モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

日本語の「見る」と「ながめる」

2020年07月31日 | 「‶見ること″の優位」

始めにお知らせ
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ブログタイトル:「侘びのたたずまい——WABism事始め」


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「見ることの優位」に関しては、今後は、書き残した事柄を思いつくままに、書いていくことにします。
題して「見ることの優位・拾遺」です。

今回は、「見る」という日本語について、総論的な観点から言及しておきます。
古典の和歌や物語に接していると、「見る」とか「ながめる」といったことばにしょっちゅう出会います。
そういう経験をたくさん積み重ねてきて、伝統的な日本文化において「見る」「ながめる」という動詞が極めて重要な意義を有していることが分かってきました。

先に「ながめる」の方から言いますと、漢字表記では「眺」と「詠」の二つの漢字が使われますが、
「眺める」は、①じっと長い間見ている・もの思いにふけってじっとひと所を見ている、②見渡す・遠くを見はるかす、という意味があり、
「詠める」は、動詞「詠(よ)み」を基本語形として「よめる」「ながめる」と読んで、①声を長く引いて吟ずる、②詩歌などを作って口ずさむ、といった意味があります。
ひらがなで「ながめ(る)」と表記されているのに出会うと、「もの思いにふけってじっとひと所を見ている・見渡す・和歌をよむ・和歌を口ずさむ」といった意味が重層して思い浮かべられて、含蓄の深いものに感じられてきます。
両方を合わせると、

日本語の「ながめる」ということは、「何かの対象をじっと見詰めて、物思いにふけっているうちに生まれてきたことばを使って、歌を詠む」

というプロセスが浮上してきます。

私が思うに、これは日本的な思惟の特徴を表しているいるのではないでしょうか。
日本人は論理的な思考があまり得意ではない、ということが昔から言われてきていますが、
思考する、考えるということは、論理的でなければならないということは必ずしも言えないわけで、
「ものを見つめじっと物思いにふけりながら、歌をうたう」というような思考(思惟)の在り方もあるのではないかという気がします。
もしそれが認められるならば、日本人は古来そのようにしてものを考えてきたと言えるのではないかと思います。




「ながめる」の原義とも言い得る「見る」については、
今年、中西進さん(万葉集の研究者。現在の元号を提案したと言われている学者さん)が著した『万葉集原論』(講談社学術文庫)という文庫本が出版されましたが、
その中に「古代的知覚――「見る」をめぐって」という文章を見つけました。
これを読む前に、万葉集に収められた歌を素読みしたところ、全巻を通して「見る」という言葉のなんとおびただしく使われていることかと、今更ながら驚いてしまいました。

「古代的知覚――「見る」をめぐって」の中から、印象に残るフレーズをかきだしておきます。
「このように目には生命がやどり、「見る」ことは生命の発動を意味した。古代人の生命の中核は魂であったから、いいかえれば「見る」という知覚は、タマの発現であり、その魂合いによって「目合」が行なわれた。
こうした目の呪性は、「見る」ことの呪能を示している。古代人における基本の近く足る「見る」は、かかる呪能をもった行為であった。」(p.383-384)

「…月光の中に人の「見る」ことが「顕れる」と呼ばれる状態であった。この原形「顕る(ある)とは、「見られる」ことだったわけで、「見る」ことによって「ある」動作が生じるといえる。「ある」と「在り」を同根と見てはいけないだろうか。もしそれが許されるとすると、「見る」ことによって存在が生じることになる。逆にいえば、存在とは「見られる」ことであった。」(p.395)



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"数の観照″としての現代数学

2020年07月21日 | 「‶見ること″の優位」


関数f(y=f(x)のf)はその呼び名にも示されているように、数の一種と見なされます。
そして自然数や実数と同じようにその数が無数に存在する場合も認められます。
そこでその中からなんらかの観点で共通した性質を持つfを集めてグループを作り、
その要素のひとつひとつにf1, f2, f3, …, fm, …fn, … と符号をつけるとすると、
それらの要素の間でまた新たな関数(広い意味での比例)関係が見出されることが予測されます。
すなわち、fn =g(fm) (m, n は任意の自然数)の形に表されるような関数gの存在の可能性です。
このgはいわば“関数の関数”であり、fよりも一段グレードが高くてfを包括する関数といえるでしょうか。
そしてさらに、関数gにもグループを形成する可能性が予測され、gn =h(gm)と表されるような、gよりも一段高いグレードの関数hの存在が予測されたりします。
このようにして、“関数の関数の関数の…”というような現象が想定されるのですが、
要素の数が有限であることもあったり、最終的に一つか二つの関数に包括されていくこともあるようです。

さて、上記の関数f, g, h, … は、f(x+y)=f(x)+f(y) (fのところにはg、h、…の代入が可)といった関係が認められるとき(これを“(x,y)と(f(x),f(y))は自己同型”といい)、“不変量”とも呼ばれます。
もう少し正確に表すとすれば、y=f(x)において「fはyを値にとるxの不変量」というような言い方になります。

不変量の“不変”という言葉の意味は、「いくつかあるものが一見みな異なったもののように見えながら、実は同じ仲間と見なせる」ということです。
あるいは、「xにある操作(変換)fをほどこしても見かけは変化がないように見える」という意味でもあります。
「同じ仲間と見なせる」根拠、「変化がないように見える」操作(変換)を示すのが関数(不変量)fであるわけですが、
上記のように、f→g→h→…と関数のグレードが上がっていくにつれて、“不変”性の度合いが高くなっていく(より包括的になっていく、より抽象化されていく)と解釈されます。
こういった“不変量”の概念は、数の世界を扱う数学と、アナログ的な世界で存在感を発揮するヴィジュアル表現の世界とを結び付けます。



具体例を出しましょう。
ヴィジュアル表現(造形)の世界では、シンメトリー(対称性)ということが、古来より美の規準として考えられてきました。
シンメトリーというのは、たとえば左右対称のものであれば、「鏡に映す」という変換操作が行われて左右が入れ替わった像になるのですが、見かけ上は変化が認められません。
正三角形の図形は60度回転しても元の形と同じに見えますし、正方形は90度の回転でやはり見かけ上の変化は認められません。
以上の例は、“鏡に映す”とか、“回転させる”といった変換(関数)操作が、シンメトリーという図形の性質についてのある“不変量”を表わしているわけです。
数学の世界では、“鏡に映す”(鏡像対称あるいは左右対称)、“回転させる”(回転対称)、それから“平行移動する”(並進対称)といったシンメトリーをめぐる不変量を定数化しています。

シンメトリーという現象がこの世界(私たちが存在している世界)でなぜ成立しているのかというと、究極は空間そのものの在り様に行き着く(f→g→h→…が行き着く)ようです。
さて、20世紀を代表する数学者の一人ヘルマン・ヴァイル(1885-1955)は、生涯を締めくくるにあたって『シンメトリー』という本を遺しています。
その最後の章のタイトルは「結晶 シンメトリーの数学的一般概念」というものですが、
その中から印象的なセンテンスを紹介しておきます。

「シンメトリーという点から、空間内の幾何学的な図形を研究するまえに、やはり空間そのものの構造を調べてみなければならない。空虚な空間には、高度のシンメトリーがある。あらゆる点は他の点に似ているし、1点においては、ことなる方向の間にもなんの内的な差別もない。」

「客観性とは、自己同型群に対する不変性であることがわかった。事実上の自己同型群は、なんであるかという疑問に対して、(中略)数学者は、、ある変換群にたいして、どうしてそのインヴァリアント(不変関係、不変量等)を見出すか、という一般的な問題を提起する。」

