モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

『中野みどり作品集 樹の滴――染め、織り、着る』ができました。

2012年05月03日 | 中野みどり紬織り





4月7日付でお知らせした『中野みどり作品集 樹の滴――染め、織り、着る』を上梓しました。
発売日は5月15日ですが、印刷製本はすでに上がっているのです。
周囲の何人かの人に見てもらったところ、
多くの人から、染織・着物の作品集としてはこれまでにないものと言っていただいています。

私は文章を寄せていますが、企画・編集にも参加しています。
そもそも企画を持ち出したのは私なのですが、そのきっかけになったのは、
昨年の1月、四国の高松で朝テレビを見ていたら、
「GRAPH」という印刷所の高精細印刷の技術が紹介されていたことです。
しかも社長が北川一成というデザイナーで、
印刷技術に相当のこだわりを持っているということでした。
単に高精細印刷というだけでなく、デザイナーの感性なり美意識の下支えが
「GRAPH」という印刷所にはあるというふうに私は受け止めました。
この印刷所でなら中野さんの作品集が作れるかもしれないと思ったわけです。

通常の印刷では中野さんの作品のよさ(=真意)を伝えることは難しい。
それで作品集を作ってもあいまいな情報が伝わるだけで、おそらく中野さんも私も
フラストレーションを積もらせるだけに終わるのではないか。
そう思って、作品集を作るという考えはほとんど頭にありませんでした。
それが、北川さんの「GRAPH」のことを知って是非試みてみたいと思うようになったわけです。

編集者としての私の意図は、織物という物質の精神性ということを知って欲しいということです。
しかし現状は、機械織りのものは言うに及ばず、
手織りのものでも精神性を獲得したレベルのものはほとんど見かけません。

布という物質の精神性というのは、たてよこの糸の1本1本、一越一越にわたって、
微分的に変化していくテンションや交叉のエネルギーを微視的に把握し、
かつ巨視的に統合していく作業を通して生み出されてくるものであって、
中野さんの本から引用すれば「まず百反」という質×量の膨大な修練の期間を経て
初めて身についてくるものです。
そして布(とか紙とか、その他いわゆる工芸素材とされる物質たち)は
絵画ほかの造形表現の物質的基盤であるわけですから、
本当のところは、「布(織物)がわからない人に美術(表現)が分かるわけがない」のです。

そういう意味での「布という物質の精神性」を現代人は知るべきであると私は考えるのですが、
それに適したメディアに出会うことは滅多にありません。
そういう中で中野さんの織物はその数少ない作例であり、
そして北川さんの「GRAPH」の存在を知ったことはまさに僥倖というべきものでした。

本ができあがってくると、それが本当によくできたものかそうでないのか、
作った本人には判断が難しくなっています。
周りの人たちの反応からすると、どうやら好評のようなのでひとまずはホッとしています。
しかし、いくらかの反省もあります。
これは私が寄稿した文でも書いているのですが、
中野さんの「布という物質の精神性」は「気」という現象として具体化しているのです。
その「気」を十全に捉ええたかどうかというところが課題として残ったように思います。

印刷メディアで布の気を捉えるには、印刷技術や撮影技術にも
「布の気」を感受する感性が必要です。
これは現代の文化全体の在り様として捉え返すこともできる問題かもしれません。
つまり「布という物質の精神性」を認知しうる感性と知性を、
現代人は獲得できるかどうかということですね。



この頁には私の文章が掲載されています。現代美術家の井田照一(故人)さんのことについて言及しています。井田さんは「布という物質の精神性」が理解できるアーチストでした。そしてその観点から中野さんの織物を正確に評価していました。


中野みどり作品集の詳細はこちらで。
中野みどりさんのHP
楽天ブックスで取り扱っています。




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