モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

グリーンバーグ――20世紀のアメリカ絵画から

2019年02月26日 | 「‶見ること″の優位」

今回は時代を現代の方に近づけて、20世紀の現代美術の展開の中で活動したアメリカの美術評論家クレメント・グリーンバーグの場合を取り上げます。
グリーンバーグは、ジャクソン・ポロックほか、20世紀前半から中ごろにかけて
アメリカの絵画シーンに登場してきた抽象表現主義の潮流に注目し、評価を与えた評論家として知られています。
抽象表現主義のあと、アメリカの現代美術はポップ・アートが主流になっていくのですが、
そういう流れにおいても、60年代には“ポスト・ペインタリー・アブストラクション”とグリーンバーグ自ら名づけたムーブメントを起こし、
20世紀後半のアメリカ絵画の新しいムーブメントを興していきます。

抽象表現主義の代表的な画家を挙げておきますと、ポロック、バーネット・ニューマン、クリフォード・スティル、マーク・ロスコといった人たちがいます。
“ポスト・ペインタリー・アブストラクション”ではエルズワース・ケリー、フランク・ステラ、サム・フランシス、ヘレン・フランケンサーラー、モーリス・ルイスといった人たちが代表的なところです。
「抽象表現主義以降」と題されたテキストでは、来るべき絵画芸術のヴィジョンを次のように“予見”しています。
「危険を承知で言うのだが、ニューマン、ロスコ、スティルの絵画における新しい開放性が、近い将来の高度な絵画芸術にとって唯一の方向への道を示しているとわたしは考えている‥‥。」



グリーンバーグも“見る立場”で現代美術の動向のひとつの局面を先導していった人であったといえるでしょう。
彼の場合は、直観的とか実践的とか創作論的に来るべき時代を予見したのではなく、
彼なりの“絵画の発展史観”とでもいうべき考え方(見方と言ってもいい)があって、その理論的展開の結果として次代の絵画表現のイメージが導き出されてきた趣きがあります。
その“絵画の発展史観”というのは、概略を言えば、
何世紀にもわたって絵画が表現してきたイリュージョンを取り払っていくと、
“平面性”と“空間の枠付け”(いわゆる額縁のこと)が絵画的表現の本質をなすものとして露呈されてきて、現代の抽象絵画に至っている、というような捉え方(見方)です。
その流れは「16世紀のイタリアはヴェネツィアに始まり、17世紀のスペイン、ベルギー、オランダに引き継がれながら」やがて19世紀の印象派を経て、20世紀にはピカソやブラックによるキュビズムの運動を始発として、カンディンスキー、クレー、モンドリアンを経由して、ポロックを代表とする抽象表現主義に至ったとしています。

グリーンバーグの視覚は、現代絵画の前衛性を西洋近代絵画の発展史観を描き出すヴィジョンの中で形成されているわけですね。
そこにグリーンバーグにおける“見ることの優位”の裏づけが認められます。
ポスト抽象表現主義として彼が提唱した“ポスト・ペインタリー・アブストラクション”も、彼自身の言に拠れば抽象表現主義の否定ではなく、
むしろそれを継承して絵画の発展を推進するものとして意義付けられる動きです。
その特徴については次のように書いています。
「そして私がまさに主張するのは、他のどんな表現手法の性質よりも開放性と明澄さが、抽象絵画における新鮮さに貢献しているということなのである。」

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LIVE講義「現代工芸論」の全記録が視聴できます。

2019年02月20日 | 公開講義「現代工芸論」

投稿専門サイトnoteに「現代工芸論」のLIVE講義の全記録を投稿しました。
昨年の初夏から秋にかけて10回にわたって公開制で開催したものです。
視聴は有料ですが、聴いてもらえるとうれしいです。
アクセスはこちらからどうぞ。

「工芸」というと「伝統工芸」のことかと思う人が多いかと思いますが、
「現代工芸」というジャンルもあるんですね。
その特徴を列挙するならば、以下のようなことが言えます。
1. 用途のあるなしにこだわらない。(もしくは“用途”の意味を拡大して、たとえば用途を否定するものと見られてきたオブジェも、“鑑賞”という用途を有するとみなす。)
2. 創作物のオリジナリティを重視する。
3. 現代の技術を活用する(機械やコンピュータなど)。
4. 素材は主として複製素材を使う。
などです。
このような特徴から、「工芸」の現代における意義を考え、創作の現場に提言することが「現代工芸論」の課題と言えるでしょうか。

「工芸」というジャンルの主軸を成す原理として“手仕事”ということがあります。
“手仕事”の今日的な意味を考えていくということは、
現代においては、ある意味で反時代的な構えを取らざるを得ないところがあります。
しかしそのような構えを取ることで、「現代工芸論」は現代人の生き方に深くコミットする言説ともなりえます。
「工芸」は決して「結構な趣味」の世界のものではなく、
人間の生存の条件とリアルに切り結んでいるものなのです。


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ディドロ――美術批評の始まりのあたりで

2019年02月16日 | 「‶見ること″の優位」

西洋の近世・近代美術の評価の基点と目されたフランスの公的美術展サロン・ド・パリは1737年(日本では江戸中期)に創立されました。
初期のサロン(ボードレールよりほぼ100年前)を舞台にして美術批評を実践したのは、百科全書派の哲学者として知られるディドロです。
サロンの入選作品に対するディドロの批評は、美術批評の始まりと言われています。