「現代数学の指導原理になったもの、それはつぎの教訓である。‘構造をもった実体Σをとりあつかうときには、いつでも、その自己同型群、つまり、すべての構造的関係を変えない1対1対応の群を見出すようにせよ。’このやり方で、Σの構成に対する、深い洞察が得られるであろう。」

最後のセンテンスは難解かもしれませんが、要するに西洋文明における“数の観照”の20世紀時点での到達点を言い表していると私は読み取っています。
(“群”という言葉は、シンメトリーな事象を数学的に表現するにあたっての文法的な基礎を提供する数学領域を指しています。)

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近代的“数の観照”の宿命——数値化できるものが存在を認められる

2020年07月10日 | 「‶見ること″の優位」

任意の二つの数mとnの間の関係を表わす仕方にm=f・nという数式を使うやり方があって、
この場合のfを関数と言い、シンプルなところではy=ax+b(a,bは定数)のような方程式、あるいは高校で学ぶ二次方程式とかも関数とみなされます(数学全般で言えば、関数の世界は広大で複雑です)。
つまり関数は広い意味での「mとnの間の比例関係を表わす」と解釈することが可能かと思います。

そのように解釈すると、西洋文明における近代の認識方法は、m=f・n(もっと一般的にはy=f(x)と表わされる)という、
広い意味での比例関係を表わす数式に支配されてしまった、ということが言えるかもしれません。
科学的認識方法というのがこれで、要するに、観察データを数に置き換え、データ間の関係からy=f(x)で表わされる数式を導き出していく(逆に、その数式を使って観察データを数に置き換えていく)わけです。

“数の観照”という言葉を使うならば、“数の観照”をy=f(x)で表わして客観的な(さらには主観的な)現象世界を支配していくことを会得したのが、西洋の近代(科学)文明ということになります。
言い換えると、認識されるものは数に置き換えられるということであり、存在が認められるものは数に置き換えられるものとして存在するということです。
ということは、数に置き換えられないものは認識されることがない、つまりその存在が認められることがないということになります。



たとえば、社会科学としての経済学の文献に出てくる“富”という言葉を経済学辞典で調べてみると、そもそもその項目が扱われていません。
なんでかなと考えてみましたが、私の結論は“富”という現象は数に置き換えることができないから、ということになりました。
実際、“富”をどう定義するかというのはとても難しい問題のように思えます。
たとえば、自分が住んでいるところは自然が豊かであると感じ、その豊かさを享受しながら暮らしていけることをひとつの“富”として受け入れる場合、
あるいは家族に恵まれて、家族とささやかながらも不足のない日々を過ごしていけることを自分の“富”と見なせる場合、
その“富”の量はどれほどのものかということは、それを数値化して表わすことはとても難しいのではないでしょうか。

他方、“財”という概念は貨幣の量に換算してその量を計ることができるという意味で、その現象を数に置き換えて記述することができます。
たとえば、自分が住んでいるところの自然が豊かに感じられているとして、
その敷地面積が○○㎡あるので地価はいくらである、というふうに、
“自然の豊かさ”を地価に換算して数値化する場合には、“自然の豊かさ”を“財”として見ていることになります。

“財”については経済学辞典でも項目に挙げられている、というか、経済学の基本的な概念として何ページにもわたって解説がされています。
かくして近代経済学においては、“富”という現象は学的研究の対象とか商取引の媒体としては認められず、
経済現象は“財”の交換過程として対象化され、研究され、実践されていきます。

数値化されない事象は存在しない。
これが近代的“数の観照”の帰結であり、宿命であるということになります。
現代社会にはこのように、数値化する方法が見出されていないために存在が認められないブラックマターのようなものがいっぱいあるのではないかと、筆者は思っています。

そういえば、俗称ホリエモンなる御仁がIT関連企業の社長を勤めていたときに、
「貨幣で手に入れられないものはこの世にはない」と言ったとか言わなかったとか、聞いてますが、
それは単に、「この世には数値に置き換えられるものしか存在しない」と言ってるに過ぎないということだと思います。
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デカルトーー「二つの数は比例関係を表す」という観方

2020年06月30日 | 「‶見ること″の優位」

ルネッサンス期あたりまでは、数は象徴的な意味合いを托されたり、神秘思想との繋がりで意味づけられたりしてましたが、
近世に入ってくると、科学的な観察のデータに使われたり、合理的な思考を補助するようなはたらきを托されてくるようになり、
19世紀以降になると、科学的・数学的な法則を表わしたり工学的な計測の結果を表記する場合の基本的なメディアとして不可欠のものとなります。

いわば近代数学の世界が始まっていくわけですが、その端緒あたりに位置するのが、
「われ思う、ゆえにわれ在り」で知られた16世紀フランスの哲学者デカルトです。

デカルトは数学の領域でも業績を残していて、よく知られているのは、幾何学と代数学を繋げて、
幾何図形を代数学的に解析したり、代数学領域で得られる方程式を幾何図形を使って解く方法を確立しました。
いわゆる幾何代数学といって、近代数学の基礎ともいうべき科学です。
“数の観照”の歴史としては、象徴的な意味づけや神秘思想から脱却して自律的な論理世界を築いていくことになる、画期的な出来事と言えるでしょう。



デカルトのテキスト『幾何学』は、幾何図形の作図システムと代数学における演算(加減乗除)とを関連付けていく方法を記述していくところから始まっています。
そこで目に付くのは、線分と線分の比例関係を手がかりにしてそれを代数の演算に置き換えるというようなやり方、
つまり、“比例”という関係を媒介にして幾何学と代数学を繋いでいるということです。
西洋文明における“数の観照”の基底にあるのは、“比例”関係を見出していくことであるということがここで実感されます。

それは、象徴的には音階の協和音に音程の比例関係を発見したピタゴラスに始まり
古典ギリシャの建築や彫刻では、黄金比を基本的なモジュールとして、
部分と部分、部分と全体の比例関係や、身体のプロポーションの中に美を創造していった例が顕著に示しています。
ルネッサンスが発見した遠近法にしても、同じ大きさのものが「遠くにある場合にの小ささ」と「近くにあるときの大きさ」の比例関係を、平面上に写し取るという方法で実現したのでした。
かくして西洋の伝統においては、“数の観照”と“美の創造”とは同根異花なるものと見なされてきたわけです。

さらに普遍化して言えば、二つの数が与えられればそれを常に比例関係において捉えていこうとする意識のはたらきが、西洋の文明には底流しているということでしょうか。
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西洋の遠近法(続)ーーアルベルティの『絵画論』

2020年06月19日 | 「‶見ること″の優位」

西洋の中世期における“観照(または観想)”が、キリスト教神学や教会の信仰生活においてはもっぱら個人の内なる世界に向けられていて、
外なる(客観の)世界に対しては閉ざした状態であったようだということは、アウグスティヌスのところで一言触れておきましたが、
ルネッサンス期になると、“観照(観想)”が外的世界にも向けられていくようになります。

ルネッサンスが古典ギリシャ文化の復興を意味していたとともに、人文主義と言っていわゆる“人間中心主義”の文化を目指していく始まりとしての意義もともなっていました。
絵画表現における遠近法の発明と研究が進行していくのもちょうどこの時期(15世紀前半)にあたるわけです。

遠近法は、目に見える世界を平面上に移していくにあたって第3次元(奥行き)のリアル感を出すために、
幾何学(数学)的に、システマティックに分析して作図していきます。
今風に言えばデジタル的アプローチですね。

