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モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

谷本景氏(伊賀焼陶芸家)の床の間しつらえ

2019年04月17日 | 床の間奪回

伊賀焼茶陶を代表する窯元の一つ三田窯のゲストハウスで、和室の床の間を面白くしつらえしたのを拝見したので、ここに紹介しておきます。



軸は、刻石の拓本の愛好家にはあまねく知られている泰山金剛経の拓本で、三田窯当主谷本景しがネットオークションで入手したとのことです。
特に「唯一心」と書かれたものを知り合いの古美術商にも頼んで永い間捜し求めていたのが、ようやく手に入れることができたとか。

床の造形物は、陶芸作家である谷本氏の作になるものです。
ベースは伊賀焼の陶オブジェですが、全面を大小の赤い水玉で彩色した野心作です。
三田窯は伝統的な伊賀焼の窯元として知られていますが、谷本氏は伝統の枠を逸脱して、
コンテンポラリーなアーチストとして新しい伊賀焼の創造に邁進しています。

作られた場所も環境も異なり、素材や技法がまったく異質なものが、
日本の床の間という空間で遭遇して、非日常の空間を演出する。
しかしエネルギーを内側に蓄えこんだような趣きの点で両者が共鳴するところもあって
見ているうちにテンションが上がってくるようなアート鑑賞体験をさせてもらいました。

「床の間奪回」サイトへ]


谷本景氏は現在、伊勢市にある伊勢現代美術館というギャラリーで個展を開催中です。(5月12日まで)
[出品作から]









[伊勢現代美術館について]


庭から五カ所湾を望む 画像は伊勢現代美術館HPより


野外展示場“宇空” 画像は伊勢現代美術館HPより


伊勢現代美術館は、名古屋からJRまたは近鉄電車で伊勢市駅まで1時間ほど、駅からは車で30分ほどかかりますが、庭から望む伊勢志摩国立公園内の五ヶ所湾は穏やかな癒しのある眺めです。
コンテンポラリーアートや工芸作品を展示しています。野外展示場もあり、神社の境内のような雰囲気なのがいかにも伊勢らしいです。
伊勢方面にお出かけの際は、是非立ち寄られることをお奨めします。

伊勢現代美術館のHP
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レクチャー「床の間奪回」のお知らせ

2018年09月05日 | 床の間奪回
終了しました。会の様子はHPをご覧ください。


新しい企画として「床の間奪回」というレクチャーを開催します。
テーマは「床の間は心の置き場所」というものです。



日時:2018年9月17日(月)2:00p.m~5:30p.m.(1:30開場)
会場:土日画廊 中野区上高田3-15-2 (最寄り駅/西武新宿線新井薬師前駅)
.
定員は8名です。 ※キャンセル待ち 
参加お申し込みは早めにお願いします。


[趣向]
・ 西村陽平、井上まさじの平面作品を軸に見立てて、床にオブジェ作品や生花を据えます。
現時点で、兒嶋画廊の兒嶋俊郎さんの制作になるオブジェや、ガラス作家大村俊二さんの花器なども用意しています。
・ 鑑賞会を兼ねて、取り合わせの意図を解説し、またフリートークにより、各作品に対する感想や批評を語り合います。
・ 取り合わせのヴァリエーションを様々試みながら、「心地よい」あるいは「刺激的な」現代床の間飾りの可能性を探ります。

詳細、参加のお申込みはこちらをご覧ください。

「床の間奪回」の趣旨については、2010年から11年にかけて当ブログで一度提案しています。
こちらも参照してください。



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「床の間奪回」――「かたち」NO.07春号より

2011年01月04日 | 床の間奪回
かたち21のHP



「かたちの会」会誌No.07春号を発行しました。

今回の巻頭記事のタイトルは「床の間奪回」というものです。
これは単に「和の文化を見直そう」的な発想で編集したものではありません。
また、伝統的な「床の間」とその「飾り」のサンプルを思い出そうというのでもありません。
そもそも現代の住宅の造りの中に「床の間」スペースが排除されている上に、
住居の中がモノであふれかえっている状況の中で、
なんとかしてもう一度「床の間」スペースを見出していく努力をしてみませんか、
ということを呼び掛けることを趣旨としています。
だから、伝統的な「床の間」があるかどうかということを問題にするのではなくて、
たとえ本棚の一隅のような小さなスペースでも、「わが家の床の間」と呼びうるスペースを
確保しようとすることが重要だ、というようなことをアピールしようとしています。

ここでの「床の間」の定義は、「こころの置き場所」ということです。
だから、ただ壁に絵を飾るとか、机の上にオブジェの置物を置くとか
といったこととも意味合いが違えています。
自分の、もしくはわが家の「こころの置き場所」という自覚を持つということと、
そこに、こころを託したものとして「何を置くか」ということが重要になってきます。

具体的には、ご近所の鈴木工務店さんが設計施工された
個人住宅3軒ほどを取材させていただき、
当方で用意した絵画やオブジェ作品で床の間飾りを試みてみました。
3軒ともいわゆる伝統的な形式に即した床の間ではないのですが、
それに準じるスペースを持ちたいという意思が伝わってくるようなお住まいです。

