モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

Ⅰ‐3 近松門左衛門「心中天の網島」ー世間の言い分、個の生き死に

2021年02月22日 | 日本的りべらりずむ

浄瑠璃には時代物と世話物の二つのジャンルがあります。
世話物は、台本が書かれた当時と同時代が舞台になっている劇、今で言う現代劇で、
近松門左衛門によって始められたと言われています。
『曽根崎心中』がその第一作です。

世話物の世話とは世間の話という意味ですから、世は世間を意味すると思っていいでしょう。
近松の心中ものの中でも最高傑作とされる『心中天の網島』は、遊女小春と紙屋治兵衛の心中事件を戯曲化したもので、
その顛末が話の軸になっていることは言うまでもありません。
が、ひとつの試みとして、世話物の意味に即して“世間”というところに光を当てて読んでみるという手もなくもないと思われます。

そのつもりで読んでいくと、この作品の“世間”の描き方というのは、
確かに最高傑作との評価を受けるに値する完成度に達していると言ってよいでしょう。
事件の起こった時代は元禄期ですが、その当時の上方の市井の様子が、登場人物のふるまいや、
交わされる会話や、また場面の背景として描かれるディテールなどを通して精緻に描かれています。
そして、治兵衛を囲む、妻おさん、兄粉屋孫右衛門(元武士)、叔母、五左衛門(おさんの実父で叔母の夫)といった主だった登場人物の配置は、
近松心中ものの世界を典型的・象徴的に表していると言えます。

小春・治兵衛の物語として読むぶんには観劇者(読者)の同情はこの二人に向かっていきますが、
“世間”の反応を主役にして読んでいくと、登場人物たちの発言や行動はいずれも筋が通っていて、
小春・治兵衛の二人だけ(後半にはおさんも加担してきますが)が世間の道理から逸脱していることが分ります。
その二人でさえ、生活者・職業人としての意識は“世間”の規矩に準じているのです。
この意味では、物語の前半においては小春・治兵衛・おさんの三人も、
“世間”という絵模様の一つの図柄として語られていると言えます。



十数作の心中ものを通して、世間から逸脱して死への道行きを突き進んでいく男女の姿に近松のある種の共感が向けられていることは間違いありませんが、
小春・治兵衛の場合は、“世間”の目からすれば、欲望に溺れた自業自得な男女の哀れな顛末としか見えなくもありません。
前半は、いわば‟世間の言い分”が表記されていると言えるわけです。
とすればいったい何がこの作品のドラマ性を生み出しているのかを考えてみると、
「女同士の義理」というエピソードが、この心中事件のインパクトのあるモチーベーションをなしていることに気がつきます。

「女同士の義理」とは、おさんが小春に手紙で「夫の命を助けて」と懇願したのを小春が「治兵衛のことを思い切る」と返事して、その約束を守り通そうとすることが小春の命取りになっていく、という話なのですが、
おさんは、死を選択するしかなくなった小春を救わなければ「女同士の義理」が立たないと考えて、
真相を知った治兵衛とともにその算段をしていこうとする(3人の三角関係もどうにか解決していこうとする)のですが、
そこへ実父の五左衛門が登場して、「女同士の義理」が引き裂かれていく流れになっていきます。
まさにここから、小春・治兵衛の心中への道行きが始まるわけです。
かくして後半(下の巻)は小春と治兵衛の道行きが語られていきますが、ここからは二人だけにスポットライトが当てられていきます。

このように読んでいきますと、話の全体の流れは、“世間”という絵模様を描いていく前半から小春・治兵衛の二人の世界へ、
そして終局の心中の場面では死に場所を違えて、個々別々に死んでいく形がとられます。
首を吊って死んだ治兵衛の死体は「なり瓢(ひさご)、風に揺らるるごとくなり」と表現されて、即物的な描写に衝撃を受けます。

100年前のイギリスではシェイクスピアが一個の“個”が発する「To be or not to be ?」からはじめて、
精神の世界の深みへと視界を深めていくのに対して、
人間の実存を凝視する近松の眼は、晩年の作の『天の網島』においては“世間”から始まって、
究極には一個の“個”へと行き着いていくわけです。
(さらにその先には、『女殺油地獄』の不条理の世界が待ち受けています。)
この意味でも、シェイクスピアと近松は対照的であり、私個人の見解としては、
近松の方に人間観察のよりラジカルな先鋭性を感じます。

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Ⅰ‐2 近松門左衛門「曽根崎心中」(下)●心中事件の歴史的な意味

2021年02月11日 | 日本的りべらりずむ
(前回からのつづき)

