モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

18世紀の日本文人画と“個性の日本的認知”

2019年06月19日 | 「‶見ること″の優位」

浮世絵の世界にスーパー絵師を輩出した18世紀後半は、文人画系の分野でも個性豊かな絵師が顔を揃えた時期でもありました。
池大雅、与謝蕪村、円山応挙、伊藤若冲、曽我蕭白、長澤芦雪といった面々で、いずれも京都を拠点として創作活動を展開した絵師たちです。

文人画は17世紀末から18世紀初頭にかけて新しく生み出されてきた絵画のカテゴリーで、江戸幕府と中国清朝との間で再開した交易を通して、中国の文物書画や儒教・仏教系の宗教思想が長崎出島から国内に大量に流入してきたことから発生しました。
それが数十年後には“日本文人画”という独自の絵画世界を打ち立てるまでに醸成して、上記のスーパー絵師たちを輩出するまでに至ったということです。

この時期に創出された日本文人画は“視覚の刷新”ということで特徴付けられるかと私は考えています。
山水画を描くのに富士山に何度も登ったり、国内の主だった霊峰を訪ねたりして“真景”を描こうとした大雅、自分のアトリエの庭に鶏を飼って、日々その生態に向き合っていた若冲、動植物を西洋科学的な見方で克明に写し取ることを日々の訓練とした応挙など、従来の“写意(精神性を重視して形態観察を軽んじる考え方)”的な描画法を脱して、事物に直接向き合って、その気韻生動を画面に定着していこうとする視覚です。
そこから新しいイメージ(画像)が発露してきたことを“視覚の刷新”と呼ぶわけですが、
そこには中国絵画の原点の再確認とか、宗教・倫理思想の新機軸とか、西洋近世の博物思想の影響など、さまざまな要因が指摘されています。
いわゆる時代の新しい風が吹き始めたということですね。



このような“視覚の刷新”のを遂行して行ったモチベーションとして、個性とか個人意識を尊重する風潮が醸し出されたということがあります。
“見ることの優位”のテーマに即して言えば、個性や個人意識を尊重する風潮が“視覚の刷新”を促したということです。
その主要なモチベーションとしては、仏教(白隠や黄檗宗など臨済宗系禅思想)、儒教など当時の日本の思想状況が指摘されることが多いようです。
それは確かにひとつの要因であるには違いないでしょうが、もともと日本には“日本的個我”あるいは“個性の日本的認知”とも言うべき事柄があって、それが思想状況などと共振して、一つの盛り上がりを見せたのではないかなどと、私は思っています。
茶の湯の文化的眺望にもそういったことが認められます。

“日本的個我”あるいは“個性の日本的認知”とはどういうことか。
たとえば18世紀の前半に、京都に近衛予楽院(家煕)という貴族が居て、茶の湯や文物書画の造詣が深く、数多くの茶会に参加したり自ら主催したりしてその記録や言行録(『槐記』)を遺しています。
同時代に江戸狩野派の異才と評価される狩野尚信(探幽の弟)という絵師がいますが、
予楽院は尚信をその際立った個性的表現性を評価しています。

尚信を評価する予楽院の眼のはたらきはどういうものかについては、『槐記』に記された、たとえば次のような文言などからうかがうことができます。茶事に使われる竹の花生について語ったものです。
「竹ノ花生ハ、利休ガ切リ初メタルト云ウコトナリ、尤モ勝レタル物数寄ナリ、千萬無量ノ竹、如何ヤウノ竹ニテモ、同ジコトニテ、寸分モ違ハヌト云ウ竹ハナキコトナリ、夫故ニ一本々々ニテ、其人ノ物数寄ノ模様ハアリタルモノナリ」
自然に生えている竹は千萬無量にあってもどれも同じということはない、一本一本みんな違っている、と言ってるわけですが、
こういうものの見方が、“個性の日本的認知”の伝統的なベースをなしていると私は思っています。



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江戸期庶民と浮世絵

2019年06月07日 | 「‶見ること″の優位」

さて今回からは、日本の近代から歴史を少しさかのぼって、近世における「見ることの優位」を見ていくことにします。
江戸期は、日本の美術がある意味で世界の美術史の先端を走っていた時期であると私などは考えていますが、
その一翼を担った現象として18世紀後半から19世紀前半にかけての浮世絵の流行ということがあります。
歌麿、写楽、北斎、広重といったスーパー絵師が顔をそろえた時期ですね。

江戸時代というのは日本の出版事業の歴史においては発生期として意義づけられていますが、
その初っ端において、文芸の世界では黄表紙や洒落本、読本などと呼ばれた一般庶民向けの娯楽本が大量に出版され、大量の読者を生み出しました。
また狂歌という、和歌の形式で世相を詠み社会を風刺する文芸が流行して、様々な職業の人たちや文化人によるサロンが形成されたりしました。
本は木版刷りで制作されましたが、その木版技術の領域から浮世絵版画も生まれてきたわけです。
出版物には挿絵が挿入されて読者のもうひとつの楽しみでした、
歌麿も北斎も最初は挿絵師として出発して、作画の腕を磨いていくとともにその分野での人気を獲得していっています。

折から、エンターテインメントの世界では歌舞伎、寄席に庶民の人気を集め、また江戸の吉原に代表される廓では、世相、文化などあらゆるジャンルに渡る情報の発信・集積されていくエリアの役割を果たしていました。
浮世絵版画は、そういったエンターテインメントや出版物といった新しい文化領域における広告媒体であり挿絵としての役割を果たす一面を有していました。
そしてそれが後世に語り継がれていく文化にまで高めていったのは、江戸期庶民の美的判断力(見ることの優位)にほかなりませんでした。



北斎や広重は西洋絵画の遠近法を活用した作画がひとつの特徴をなしています。
遠近法が日本の美術に大いなる影響を与えていることは確かですが、
彼らは西洋絵画の空間構成法に、日本美術の後進性を認めていたというふうには感じられません。
むしろ遠近法を面白がり、空間表現のひとつの方法として自分なりにアレンジして、浮世絵独自の表現方法に昇華していったと見るべきでしょう。
そこに浮世絵絵師たちの見識と矜持、そして浮世絵のファンたちの美的判断力が伺えます。

歌麿や写楽には対象を捉える観察力や洞察力の深さを、北斎や広重に画面の構成にエスプリやウイットが楽しめますが、
そういったものはこの時期の江戸文化の総体――出版、演劇、詩文、工芸など――の中で培われたものに他なりません。
ここに言わば「見ることの優位」の江戸庶民的な特徴が認められます。

マルチクリエイターのいとうせいこうさんと、浅草のセンス職人荒井修さんの共著による『江戸のセンス』(集英社新書)によりますと、
「職人にとって大切なのは、一つのものからどれだけ広げられるか、その知識を持っているかということ」
とあります。
浮世絵の世界を創造した絵師たちの機知やウイット、ユーモアのセンスといったものは、
上記のような想像力と、その想像力を育てていく日々の訓練や経験の蓄積、そして観察力や思考力の深さに基づいているわけですね。
それは絵師や職人のみならず、江戸の庶民が互いの情報交換を通して育てていったものであると思います。
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