しかしその土台は人間の視覚(外的世界を見るはたらき)への関心に発しているわけで、
その意味では、目の網膜に外的世界が映像として写しこまれるメカニズムに追求の心が向けられています。

ルネッサンス前期の、絵画について論じた文献でよく知られているものに、アルベルティとイタリア人が書いた『絵画論』という本があります。
アルベルティは絵画、建築、音楽に秀でていたのみならず、数学、法学、詩学、古典学などに通じていて、
ルネッサンス期の文化的特徴と言われる「万能的天才」の最初の典型的な人物とされています。
『絵画論』や『建築論』は今日まで読み継がれている芸術学の基本的文献とです。

『絵画論』が出版されたのは1430年代で、遠近法の誕生と研究の歴史では、建築家のブルネレスキ(アルベルティより30歳年長)による遠近法の発見から、
『絵画論』の影響を受けたピエロ・デッラ・フランチェスカ(絵師にして数学者)やレオナルド・ダ・ヴィンチが遠近法を完成の域に持ち込むまでの間のことです。

遠近法の技法についての記述に具体性の欠けるところがあるにしても、客観的世界を肉眼で捉えていこうとする新しい絵画の方向性を指し示した理論書としての意義は充分に認められます。

そこでは、遠近法の根拠となる視覚のメカニズムへの理解が表明される一方で、「自然から学べ」「自然をよく観察せよ」ということが再三にわたって主張されています。



印象的な箇所を引用しておきましょう。

「さて、絵画が見られた対象を表現しようとするのだから、どのようにその対象が見られるかを注意してみよう。まず、物を眺めよう。これらが一つの場所を占めているものであるといえよう。ここで、画家はこの空間を描写するのに、その外郭を線で描くことを輪郭をとるというだろう。それから、それをよく眺めていると、われわれは見ている物体の多くの面が一緒に集まっているのを認める。ここで画家はその多くの面を適当な位置に描く。これを構図を作るという。最後に、われわれは面の色と性質をもっと明瞭に決定する。この場合の面の相違は、光から生まれているのであるから、それを正しく光の感受と呼ぶことができる。」

「画家たるものは、身体のすべての動きを徹底的にあきらかにするということを、自然からよく学びとらねばならない。実地にあたってみない限り、笑い顔を描くつもりでも、喜ばしいと言うよりむしろ悲しげな顔を描いてしまうのを避けることがどんなにむずかしいかを一体誰が実感しただろうか。なお、口、頤、両眼、両頬、額、眉、すべてが笑ったり、泣いたりした顔にぴったり適うような顔を、出来る限りの研究をしないで表現し得るものがあるだろうか。それゆえに、これらを自然から学び、そして観察者が現実に見える以上に、よく見えると思わせるように常にこれらのことをするのが最もよい。」

アルベルティはルネッサンス期の最初の「万能の天才」と言われた人ですが、『絵画論』の最後は次の文章で終っています。
「私のあとから来る人の中から、私以上に、優秀な才能と研究心をもった人が現われるなら、そういう人こそ完全無欠な絵画を制作するだろうと信じている。」

この文章が後世の人々そして現代の私達に予言的な響きでもって読まれるのは、まさにアルベルティ亡き後、
その意思がレオナルドの行跡に引き継がれていったという歴史的事実を、私達が確認しているからなのですね。
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西洋の遠近法――絵画と"数の観照”の深い関係

2020年06月09日 | 「‶見ること″の優位」

古代エジプトや古典ギリシャにおいては、数とビジュアル表現とは不即不離の関係をなしていましたが(象徴的には黄金比の適用など)、
ヨーロッパの中世末期には遠近法という絵画表現史上のエポックメイキングな現象が起こってきました。
遠近法というのは、周知のように平面状の支持体に3次元空間の奥行きを表現する技法を言いますが、
遠近法で奥行き感を出す技法は特に西洋の専売特許というわけではなくて、たとえば中国では西洋よりもはるか以前に、
高遠法、平遠法、深遠法といった遠近法を使っていましたし、日本でも鎌倉期の絵巻物などに、
後世に逆遠近法と名づけられることになる特異な空間表現を見ることができます。

西洋の遠近法の独自性は、平面上での奥行き認識を視覚の工学的なメカニズムと結び付けて数的な法則性を見い出し、
それを使って空間の秩序を具象化しようとしたところにあると言えるでしょうか。
そしてその空間秩序の具象的な再現を、目に見える現実の形のリアル(写実的)な表現につなげていこうとしたという観点から、ルネッサンス絵画の展開を見ていくことができます。

西洋絵画における遠近法といえば、画面の1点(多くの場合中央あたり)から手前に放射状に延びる格子状の図形などが焼きこまれていて、
画像を数学(幾何学)的・合理的に作っていく方法と理解している方も多いかと思います。
ところがその空間作りを精密に吟味していくと、意外にも不合理と思われる問題がその過程において潜んでいて、
ルネッサンス期の画家たちはその解決のために研究を重ね、苦労を強いられていたようです。
そして遠近法による客観的世界の再現は、結局、数学的な合理性と画家の表現力とを合わせることで、
完成の域へと持ち込むことができたということです。



その不合理性とはどういうことか、私の理解の範囲内で以下に説明します。
たとえばサイコロのような立方体状のものを描く場合、遠近法によって立体感を持たせようとすると、
画家の視点は立方体に対し左右のどちらか、あるいは上下のどちらかに少しずらした位置に置く必要があります。
しかし画像の完成形は立方体を正面から見たように仕上げる必要があります(観賞者は画像を正面から見ているつもりでいますから)。
斜めから見たものを正面から見ているように見せかけるために、そこに矛盾あるいは歪みが生じてくるわけです。
ものを見る場合の肉眼による見え方と、数学的に秩序づけていこうとする見方との間に矛盾があって、そこから歪みが生じてくるわけです。
それをどう解決していくかというところに画家たちの遠近法研究のモチベーションの一つがありました。

この話はどこか音楽における、十二平均率の不協和音性ということを連想させます。
1オクターブを均等に12分割すると、1音程が数的にはいわゆる“割り切れない”数になり、
十二平均率の音程で作られた近代の楽器で演奏すると、絶対音階に対して微妙にズレた音しか出すことができません。
(この意味で、絶対音階を正確に再現できるのは人間の声だけということになります。コーラスのハーモニーが美しく聴こえるのはそのためです。また、楽器の不協和音程性を生かして、音楽の“味”に変えていくのが演奏者の技にほかなりません。)
この問題は、十二平均率音階をさらに細分割していって、やがて無限音階に至り、無調の音楽を創造する現代音楽へと展開していく原動力となります。

同じように西洋絵画史においては、空間の奥行き(リアリティ)表現に向けての数学(遠近法)的なアプローチと肉眼的観照のアプローチとの間に生じる歪みが、
ルネッサンスの次のバロック的表現(空間の歪みを前面に押し出していく)を生み出す原動力との一つとなっていったと見ることができないでしょうか。