18世紀のフランス美術は、ルネッサンスやバロック、あるいはネーデルランド(オランダ)の美術と比べると、私たち日本人には馴染みが少ないようです。
私見では、17世紀あたりまでは光をめぐる表現にさまざまな探求的試みが見られて、さまざまな関心を呼び起こさてくれていたのですが、
18世紀にはいると光の絵画的処理がマニュアル化して、一般人の好奇心を触発するような面白さには不足していたように感じられます。
逆に言えば、技巧的には非常に安定しており、また空間や心理の陰影の微妙で繊細な表現を得意とするグレードに達していたとも言えます。
その代表的な画家として、シャルダンがいます。




ディドロの美術批評から私が一番強く印象に残るのは、“光の量”ということに関して言及している箇所です。たとえばこんなふうに――
「友よ、影にもまたそれなりの色がある。白い物体の影の輪郭あたりを、そして影の本体をも注意深く見てもらいたい。そこに無数の黒と白の点の入り交じっていることがわかるだろう。赤い物体の影は赤みを帯びる。光が緋色にぶつかって、その粒子を剥離させ、反射の際にその粒子をもち去るもののように思われる。皮膚越しに血肉の見える肉体の影は、かすかに黄色味を帯びる。青い物体の影は、青い陰影をとる。そして影と物体とは照らしあう。この影と物体との間に交わされる無数の反射こそ、君の机の上に調和を生み出すものである。仕事とひらめきにまかせて冊子を書物の傍らに、その書物をインク壺のわきに、そのインク壺を性質も形もまちまちな多くのものの中に投げ出してきたきみの机の上にさえ。…」(『絵画論』岩波文庫 より)

引用文は、18世紀フランス絵画の潮流を方向付けているような空気を感じさせています。
あるいはシャルダンの静物画がそこはかとなく思い浮かんでくるような気になりますが、
実際にもディドロはシャルダンを同時代のトップアーチストとして高く評価していました。

そのシャルダンに、20世紀イタリアの静物画家モランディが深い関心を寄せています。
モランディの静物画を成り立たせているのは、“光の量”であると私は考えています。
ディドロの“見る力”は、シャルダンと同時代的な響鳴を介して、20世紀絵画にまで影を落としているのですね。

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ボードレールとマネおよび印象派の美術

2019年02月08日 | 「‶見ること″の優位」

美術の世界では、未見の世界を切り開くような創造的な画像が制作者によって生み出されると信じ込んでいる人が多いかと思いますが、
そのお膳立ては見る立場に在る人によってなされているというのが真相ではないかと思います。
西洋の近・現代美術史のなかで今即座に思いつく例を挙げるならば、
18世紀フランスの百科全書派のディドロ、19世紀半ばにパリの“サロン”に発表される美術作品を対象に美術批評を展開した詩人ボードレール、
イギリスではボードレールとほぼ同世代の哲学者ラスキンが、ラファエル前派の美術家たちやウィリアム・モリスのアート&クラフト運動を支持し、
彼らの活動にインスピレーションを与えていました。
20世紀に入ると、シュールレアリズム運動の中心的リーダーであったアンドレ・ブルトンや、
中葉の現代美術界を席巻した抽象表現主義の主導的役割を果たした評論家のグリーンバーグなどが思い当たります。

今回はボードレールの話をしておきましょう。
ボードレールの美術批評はのちに印象派の潮流を築いた若手美術家たちに影響を与えたとされています。
特に印象派への扉を開いたマネは、ボードレールに私淑して直接の影響を受けています。
この文脈で必ず引き合いに出されるのは、1863年に『フィガロ』紙に掲載された「現代生活の画家」というタイトルの評論文で、
コンスタンタン・ギースという無名に近い画家の、ペンと水彩で描かれた作品を取り上げて、来るべき絵画について論じたものです。

話をわかりやすくするために現在の私たちが抱いている限りでの当時のパリ画壇のイメージを言えば、
ドラクロア、アングル、クールベ、コロー、ミレー他のバルビゾン派、といった画家たちがもてはやされていた時代です。
彼らの精密な描写力が達成したハイブローな絵画に対して、ギースの作画は荒いタッチの風俗画のように見られたので、評価が低かったわけです。



ボードレールはそのギースの作画に託して“現代”を語ったのですが、
ギースを、産業革命後の工業都市化にともなって大衆文化を醸成しつつあったパリの喧騒の中に身を浸す画家として捉え、
その特質を、たとえば次のように描写しています。
「そこで彼は出かける。そして見つめるのだ、かくも壮麗でかくも輝かしい大河をなして、生命力が流れるのを。もろもろの首都における生活の、永遠の美しさと驚くべき調和、人間の自由の喧騒のうちにかくも摂理的に維持される調和を、彼は賛嘆する。…」
ここに、自らの詩作の舞台とも重ね合わせて、来るべき時代の新しい視覚が予見されていると読むことは容易いことでしょう。

マネはボードレールのこの予見を胚胎して新たな絵画の世界を切り開いていきます。
日本におけるボードレール研究の第一人者阿部良雄は、ボードレールによって先導されマネを経て印象派の画家たちへと発展させられていくこの新しい視覚について、次のように書いています。
「歴史的というのに近い意味での時間的な情報の切り捨てを、マネおよび印象派絵画の特徴として捉えてみてはどうだろうか。」
絵画の真実は二次元の空間であるということであり、在るのはただ“現在”という瞬時性だけである、と宣言したのがボードレールおよびマネ、そして印象派のスピリットであるということでしょう。
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