「初期私小説論拾遺」(7 最終回)”自然”はどう立ち現れてくるか――近松秋江の場合
「初期私小説論拾遺」(6)”自然”はどう立ち現れてくるか―—葛西善藏の場合
「初期私小説論拾遺」(5)「十九世紀から二十世紀にかけての資本主義的な主観性の生産」
「初期私小説論拾遺」(4)小林秀雄の『私小説論』から——社会や時代と対決しない日本文壇の事情
「初期私小説論拾遺」(3)志賀直哉にはじまるもう一つの私小説の系譜
「初期私小説論拾遺」(2)世界の断片としての “私” ② 世界文学の変革期の中で
「初期私小説論拾遺」(1)世界の断片としての “私” ①
初期「私小説」論――宇野浩二(7 最終回)宇野の語りの臨界点は日本の近代小説の臨界点
初期「私小説」論――宇野浩二(6)“女”(社会的弱者)をいじめるのは、“国家”
初期「私小説」論――宇野浩二(5)“女”をいじめるのはだれ(何)か?・続
初期「私小説」論――宇野浩二(4)“女”をいじめるのはだれ(何)か?
初期「私小説」論――宇野浩二(3)「いじめられる母親」あるいは女たち
初期「私小説」論――宇野浩二(2)何を語り、何を語らないか
初期「私小説」論――宇野浩二(1)宇野文学における“語り”の特徴
初期「私小説」論――近松秋江(8 最終回)帝国大学系哲学v.s.プラグマティズム・象徴主義哲学
初期「私小説」論――近松秋江(7)「遊蕩文学論」をめぐる帝大出評論家との論争
初期「私小説」論――近松秋江(6)明治末期の男性が置かれていた状況
笹山央:「かたち」というタイトルの雑誌を1980年以降、断続的に出していました。タイトルの字はいけばな作家の中川幸夫さんに書いてもらったんですよ。
フォロー中フォローするフォローする