西洋の芸術表現の歴史においては、“数の観照”を媒体として音楽とビジュアルとがとても近しい関係にあったということです。

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ピタゴラスーー“数の観照”、哲学の始まり

2020年05月29日 | 「‶見ること″の優位」

西洋文明における“観照”の一つの流れとして、伝統的な思惟形式を見てきましたが、これとは別のもう一つの流れがあります。
それはいわば“数の観照”とでも言い得るような、数の性質を研究しその認識と活用を深めていった歴史です。
西洋におけるその起点として挙げられるのは、最初の哲学者とも言われるピタゴラスです。
タレス、アナクシメネス、ヘラクレイトス、エンペドクレス、デモクリトスといった、いわゆる“前ソクラテス”(またはイオニア自然哲学)の賢人達とされる人たちが、ピタゴラスと同じ時期に活動しています。
この時期は、西洋哲学史においては、“万物の根源”について考えたり追求したりすることが流行したようで、
タレスはそれを“水”であると言ったり、アナクシメネスは“空気”、エンペドクレスは“地・水・火・気”という説を立てました。
ヘラクレイトスの「万物は流転する」とか、デモクリトスの“原子説”というのもよく知られていますね。
それらはいわば“前ソクラテス”期(イオニア自然哲学)における“観照”の在り様を表していると見ることができます。
そういった“観照”の流行の中で、ピタゴラスは“数”が万物の根源であると主張した、言い換えると、“数の観照”を提唱したということです。

水や火や土や空気が万物の根源であるというのは、古代的な観念としてなんとなく理解ができますが、
“数”を万物の根源とするのは、数という現象を直感的に実感することができないので、ちょっとつかみどころがないような気がします。
“数”が万物の根源であるとは、具体的にはどういうことを意味するのでしょうか。

ピタゴラスは私達が学校の数学で学ぶ「ピタゴラスの定理」にその名を残していますが、
定理の内容自体はピタゴラス以前から知られていたことがわかっています。
ピタゴラスの業績でもっとも重要なのは、音楽における音程の仕組みを数学的に解明したことです。
すなわち、1本の弦の半分の長さで倍音(オクターブ)が得られ、オクターブの中を3分割して(今日言うところの)4度音程(4:3)と5度音程(3:2)という比例関係のあることを発見しました。
そしてこれが西洋音楽の和音構成の基礎となっていきます。



自然現象を“数”で説明していくという方法を、ピタゴラスは天文現象にも適用しました。
そのような“数”による観照方法を通して、独自の思想がピタゴラスの中で育まれていったようです。
ここから先は、柄谷行人さんの最新刊の著書『哲学の起源』(岩波現代文庫)から引用させていただきます。

「(ピタゴラスにとって)天文学は「天界の音楽」を聞くことであった。弦楽器の音を何オクターヴか高くすると、人間の耳には聞こえなくなる。逆に、人間には聞こえなくとも、数学的な認識によって、「天界の音楽」を知ることができる。そのような音楽は、感覚を超えていると考えられる。
ピタゴラスが二重世界(感性的世界/超感性的世界)という考えを唱えるようになったのは、ここからである。つまり、それはもっぱら数学に関わるものだ。数学とは物と物との関係を把握することである。その場合、われわれは、一つの疑問に出会う。物は存在する。物と物との関係も存在する。しかし、後者は物が存在するのと同じように存在するのだろうか。」
「ここで、つぎのような問いが生じる。音が存在するのと同じように、音の関係も存在するのか。しかり、とピタゴラスは考えた。」
さらにピタゴラスは、物の存在(感性的世界)よりも関係の存在(超感性的世界)こそが心の実在であると考えていきました。そして
「彼は数を実在として見た。数は「関係」であり、個物が在るように在るのではない。しかるに、関係を実在として見ること、そして、それを万物の始原物質として見出すことは、観念的実在を真の実在とすることだ。」
この考え方はプラトンに引き継がれ、西洋の伝統的哲学の基盤となる観念論哲学が始まっていきます。

ついでながら、“数の観照”は中世の神学的・哲学的思惟の中で徐々に深められていきます。たとえば、ルネッサンス期のドイツ神秘主義の思想家ニコラス・クザーヌスもこんなことを書いています。
「なぜなら、すべての数は数的一性に他ならないからです。十はすべて数的一性に由来しています。数的一性なくして、十は数でもなく十でもないでしょう。なぜなら、十は、その十であることを、数的一性に負うているからです。十は数的一性以外のものではなく、また数的一性の他に何か適合しうるものがあるかのように、この一性から何かを受け取るようなものでもありません。存在するものはすべて数的一性なのです。しかし、数としての十が数的一性を数えるのではなく、数的一性は、数としての十にとっても他のどんな数にとっても、数えられないものとして留まっているのです。なぜなら、数えられない数的一性そのものは、すべての数を超越しているからです。」(『神の子であることについて』より)

アリストテレスかヘーゲルに至る西洋的思惟の背骨をなす命題の一つに、「現実的なものは理性(合理)的である」というのがあります。
“数の観照”の観点から言えば、「現実的なものは数的に表される」あるいは「数的関係で表されるものが現実的である」ということになるでしょうか。
これこそ西洋文明を根底的に規定する命題であるとは言えないでしょうか。
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フッサールの現象学的還元――20世紀の“観照”

2020年05月19日 | 「‶見ること″の優位」

20世紀の哲学の潮流の一つに、オーストリアの哲学者エトモンド・フッサールが創案した現象学があります。
フッサールの哲学は超越論的観念論と呼ばれるもので、カントやヘーゲルを代表とするドイツ観念論からの流れを受け継いだ哲学と言ってよいかと思います。
私の見るところでは、カントの脱神学的革命性と、ヘーゲルの伝統的な思惟の組み立てをミックスしたところに開かれてきた、20世紀の新たな哲学的地平である、というふうに意義付けられるのではないかと思います。
ここでは、フッサール現象学の最も有名な“現象学的還元”という方法論を、そういう新しい地平で模索された“観照”の現代哲学版として捉えてみることにします。

現象学的還元の基本的なモチベーションは、科学的な認識方法に基づいた近代学問に求められる課題の解決――
すなわち認識対象についての厳密に正確な情報(知)を、主観性を排していかに獲得していくかという問題についての、哲学的な処方を考察していくというあたりにありました。
分かりやすく言えば、「いかにして“真なるもの”の知を、(既成の観念を脱して)獲得するか」ということです。

それは逆に言えば、ものごとを認識するときに無反省的に(素朴な日常的意識で)なされると、
先入観とか固定観念とか、主観的な思い込みとかの色眼鏡を通してなされることが多いので、
そのままでは“真なるもの”の知に至りえないということを意味しています。
そのことを避けるために、認識作用の結果として得られてきたものについての判断を、とりあえず保留する(これを“エポケー”と言います)。
その保留状態において、認識の前提となっている先入観とか固定観念とか主観的な思い込みとかを反省的に吟味して、
得られてきた認識の果実を修正していく、といった作業を繰り返していって、
フッサールの言葉を使えば、「事象そのもの」とか「生活世界」といった領界を開いていこうとするわけです。
哲学的認識をめぐってのこのような方法論を、現象学的還元というのです。



現象学的還元によって得られてくる果実を客観的に表記する方法としては、一般的には言葉とか図像とかが使われます。
特に言葉の場合は、言葉そのものがやはりその使用者の主観性が絡んでいるので、
たとえば「事象そのもの」といっても、表記されている状態では純粋に客観的に伝えることは不可能ではないかと思われます。
理想的な状態を求めるならば、「事象そのもの」は言葉による表記は不可能であるという意味で、
“名指しえぬもの(事象)”としてしか現象してこないということになります。

現象学的還元という方法は、フッサールを継承したハイデガーという哲学者においては、
「事象そのもの」の“名指しえぬ”性の前で“不安”という感情に襲われつつ、
その深淵から人間の真実を見い出していこうとする生き方が提示されてきます。
ハイデガーの思想は20世紀中葉の西洋の哲学・文学・芸術の世界にいわゆる“実存主義”のブームを巻き起こすのですが、
その代表的な哲学者の一人であるフランスのサルトルの『嘔吐』という小説では、
日常的事物の、“名指しえない”という本来(実存)的な在り様が発見される経緯が描かれていたりします。

