最後の問題は、彼らが眺めているのは何か、彼らのまなざしの向かう先には何があるのか、ということです。
これも、素直に考えれば東の空に浮かんでいる月であるとして何も問題はないでしょう。
満月は画面左上方に描かれており、人物の視線は水平方向に向かっていますが、日本画の研究者によれば、こういう描き方は他にも例があるとのことです。
このことは認めた上で、私としてはここでも別案を提示してみたいと思います。
この3人は揃って同じ水平方向を眺めています。
私は「ながめる」という動詞を、万葉の歌以来の日本の古典文芸の世界に通底する、観照を主体とした精神のはたらきを表わす言葉と考えています。
それは、万葉の時代の代々の天皇による国見の歌や、山部赤人の歌に代表されるような叙景歌を起点とし、
古今集時代の小野小町の「花の色はうつりにけりないたつらにわか身世にふるなかめせしまに」を経て、
新古今集では「ながめ」という詞を使った和歌を多数残した式子内親王の代表作「なかめつる-けふはむかしに-なりぬとも-のきはのうめは-われをわするな」
そして王朝和歌のとうびを飾るとともに叙景歌表現の頂点を極めたといわれる玉葉和歌集の歌人たちの作などに象徴的に表わされています。
時代が下っていくにつれて「ながめる」対象は外界の現象的世界から心的世界へと拡張していくことで、文芸の世界の拡がりと深化が推進されていきます。
(左右とも)「山水図」(至文堂刊『日本の美術2』489 久隅守景 より転載)
画面上方1/3ほどが余白表現されているのも守景の山水画の一大特徴とされています。
久隅守景が描いた山水画の特徴について、日本美術史の研究者の間では次のようなことが言われています。
すなわち山水のモチーフを画面上に少しずつ重ねることによって「後ろへ後ろへと空間の深い奥行きを表わ」していくことが、守景の山水画の特色をなしている。(榊原悟「久隅守景筆四季山水図屏風」『国華』1281)
この観方に従うならば、守景の絵画表現の精神性を、日本の伝統的な「ながめる」という精神活動の発露として捉えることが可能かと思います。
「六歌仙画帖」(至文堂刊『日本の美術2』489 久隅守景 より転載)
歌人の目の描き方に注意(見えにくいようでしたらゴメンナサイ)
さらに山水画とは別に、古今集時代の代表的な歌人たちを描いた「六歌仙画帳」という遺作があります。
彼らの眼は伏せているように描かれ、視線は下方に向かっています。
守景の人物画の多くがそのように描かれているのですが、彼らのまなざしはあたかも内面世界へと向けられている趣きがあります。
ところが「夕顔棚納涼図」では、視線の方向は下方ではなく、まっすぐ前に向かっているように描かれています。
特に女性と童子の視線ははっきり前方に向かっています。
他方、男性の視線は伏目がちに描かれ、さらに頬杖をついています。
頬杖をついていることの意味については、東京国立博物館研究員の松嶋雅人さんの論考に、
日本絵画の作例を2,3挙げながら、「これらから見ても、「納涼図」の男が頬杖をついているのは、深く考え思う様子があらわされているとみてよいかもしれない」とあります(「謎の絵師・守景」日本の美術489「久隅守景」所収 至文社)。
この説にしたがえば、男性のまなざしは、月をながめつつも意識の半分は心の内側に向かっているように描かれている、と観えなくもありません。
前回私は、この3人の像を守景自身の幼年時の両親と自分自身をモデルにしているという解釈を提示しましたが、
同時にまた守景の二人の子供(雪と彦次郎)と自分自身との3ショットという解釈も成り立ち、両者を重ねると、
「納涼図」は守景の3世代の家族を重層させての自己像と解釈することも可能かと思います。
そして、童子(守景自身または彦次郎)と女性(守景の母または雪)の視線はしっかりと前方(未来)を見据えています。
また男性を守景自身と見て、その視線は前方をながめつつ心の内側にも向かっているふうに見えます。
私はこの男性のまなざしを、水墨画の行く末を望もうとする視線と見たいと思います。
そこで改めて、守景が狩野派から離れていったのはなぜか?という問いを俎上にのせることにします。
子供たちの不祥事がその原因とされており、それもあると思いますが、同時に、「何を描くべきか」という問題意識もまた、
守景を狩野派から遠ざけていくもうひとつの理由ではなかったかと考えるのはいかがでしょうか?。
そのような想定が成り立つとすると、この問題意識は江戸前期における創作意識として最先端であるでしょう。
そしてこの問題意識を抱懐した点にこそ絵師久隅守景における近代意識の萌芽、すなわちリベラル感の萌芽があるのではないかという気がします。