心中もののヒロインはいわゆる遊郭という悪場所に生きていた女性が多かったようです。

遊郭はまた“苦界”とも言われて、男にお金と引き換えに身請けをしてもらう幸運に恵まれなければ、
死ぬまでそこを抜け出していくことはできないと言われた場所でした。

“苦界”という言葉は江戸期から使われるようになったとのことです。

徳川氏が江戸に幕府を開いて世の中が落ち着いてくると、商業活動が盛んになり、
市中の整備も進んでいって、遊郭や芝居小屋などの遊興のエリアが特定の場所に囲われていきました。

身分制も定着していって、遊興のエリアで生存活動を営む人たちは士農工商からもはずれた、
世間の最底辺あたりに位置づけられるような存在と見なされるようになります。

「理が立たなければ死ぬしかない」という元禄時代頃の女性たちの追い詰められた意識は、この時代の社会状況により余儀なくされていたということでしょう。



“苦界”という言葉は中世の“公界(くかい)”が江戸期に入って変化したものと言われているようですが、
民衆史家の網野善彦の『無縁・公界・楽』によりますと、公界は世俗的な縁から切り離された“無縁”の人々が寄り集まってくる場所の呼び名で、
「(戦国時代には)俗権力も介入できず、諸役は免許、自由な通行が保証され、私的隷属や貸借関係から、自由、世俗の争い・戦争に関わりなく、平和で相互に平等な場」
として「寺院だけでなく、社会のいたるところに存在し、活動していた」とされています。

しかし
「こうした積極性は、織豊期から江戸期に入るとともに、これらの言葉自体から急速に失われていく。(中略)「公界」は「苦界」に転化し、「無縁」は「無縁仏」のように淋しく暗い世界にふさわしい言葉になっていく。」

 『無縁・公界・楽』ではさらに女性の“無縁”性に考察を及ぼして、「女性の「性」そのものの「無縁性」「聖」的な特質」を指摘しています。

そしてこの女性の“無縁”性が、
「時代とともに並行して衰弱していく。それは、まさしく「女性の世界史的敗北」の過程の一環にほかならない。」
そのような認識を、網野氏は導き出しています。

してみれば、おはつ・徳兵衛が心中へと到るプロセスは、「女性の世界史的敗北」の過程という、
近世から近代にかけての家父長制度下の差別のまなざしの中で、
女性が追い込まれていった境遇の一つの点景として捉えられるということになります。

 これはまさに、徳川幕府樹立後100年ほどして上方の苦界を中心に心中事件が頻発したことの歴史的な意味と言えるでしょう。


おはつ・徳兵衛の心中場面の描写はとてもリアルで、筆者などは正視するのがちょっと辛いようなところがあります。

そのリアルな描写は近松のほとんどの心中ものに共通していますが、
人間の死にゆく姿を冷徹に描いていくことによって、成仏の契機を、魂の救済を見い出していこうとするかのようです。

場面は夜の(あるいは明け方の)暗い陰惨な空気感の立ち込める中で、
時代が強制してくる宿命に抗う術を知らぬ若い男女二人の至純の愛の炎が、そこで一挙に立ち昇っていくのです。

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Ⅰ‐2 近松門左衛門「曽根崎心中」(上)●理が立たねば、死なねばならぬ

2021年02月11日 | 日本的りべらりずむ
『曽根崎心中』を初めて読んだときに筆者が受けた印象は、何よりも出だしの異様さです。

舞台となる大坂市中の西国三十三所の観音巡りが語られるのですが,
この出だしについて諸解説は、近松の精神的バックボーンをなす仏教的なイメージによる魂の救済のテーマを提示するもの、などと書かれています。

しかしどちらかというと、延々と続く語りに抹香臭さが立ち込めてきて異様な感じをぬぐいきれないでいました。


そういう中で、近世芸能文化の研究者である広末保が、『曽根崎心中』は主人公の二人の霊をこの世に呼び戻して、
もう一度生き直す(心中へと至る出来事をもう一度なぞる)という形で構想した、
(実際、冒頭は「げにや安楽世界より、今この娑婆に示現して」と書き出されています。)
そして二人の若者の死の意味、心中の意味を劇的想像力の中で造形することによって魂の成仏をくわだてたのだという解釈に出会って、なるほどなと得心しました。

広末の解釈をさらに煮詰めていきますと、二人の死のシーンをどう描くかというところまで見通した上で、
ということは、心中の意味を近松なりに完璧につかみきった上で書き始めたと筆者は考えたいと思います。

それはつまり人間の死の意味を見出すことであり、同時にそのことを通して作劇の新しい世界が開けてきたということを意味していたに違いありません。

そのような万感の思いの炸裂するような勢いがこの出だしから感じられます。



話の流れは、おはつと徳兵衛が再会するところから心中に至るまで一直線に進んでいきます。

もちろん、死へと追い込まれていく経緯がドラマの進行とともに語られていて、
そこに登場する脇役たちもそれなりの意味が託されていることは言うまでもありませんが、
究極の目的はやはり心中の場面を描くところにあったことには違いありません。