“不安”の感情を機軸として人間の生き方を求めていこうとした実存主義は、いわば“観照”の20世紀的な形態と言えなくもないですね。
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ヘーゲルーー「“観照”の近代哲学版」という読み方

2020年05月08日 | 「‶見ること″の優位」

西洋近世の哲学史に入りますと、観照・観想といった言葉はあまり見かけなくなります。
ここでの大きな流れとしては、意識のはたらきとか思惟とかの分析から
キリスト教神学の枠組みを取り去っていくプロセスが読み取れますが、
そういう流れの中にも、革新的な方向に思考を推し進めていく在り方と、
哲学の伝統的な枠組みを継承していこうとする在り方とがあります。
たとえば18世紀のドイツの哲学者イマニュエル・カントなどは、
近世を抜けて近代への扉を開いていった生粋の革命児とみることができます。
他方、ドイツ観念論の大成者というべきG・W・F・ヘーゲルの場合、その哲学体系の組み立て方には、
アリストテレスやプロティノス(新プラトン主義)などの古典哲学の枠組みを下敷きにしているようなところがうかがえて、
伝統的というか、西洋哲学史のメインストリームにのっとっているという印象があります。
そのように見ると、“観照・観想”という言葉は直接的には出てこないけれども、
意識のはたらきや思惟の発展過程を記述していくに当たって、
“観照”という人間の精神活動のイメージとして読み取っていくことも可能かなと思われます。

ヘーゲルの最初の大著である『精神現象学』の場合で見ると、
まず全体の構成というのが、意識あるいは精神の発展過程を、“感覚的確信”から始まって
“知覚作用”→“悟性による〈一般者としての物〉の認識”→“自己意識”→“理性による〈世界〉の認識”そして“精神”へと至る運動として捉えているのは、
プロティノスにおける“観照”のはたらきが、“自然”→“魂”→“知性”→“一者”
といったステップを踏んでいくイメージを下敷きにしているように感じられますし、
またその各段階で主体的なものと客体的なものが分離している状態があって、
それが統合されていくという運動のイメージは、ヘーゲルにおいては、
「真を把捉しながら、同時に真なるものの外に出て、再び自己に帰ってくる(反照する)」
という意識の運動(いわゆる“弁証法”)に翻案されているとみなすことができます。
ヘーゲルという人は、人間の心の二律背反的な在り様(矛盾する要素が並存して葛藤を演じる)に関心を向けていたようで、
『精神現象学』はそのような自らの心の観察から得てきたものを、伝統的な哲学の方法を借りて精緻を尽くして描写し、
そこから近代的な知見を豊かに生み出していったわけです。



同書の中で「見る」「眺める」という言葉が重要な意味を持って使われている文を1、2引用しておきます。

「そこでわれわれが、知を概念と呼び、実在つまり真を、存在するものまたは対象と呼ぶとすれば、吟味するとは、概念が対象に一致するかどうかを、見るということである。だが、われわれが実在もしくは対象の自体を概念と呼び、これに対し対象という言葉で、対象としての対象、つまり他者にとって在るものを呼ぶとすれば、吟味するとは、対象がその概念に一致するかどうかを、見ることとなる。」(「緒論」)

「意識が自己自身を吟味するのであるから、この側面から言っても、われわれはただ純粋に見ていればいいことになる。というのも、意識は一方では対象の意識であり、他方では自己自身の意識であるからである。つまり、意識は、意識にとって真であるものの意識であると同時に、その真についての己れの知の意識でもあるからである。」(「緒論」)

「物のこのような真の本質が規定されている姿は、物が意識に対して直接在ることではなく、意識が、内面のものに間接的に関係していることであり、悟性として、二つの力のたわむれを通して、物の真の背景に眺め入ることである。」(「力と悟性、現象と超感覚的世界」)

「理性」の項では、理性の主なはたらきを「観察すること」と捉えて、冒頭に次のような文に出会います。

「理性が目指しているのは、真理を知ることであり、思い込みや知覚にとって物であるものを、概念として見つけることである。すなわち、理性は物の姿のなかに、自分自身についての意識だけをえようとするのである。だから理性は、世界のうちの現在をもち、現在が理性的であるという確信なのだから、いまは、世界に対し一般的な関心をもつことになる。理性は、物において自己自身以外には、何ももっていないと知った上で、自らの他者を求めている。理性は自己自身の無限性をたずねているにすぎない。」

この文から、私などはアリストテレスの『形而上学』の出だしの「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」を連想します。
この意味でも、ヘーゲル哲学の土台にあるものは、西洋の思惟の歴史の中でとてもメインストリーム的に感じられます。
ヘーゲルの哲学は、ある意味では西洋的“観照”の近代哲学的表現と言えなくもないのではないでしょうか。

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ニコラス・クザーヌスーー「神を見る」視覚のメカニズム

2020年04月27日 | 「‶見ること″の優位」

西洋中世のキリスト教神学あるいは思想における“観照”は、
もっぱら個人の内面世界で神に向き合ったり出会ったりするというような性格のもので、
いわゆる外的・客観的な対象世界に対しては心の門戸を閉ざしているような印象があります。
そんな中、ルネッサンス期に入ったドイツなどの北方キリスト教世界では、新たな流れが生じてきます。
いわゆる「ドイツ神秘主義」という呼称で分類されていますが、特徴としては、神秘体験と“観照”の重視ということが挙げられます。
どちらも「神を見る」とか「神に出会う」というような、神の存在を具体的に体験することが、教えの本旨をなしているようです。
そう聞くとなんだか非合理的・超常的な現象を志向しているように受け取られるかもしれませんが、
これが意外と、やがて迎えることになる近世という時代を予感させるような内容を含んでいるのですね。
ここに取り上げるニコラス・クザーヌスなどはその代表的なキリスト教者と言えるかと思います。

神秘主義というラベルを貼られながら、近世への暁光を感じさせるのはどういう点でかと言いますと、
神を見たり出会ったりする場合の“見る”とか“感じる”というはたらき、
すなわち人間の五感の現実的なはたらきに関心を向けていこうとする姿勢が見て取れる点です。
“見る”とか“感じる”ということを観念的・精神論的にではなく、
たとえば“見る”であれば、視覚のはたらきを具体的に観察していこうとするような動きが、クザーヌスの著書には認められます。
その場合に、視覚のはたらきは光との関係で現実的・物質的なレベルで捉えられ、
それが神の認知という非物質的・形而上的世界の現象として意味付けられていく、
そのあたりの論理の展開の仕方にクザーヌスの独創性が認められて、とても興味深く読めます。
以下、著書からの引用文で、その大略を紹介しておきましょう。



「「『神』Deusはtheoroすなわち、『わたくしは見る」(という動詞)から来ていると言われています。なぜなら、神自体はいわば色の領域における視覚visusとして、われわれの領域のうちに存するからです。というのは、色は、視覚による以外の仕方ででは到達されませんし、また、(視覚が)あらゆる色に自由に到達するために、視覚の中枢は色を持たないで存しているからです。色の領域において視覚が見出されないのは、視覚が色をもたないで存しているからに他ならないのです。したがって、色の領域に基づけば、視覚は、『或るもの』であるよりも、むしろ、『無(非存在)』であるのです。」(『隠れたる神についての対話』より)

