モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

陶九郎や荒川「志野」は志野でない――「桶谷寧の茶碗を観る会」終了報告

2013年03月17日 | 桶谷寧・曜変天目



「桶谷寧の茶碗を観る会」は衝撃的な話題満載で無事終了しました。
内容については「かたちの会」会誌次号で報告しようと思っています。

ここではひとつだけ取り上げておきます。
昨年の桶谷さんの個展では志野焼の作品も発表されていました。
私は桶谷さんの志野を支持していますが、来観されたお客さんの評価は低かったそうです。
その理由は私にはよくわかります。

今日では志野焼といえば加藤陶九郎とか荒川豊蔵が作ったものが志野焼とみなされ、
更に世代が下って、ガス窯で焼いた志野焼が「現代の志野」などと言われています。
そしてこのあたりが今の「志野焼」の基準になっていて、
志野とはそういうものだと思っている人が随分と多くなってきているようです。

私自身は陶九郎や荒川が作った白い筒型の茶碗を「志野」だとは見ていません。
私は若い時分には、国宝に指定されている志野茶碗を博物館や美術館で見たり、
瀬戸や美濃の資料館などで桃山期のものとされる志野焼の陶片をたくさん見てきて、
私なりの志野焼のイメージがあります。
陶九郎さんや荒川さんのものは私のイメージする志野からは程遠いものです。
(「昭和の志野」という便利な言い方をしてましたけどね。)

私の知り合いの女性に、フレッシュミルクはポスターカラーのホワイトみたいで、
あれはニセのミルクだと指摘する人がいますが、
それと同じで、陶九郎や荒川の志野の釉薬の白い色は、
絵の具で塗りたくったような白でやきものの色をしていません。

本来の志野茶碗を焼く技術は、現代ではだれも持っていないと私は思っています。
その点では、曜変天目茶碗も志野茶碗も同じです。
志野が焼けるかもしれない、と一抹の可能性を感じさせる陶芸家は、
今のところ備前の安倍安人さんと京都の桶谷さんだけと私は見ています。
安倍さんの意見では、一番近いところにいるのは桶谷さんではないかということでした。

私は桶谷さんに、いつか「本当の志野」を見せてもらえることを楽しみにしています。



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