再会から心中までの時間経過がすこぶる早く、徳兵衛が金を貸した相手の九平次から辱めを受け、
その九平次が茶屋で徳兵衛の悪口を言うのを、徳兵衛がおはつにかくまわれた状態で聞きながら、死を決意する、
それがその日のうちのことで、1日と経っていません。

しかも最初に死を決意するのはおはつの方で、徳兵衛の側の「理が立たぬ」と判断して、
縁の下で聞いている徳兵衛に、次のように伝えます、
「徳様も死なねばならぬ、死ぬる覚悟が聞きたい…。」

おはつ自身が「理が立たない」わけではないにもかかわらず、徳兵衛と一緒に死のうと誘いかけ、その覚悟を問うのです。


同じ近松による他の心中ものでも、大抵は覚悟を決めるのがあっという間のことで、
しかも先に女性が決断して、男に同意を求める形が多いようです。

このことは、追いつめられれば死しか選択肢がないということを意味している、
近松が生きた時代(1700年前後)は、特に女性たちはそういう境遇に置かれていたと想像されます。

                                (つづく)

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Ⅰ-1 近松門左衛門「近松は日本のシェークスピアか?」

2021年02月01日 | 日本的りべらりずむ
近松門左衛門は日本のシェークスピアという噂を聞いたことがあります。
どこからそんな話が出てきたのか、私は文献資料に遭遇したことがないのですが、
数年前にたまたま『曽根崎心中』を読んでいて、創作の仕方の上ではむしろ逆に両者違いの方が鮮明に意識されてきました。

一番大きな違いは、いわゆる主人公の身分設定の仕方です。
すなわち、シェークスピア劇の主人公の大半は、国王だの王子だの領主だの、
上流階級のトップに位置する人だの、若い美貌の男女だの、いわゆるエリートとされる人たちで、
主題となる事柄も、そのエリートに担わされる時代的な課題とか運命的な不条理とか、
大時代的、あるいは思想的な問題意識であったりするわけです。
そしてそのような問題性を担わされた主人公が、葛藤しながらもいかに主体的に生きていこうとするか、
あるいは悲劇へと邁進していくかが,ドラマツルギーを組み立てていく推進力となっていきます。

対して『曽根崎心中』の主人公おはつと徳兵衛は、遊女と商家の手代という、ふつうのアノニマス(無名)な庶民にすぎなく、
特別際立った個性とか、思想とかを有しているわけでもありません。
また彼らの生き方が彼らの主体性によって切り開かれたり破滅に向かっていったりするのではなく、
いわば眼に見えない社会的な取り決めや拘束力のようなものに促されて、悲劇的な結末へと導かれていきます。

両者の違いは、西暦1600年前後のイギリスの社会状況と、1700年前後の日本の社会状況、
および、観客が観劇に求めていたものとの違いに由来するところがもちろんあると思いますが、
そういった条件的な事柄はとりあえず横に置いて、劇の成り立ち方だけを観察しますと、
シェークスピア劇は、特権的に頂点に据えられた個のエネルギーからドラマの推進力を得、
社会や時代の深部へと切っ先をねじ込んで行くようなイメージがあります。
他方、近松劇は、登場人物が生きている時代の“世間”の中で蠢く人間の心模様を、
死へと向かう時間軸に沿って配置していく方法でもってドラマが進行していきます。

シェークスピアが個のレベルでの「生きるか死ぬか」の二者択一の前で、人間の実存を浮がび上がらせていくのに対して、
近松は、ひたすら死のゴールへと追い込まれていく無辜な人間の姿を通して、“この世(仏教的な意味での世間)”の真実を描き出していきます。

シェークスピアの人間観察のまなざしは、個のエリート性を頂点とするヒエラルキカルな枠組みが感じられ、
近松のそれには、世間というフィールド全体をフラットにながめ渡そうとするものが感じられます。
言い換えれば、人間世界の価値判断の枠組みが、シェークスピアは階層的であり、近松は無差別的であるということです。

1600年頃から1700年頃の間の西洋における戯曲の世界は、シェークスピアに限らず、フランスのラシーヌやコルネイユ、
また喜劇作者のモリエールにしても、主人公は上層階級や富裕市民のエリートに設定されたものがほとんどです。
身分制社会の枠組みを越えた無差別なまなざしの中に、人間の生き様を描き出していこうとしているのは、
17世紀の作劇世界の中では、近松門左衛門唯一人ではないかと推測されます。
(北欧やイタリア、そしてイベリア半島などの作劇状況は確認していませんが。)

そのように見ていくと、我々の評価基準からすれば、世界の近世の戯曲世界において最も先端的なのは近松であり、
その意味で、最も偉大なのは近松門左衛門ではないかと、少なくとも私個人としては、そのように考えております。


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