「「観ること」は、探し求めるものが通って進まなければならぬ「道」との類似をもっている。したがって、われわれは、感覚的に見ることの本性を知性的に見る眼の前にひろげて、それから上昇の階段をつくり出す必要があるのである。」(『神の探求について』より)

「われわれの「見ること」は、大脳の頂点から眼という器官へと下降する或る明るく澄み渡った気息と、みずからの似姿の形象へと多重化する色の或る対象とから、外部の光の協働の下に生み出される。それゆえ、可視的なものどもの領域においては、色しか見出されない。」(同上)

「可視的なものは、自分自身をはいりこませるちからをもつ光のなかにあるときにこそ、目へとはいりこみうるのである。(中略)したがって、色がみずからの根源において、すなわち、光において可視的になることは明らかである。なぜなら、外的な光と視覚の気息とが明澄性において交わるからである。この交わりによって、可視的なものを照らすあの光は、対等な相手である光へとはいりこみ、色彩形象を対象化して視覚へともたらすのである。」(同上)

「われわれの認識はすべてかれ(われわれの神)の光において存するのであって、ために、認識するのはわれわれではなくて、むしろ、われわれのうちに存するかれ(われわれの神)なのである、ということになる。(中略)それゆえ、「存在すること」がかれに依存しているように、「認識されること」もまたかれに依存しているのである。」(同上)

「精神の見るものは価値的なものであり、これは可感的なものに先立つ。したがって精神は自己自身を見る。そして多くの事柄が自らにとって不可能であることから、精神は自らの可能がすべての可能の可能ではないということを見、ここから自らが可能自体ではなく、可能自体の似像であることを見る。こうして〔精神は〕自らが可能自体の現れの様相であることを見る。そしてこれと同じことを存在するすべてのものにおいて同様に見る。したがって、精神の見るすべてのものは不可滅的な可能自体のもろもろの現れの様相である。
」(『テオリアの最高段階に関する覚書』より)
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アウグスティヌス――中世キリスト教教会における“観想”の始まり

2020年04月16日 | 「‶見ること″の優位」

アウグスティヌスは西洋中世のラテン語圏キリスト教世界に多大な思想的影響を及ぼしたとも評される教父です。
『告白』という著書がよく知られていますが、それによりますと、若年時は欲望の赴くままの荒れた生活を送っていたそうです。
しかし20代はキリスト教の一派であったマニ教の信者でもありましたが、
30歳の手前あたりで回心して、東方キリスト教の信者としての活動と布教活動に従事していきました。

中世のキリスト教世界では教会や修道院が信仰生活の主要な場であり、
教会での告解とか修道院での“観想”を軸とした生活など、その出所はアウグスティヌスかと思われます。
“観想”という言葉は原語では“観照”と同じ「テオリア」ですが、
中世キリスト教の日本語文献では“観想”と訳されることが多いようです。
アウグスティヌスの思想は前回紹介したプロティノスの哲学(新プラトン主義と称される)を引き継ぐものとされています。
しかし、プロティヌスにおいては思想の支柱をなしていた“観照”と、『告白』や中世キリスト教の文献中に散見される“観想”とは、
単に翻訳の表記上の違いにとどまらず、もっと本質的な違いが私には感じられます。

“観想”というのは、私の理解では、一言で言うならば、個人の内面において「神を観る」ということのようですが、
それにも大きく二つの観方(観え方)があって、一つは「神の姿を心の中で幻視する」というような在り方、
もう一つは「個人の心の中に、神の方から姿を現す」というような在り方です。
しかしいずれにしても、飽くまでも個人の内面での出来事として体験されるという点で共通しています。
アウグスティヌス研究の第一人者であった山田晶教授(故人)の言葉を借りれば、
「心の内に神を見るというのは、心が神だということではない。心のうちに深く入ってゆくと、心の最奥に、心を超えたところにおいて神に出会うのである。」
ということです。
これは個人の内面(主観的世界)を重視する、いわば一元的な世界観に立った考え方と言えるでしょう。



プロティノスの“観照”は、自然の観照→魂の観照→知性の観照とその階位を上げて行きつつ、
その過程で主体と客体に分化するプロセスを踏んでいきます。
そういうダイナミズムあるいはディアレクティシズム(弁証法)があって、その上で、最終的に“一者”というところに主客が統一されていくわけです。
マニ教を信仰していた20代のアウグスティヌスは、マニ教が標榜する二元論(物質と精神、善と悪、明と暗など)に対して
次第に疑問を感じ、迷いの淵におちいっていくのですが、それを救ったのがプロティノスの哲学とされています。
アウグスティヌスがプロティウスの哲学から受容したものは、世界の二元的な対立の相が“一者”へと統一されるという捉え方
でした。
ここからアウグスティヌスにおける“観想”の在り方が、対象(客観)的世界を捨象して、
「神との出会いは個人の内面においてなされる」とか「存在するものはすべて善である」といった一元論的な性質を帯びてくることになったのではないかと思います。

中世キリスト教の精神世界における“観想”という在り方は、それゆえにひたすら個人の内面へと向かっていくわけです。
これにより、対象的世界としての客観的世界との確執や葛藤が捨象されていくことになります。
(たとえば、神が創りたもうたこの世界がどう見えるか、といった問いを立てるような発想はほとんどまったくと言っていいほどありません。)
中世キリスト教神学関連の文献は、ほとんどが個人の内面を舞台としての神との向き合い方、
その観点から神や人間の意味を問うていこうとしているようです。
この意味では、“観照”の問題をめぐっては、中世キリスト教世界はほとんどグレー一色の世界のように印象づけられてしまうのです。

以上、アウグスティヌスの“見ること”(すなわち“観想”)について、簡潔に要約しているような文章が
『告白』の一番最後に語られていますので、紹介しておきましょう。
「それゆえ、私たちがあなたのお造りになったものを見るのは、まさしくそれらのものがそのように存在するからですが、それらのものが存在するのは、じつはあなたがそれらのものを見たもうからなのです。また私達は、自分の外部においてそれらのものが「存在する」ことを見、心の内部においてそれらが「善い」ことを見ますが、これにたいしあなたは、「造られるべきだ」とみたもうたまさにその場において、それがすでに「造られてしまっている」のを見たもうのです。」


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プロティノスーー自然、観照、一者

2020年04月07日 | 「‶見ること″の優位」

西洋の古代の哲学者で、プラトン、アリストテレスに並ぶ存在となると、私などはプロティノスという人を思い浮かべます。
3世紀のイタリア半島(ローマ帝国時代)で活動した人で、プラトンの影響を受けた哲学を構築して“新プラトン主義”と呼びならわされ、やがて迎えることになる中世キリスト教の神学や哲学に影響を及ぼしていったとされています。
“新プラトン主義”という名指され方から推測されるように、
プラトニックなイデア(観念)論を、主体・客体の二元論的な観点からの認識と、
それらが一体化して根源的にして普遍的な存在者たる“一者”の認識に至る階梯の中に捉え、
主体・客体の他、質料と形相、感性と知性、善と悪などの二元論を克服していくヴィジョンを提示した哲学とされています。
また二元論の克服過程を通して真・善・美を一体的なものとして描出していくことを、哲学的営為の最終目標に設定していました。



私にとってプロティノスの興味深いところは、まさに“観照”という行為を哲学的思惟の中軸をなす活動として評価している点です。
しかも観照の主体を単に人間だけにではなく、自然界の動植物も観照しているというふうに考えているところが面白い。
『自然、観照、一者について』という論文はプロティノスの代表的な著作の一つとされていますが、
その中から二、三文章を引用して、そのユニークな考え方を紹介したいと思います。

