで送ろう。』
先刻の拾い草原にまで出ると、
『ちょっと待って頂戴。私、此処に小用(しい)をするわ。』
『ぢゃ、今自家でして来ればよかったに。』
『でも、可笑いわ。階下(した)で屹度(きっと)さう思ふもの。』
さう言ひつつ、早くも暗の中に白い脛を捲くるのが見えてゐた。
翌朝、浅海は、また其処を散歩すると、青草は伸々としてゐた。」
桜の艶美を愛でるのも興趣あるところであるが、私はどちらかというと名も無い青草の、伸々と萌える景状に、素直に心を惹かれるものがある、と言おうとしているように筆者には感じられます。
これが、遊興の巷を彷徨し遊女との交情を重ねてきた近松秋江の、“自然観”の到達点とは言えないでしょうか。
今回をもって、『初期私小説論』のシリーズを終えます。
次回からの企画は「日本近代人の魂のゆくへ」を考えています。
しばらくお休みをいただきます。