「この世のなかのものは、理性的な生きものばかりでなく、理性をもたない生きものも植物の生命も、またこれらをはぐくむ大地も、すべてが〈観照(テオリア)〉を求め、これを目指している。」

「自然は、観照作用であり観照の対象であり、ロゴスであるということ、まさにそのことゆえに、製作(ポイエーシス)するのである。したがって自然による製作は、われわれに観照作用として示されるのである。」

「認識の主体は、対象を明確に認知すればするほど、これとの一体化の傾向を強めていくのである。つまり、(一方は認知するもので、他方は認知されるものだというように)認識の主体と客体が二つに分かれている時には、この二つはそれぞれ別のものといえよう。したがって、そこに、いわば並立の関係が成立し、まだ、この〈一対のもの〉は近い関係にあるとはいえないのであって、このようなばあい、魂の中にあるロゴスは、まだ何も活動していないと見てよいだろう。」

「観照が自然から魂へ、そして魂から知性へと上位の段階に移行するにつれて、観照と観照をおこなうものとの関係もますます緊密化し結びつきを強めていく。そして、賢者の魂の段階で、認識の客体は主体と同一化の方向をたどり――というのも、その認識客体は知性の方を志向しているからだが――知性の段階にいたると、いまや明らかに認識の主体と客体は一体となるのである。ただし、この一体化とは、賢者のすぐれた魂のばあいのように、両者が緊密な関係にあるという意味で言われているのではない。本質において、すなわち、「在ることと直知することは同じである」という意味で言われているのである。というのも、そこには、もはや異なった二つのものがあるわけではないからである。もし、そうでなければ、そのうえさらに、異他の分別をつけることのできない或るものがなければならないことになるだろう。」

後半二つの引用文は、認識(観照)作用における主体と客体への二元論的な分化と、
それらが“知性”の段階で同一化していく、というヴィジョンを描写しているのですが、
この図式はプロティヌス以降のいわゆる“西洋的思惟”の特性を端的に表していると思います。
主観・客観の二元論をデカルトから始まる近世・近代の西洋的な思惟の特徴として論じられているのをたまさかに見かけますが、
その発祥は3世紀のプロティノスあたりまで遡っていけるわけです。
そのように捉えると、いわゆる“西洋的思惟”とされてきたものの古代から現代に至るまで一貫して貫かれてきたシステムを、
“観照”という観点から記述していくことが可能ではないかという気がしてきたりするのです。
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アリストテレスーー西洋的“観照”の原点

2020年03月27日 | 「‶見ること″の優位」

“観照”という言葉のそもそもの出どころは古代ギリシャ哲学であって、ギリシャ語で「テオリア」といい、「見る、観察する」という意味のほかに「考察する、研究する、理論付ける」といった意味を持っています。
古代ギリシャの人的世界においては、人間が日々従事しているあらゆる活動のなかで観照という行為が最も高尚であり、価値があるとされていたようです。
アリストテレスの『形而上学』や『二コマコス倫理学』といった著作では、このことがはっきりと表明されています。
『形而上学』は次のような文から始まっています。

「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。その証拠としては感官知覚〔感覚〕への愛好があげられる。というのは、感覚は、その効用をぬきにしても、すでに感覚することそれ自らのゆえにさえ愛好されるものだからである。しかし、ことにそのうちでも、最も愛好されるのは、眼によるそれ〔すなわち視覚〕である。けだし我々は、ただ単に行為しようとしてだけでなく、全くなにごとを行為しようとしてない場合にも、見ることを、言わば他のすべての感覚にまさって選び好むものである。その理由は、この見ることが、他のいずれの感覚よりも最もよく我々に物事を認知させ、その種々の差別相を明らかにしてくれるからである。」

アリストテレスは人間の知能の働きを「観照(見ること) テオリア」と「実践(行動) プラクシス」と「制作(創作、生産) ポイエーシス」の3部門に大別し、
観照(見ること)を実践(行動)より優位に、実践(行動)を制作(創作、生産)より優位にあると考えました。
アリストテレスに限らず、おそらくこれが“人間”というものについての古代ギリシャ人の見識であったかと私は思います。

『形而上学』という哲学書は、観照という知能のはたらきがどのように進められていくのか、あるいは「考える」ということを組み立てていくのか、
そういったことを具体的に書いている書物であるように私は思います。
そういう観点で読むと、難解に感じられていた書物がわかりやすく、且つ面白く読めてきました。



後半の、この本のクライマックスともいうべき箇所の、観照という言葉が出てくる文節を紹介しましょう。

「その理性(ヌース)〔思惟するもの〕はその理性それ自身を思惟するがそれは、その理性がその思惟の対象の性(さが)を共有することによってである。というのは、この理性は、これがその思惟対象に接触し、これを思惟しているとき、すでに自らその思惟対象そのものになっているからであり、こうしてそれゆえ、ここでは理性〔思惟するもの〕とその思惟対象(ノエートン)「思惟されるもの」とは同じものである。けだし、思惟の対象を、すなわち実体〔形相〕を、受け容れるものは理性であるが、しかし、この理性が現実的に働くのは、これがその対象を受け〔容れて、現にそれを〕所有しているときにであるから、したがって、この理性が保っていると思われる神的な状態は、その対象を受け容れうる状態〔可能態〕というよりもむしろそれを現にみずから所有している状態〔現実態〕である。そしてこの観照は最も快であり最も善である。」(『形而上学』第十二巻第七章より)

ここに書かれている中で重要な点を拾い出して箇条書きしておきます。
これらは、私が思うには、古代から現代に至るまでのいわゆる「西洋的思惟」に通底する枠組みと見なされるからです。
① (観照のレベルでは)理性〔思惟するもの〕とその思惟対象「思惟されるもの」とは同じものである。(理性(ヌース)は理性それ自身を思惟する。)
② 理性が保っていると思われる神的な状態は、思惟の対象を現にみずから所有している状態すなわち〔現実態〕である。
③ (理性が現実態として在るとき)観照は最も快であり最も善である。

最後に『二コマコス倫理学』からも少し引きましょう。

「…かくしていま、もろもろの卓越性に即しての営みのうち、政治的とか軍事的なそれは、たとえうるわしさや規模の大いさにおいて優越してはいても、非閑暇的であり、或る目的を希求していてそれ自身のゆえに望ましくあるのではないのに対して、知性の活動は――まさに観照的なるがゆえに――その真剣さにおいてまさっており、活動それ自身以外のいかなる目的をも追求せず、その固有の快楽を内蔵していると考えられ(この快楽がまたその活動を増進する)、かく、自足的・閑暇的・人間に可能なかぎり無疲労的・その他およそ至福なるひとに配されるあらゆる条件がこの活動に具備されているものなることがあきらかなのであってみれば、当然の帰結として、人間の究極的な幸福とは、まさしくこの活動でなくてはならないであろう。」(第十巻第七章)

「…かくて、生きているところの神から「行為する」ということが、いわんや「制作する」ということが取り除かれるならば、そこには、観照のはたらき以外の何が残るであろうか。してみれば、至福な活動たることにおいて何よりも勝るところの神の活動は、観照的な性質のものでなくてはならない。したがってまた、人間のもろもろの活動のうちでも、やはり最もこれに近親的なものが、最も幸福な活動だということになる。」(第十巻第八章)



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止観とはどういうものか

2020年03月16日 | 「‶見ること″の優位」

“止観”とはどういうものであるかについて、『摩訶止観』という仏典に詳しく論じられています。
『摩訶止観』は中国天台宗の開祖天台智顗(てんだいちぎ)の著作によるもので、大部でそして非常に難解ですが、
智顗が説いた言葉を弟子が記録した『天台小止観』が、座禅の作法を中心としてコンパクトにまとまっています。
その現代語訳(関口真大訳 大東出版社刊)に拠りながら、紹介しておきましょう。

まず止観の“止”は、「心のうごきを押さえて散らさないように止、妄念の動きを制止する」というほどの意味です。
座禅の入門者・初心者がよく「妄念や雑念を打ち消そうとするのは、とても困難だ」と言いますが、
座禅(止観)に取組むに当たって、不退転の決意を持つことが要請されます。
『小止観』には次のように書かれています。

「われわれが初めて座禅を学び、十方三世の一切の仏法を修そうと思うなら、まさに重い請願を発し、一切衆生を度脱しようとし、無上の道を求むべきである。そしてその心を堅固にして金剛のごとくにし、精進勇猛にして身命を惜しまず。もし一切の仏法を成就しないならば、ついに退転しない。その後において、端坐のなかにおいて、心を正しうして一切のものごとの真実の姿を思惟するがよい。一切の諸法とは、すなわち心について一切の法を明かすのである。一切の善のものごと、不善のものごと、どちらともいえない無記のものごと、一切の煩悩のものごと、一切のこの世の有為、生死、因果のものごとなどは、みな心のなかにあるのである。」

この決意が持てなければ、座禅はやっても意味がないと私は思います。



次に“観”ですが、心に生じるさまざまな動き、観念、妄念を、生じるままに観察する、ただしその場合に「智慧をもって観ずる」ということです。
もう少し具体的には、次のように説かれています。

「まさに心に考える一切のものごとにそのまましたがってみるのもよい。もしは善、もしは悪、もしは善でもなく悪でもない無記なもの、もしは三毒といわれる貪(むさぼり)・瞋(怒り)・癡(おろか)等である。もし一切の世間のことを念ずれば、そこでまさに反って起こるところの心そのものを観ずるがよい。 」

座禅という行為は自分の心の動き・在り様と向き合い、その果てに“空”を悟っていくような行為と言えますが、その間に“止観”という方法を駆使していくわけです。
『小止観』では、“止”と“観”を適宜に使っていく(たとえば、“止”でうまくいかなければ“観”でやってみる、“観”でうまくいかなければ“止”でやってみる、といった言い方をしています)ことで、
だんだんと心の静寂が得られていくようになる、というような説き方をしています。

“止観”についての解説でよく見かけるのは“三観三諦説”で、現象世界を「空・仮・中の三諦」の相において観察する、というようなことです。
この三諦の関係は『摩訶止観』では「すなわち諸法を空と見れば、仮・中でないものはなく、また仮とみれば中、空・中でないものはなく、それから中とみれば、空・仮でないものはない」などと解説されていますが、
この仏教的真理を体得していくことが“止観”の最終目的とされています。

しかし私が思うに、これは仏道の修行者が設定する目標であって、歌の道を求めグレードを高めていこうとする者にとっての、直接的な目標ではないでしょう。
『摩訶止観』第七章は「正しく止観を修す」とあり、その第一節第一項は「座禅のなかに修す」となっていて、さらにその一が「不思議の境を観ぜよ」とあります。
近年出版された『摩訶止観を読む』(池田魯參著 春秋社)に依れば、

「「不思議」とは、日常的な心のはたらきを超えた、これで終わりということがなくはたらきづめにはたらいている、思いはかることのできない真実のことわりを指している。あらゆる事象がそのことわりにおいてあるわけで、このような思議を超えたことわりにおいて、あらゆる現象が生成し変化し消滅することになる。」
であり、
「不可思議な境としてのこの心を観察するということは、一念の心に三千が備わっていることを観察することに他ならない。」

ここに「一念三千」という天台宗の根本教義を表す言葉が出てきますが、
この “止観”の方法が、王朝和歌から中世の連歌、そして珠光に始まり利休で大成されていった侘び茶の美意識という、国際的にも類例のない観照文芸の世界を創り出していったのでした。


※ 今回で、日本文芸における「観照(観ることの優位)」の意義をめぐる考察は、一旦区切りをつけます。
次回からは、西洋の文明史において「観照」がどのような意味合いを持ちえたかを探っていきたいと考えています。


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天台止観ーー日本的観照力を養った訓練法

2020年03月06日 | 「‶見ること″の優位」

日本の古典文芸における“観照”作用が平安期から中世末期にかけて次第に深まりを見せていった、その推進力の中枢を担ったものとして、仏教で言うところの“止観”という方法があったと私は思います。
“止観”というのは、よく知られているのは禅宗の修行方法として行われている座禅もそうですが、
“止観”という言葉では天台止観とか摩訶止観といった言葉で伝えられてきているように、我が国では天台宗における修行方法として伝えられてきているものです。

和歌の創作に精神的な深さを求めていくことが自覚されるようになるのは、一説に平安末期あたりからと言われ、
このころからいわゆる歌論書のようなものが盛んに書かれるようになりました。
その中の代表的なものの一つに、藤原俊成(平安末期から鎌倉初期にかけての和歌壇の第一人者、藤原定家の父親)の『古来風体抄』という歌論があり、
“幽玄体”といった言葉で和歌表現の要諦を説いたことで知られてますが、
その中で、和歌表現の精神的深さを養う方法として天台止観を強く推奨しています。
鎌倉期になると新しく禅宗の教えも盛んに取り入れられるようになって、
和歌を詠む人の多くは、精神の修養方法として止観の実践を取り入れていたと考えられています。



千載和歌集(俊成が選者を務めた勅撰和歌集)・新古今和歌集から玉葉和歌集そして風雅和歌集までの150年の間に、
歌人の観照のまなざしは、止観の実践を通して現象界の背後をうかがうところまでに、
その鋭さと繊細さと深さを体得していっています。
正徹、心敬、そして珠光もみな僧籍にも在った人たちですから、止観乃至座禅の修行はしっかりと積み重ねていますし、
室町末期の侘茶の勃興期における紹鴎・利休や連歌師たちが醸成した文化的環境も、止観や座禅がそのベースをなしています。

国文学者の小西甚一氏(故人)は玉葉集や風雅集あたりの和歌について、次のように論じています。
「思うとおり・感じたとおりを読むだけであった高辨(=明恵)ふうの表現態度が、日常意識よりずっと深い層の心を題材とするようになったのは、(中略)日常意識よりも深い層の心を題材とした点だけについていえば、天台の止観が直接の理論づけをしてくれたはずである。」(『日本文芸史』)
「自然の景色を詠むばあいでも対象となる景色に詠む者が自分を滲透させ、対象の一番それらしい在りかたを明らかにし、それを心にしっかり刻みつける――といった把握過程は、止観における境地不二ないし倶融の論を作歌に当てはめたのだが、その過程で、作主の心には、どう詠めば感動的な表現になるかという思念がさまざま生起する。」(同上)

心敬や珠光(同時代的には能楽師の世阿弥も)が提唱した「冷え枯れた」とか「凍み氷りたる」といった美境は、
止観の積み重ねによって切り開かれていった究極の観照の境地であるとも言えます。
そして前回紹介した千利休の「庭の落葉」のエピソードも、日本的観照力が止観・座禅を通して獲得してきたまなざしの深さを物語るものとして受け止めることができるのではないかと思います。
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