残された問題は「何を置くか」ということについての意識のありようですが、
その点に関しての提案を試みてみたというわけです。
「床の間奪回」はモノであふれかえった住まいの中に
「床の間」スペースをどう見出していくかというところから始まりますが、
形式に捉われない「自由なこころの置き場所」としての床の間を
我が家の中に奪回していきたいと思います。


会誌「かたち」No.07の概要はこちらをご覧ください。

「かたち21」企画の1月の展覧会
「軸のススメ――絵画を中心に」および
「自分へのおもてなし――わん一式を中心に」
の詳細はこちら
(1月15日(土)の午後には会場の可喜庵で、
取り合せの美三題――床の間・わん一式・衣裳」
をテーマにした「さろん」を開きます。)



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「軸」が無いーー(続)心、いのち、もの

2010年10月17日 | 床の間奪回
かたち21のHP



私の手元にある、床の間について建築史研究者が書いた本には、床の間の意義を
「空間に秩序を与える場」として考えるということが書かれています。
そして現代の床の間は、軸などを掛ける場として固定的に考えなくても、
「単に凹んだだけの空間」としてあるだけでもよいのでは? と提案しています。
床の間のある部屋に秩序と美的な効果を及ぼすのであれば、
立派に床の間の機能を果たすのである、と書いています。


これに対して安倍安人さんは、「床の間は軸を掛けることで、人が入れない空間となる」と言い、
軸がかかった床の間は「心」を置く空間であると言うのです。
われわれ日本人にとって床の間とは何かということを考えたときに、
私には建築史家の考えはいかにも軽く、安倍さんの意見の方がはるかに重要な示唆を含んでいるように思えます。


私たちの住空間が床の間を失っているということは、
だから「心」を置く場所を失っているということであり、
また軸を掛ける場所を失うことで、軸そのものを持たなくなっていると言うことができます。
つまり、「現代の日本人は軸になるものがない」ということになります。


軸とは昔風にいえば書画として表されてきたもので、現代的にいえば美術品ということになります。
現代人は「カルチャー」の臭いがするところにはたくさんの人が群がりますが、
「美術品」にはだんだんと興味を向けなくなってきているように私には感じられます。
「美術品」を愉しむには自ら進んで美術品に向かわなければいけませんが、
現代人はそういうことをだんだんと苦手にしていく傾向が見られます。
このこともわれわれが軸を失いつつあることのひとつの原因になっているように思われます。


また美術家の方も、人の歓心を引いたりお金が誘いかける方向に制作が向かって、
「心を引き受けて」描くということがなくなっているようです。
そうして日本人は各々の家庭で軸を持つことができなくなっているわけです。
だぶんこれが、現在の日本の心的な状況なのだと思います。



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心、いのち、もの――「安倍安人さんの話を聞く会」より

2010年10月05日 | 床の間奪回
かたち21のHP



備前焼陶芸家の安倍安人さんの「話を聞く会」の第3回目を今月の2日に開きました。
曜変天目を再現した桶谷寧さんも参加してくださり、私がひそかに思うところでは、
歴史に記録されるべき会になりました。そのことを理解してもらえるのは、
安倍さんと桶谷さんがこれまでにされてきた仕事の意味が理解できる人だけだとは思いますが。


今回のテーマは「桃山文化の特質」ということでしたが、
私は以前から安倍さんの「器は桃山期から始まる」という考えが面白いと思っていたので、
そのことを中心に話してもらいました。安倍さんの話はとても魅力的なものでしたが、
その中でも特に興味深く思えた話題をひとつ紹介しておきます。


それは、昔の日本家屋や茶室に備わっていた「床の間」は「心」を置くスペースだったという説です。
この話の前提として、桃山期の日本人の価値意識として、もっとも高い位置に「心」を置き、
2番目に「いのち」、3番目に「もの」というランク付けがなされていたということがあります。
つまり日本人にとって物事の価値付けは、上から「心、いのち、もの」の順番でランクづけられて、
「心」は特に人間世界から一段上にある世界のものとして、
それが置かれる場を「床の間」としたということです。


現代の私たちの感覚ですと、「心」というものの存在を実感し尊重する習性がだいぶん薄らいでいて、
むしろ「いのち」という言葉の方に価値感の比重が移っているように感じられます。
だから「いのち、心、もの」というランク付けの方が私たちにはすんなりと入ってくるような気がするのですが、
そうではなくて、桃山期の人々は「いのち」よりも「心」を上位とみなしたんですね。


場合によっては「心」を優先するために「いのち」を犠牲にするということもありえるわけです。
そのことは「日本のかたち」が成り立つ上でのひとつの本質として考える必要があるかもしれません。
もっとも、「だから国家・国民のためにいのちを犠牲にするということもありうる」
というような考え方に与する気持ちは、私はいっさいありません。
「心」の問題は、国家や民族を超えたところの問題として捉えたいと思いますし、
それこそが「日本のかたち」を考えるということの現代的な意味であると思います。


「安倍安人さんの話を聞く会」のご案内はこちら


[お知らせ]
安倍安人展 10月31日(日)―12月5日(日) 会場:ミウラート・ヴィレッジ(三浦美術館)
愛媛県松山市堀江町1165-1
代表的な陶芸作品を中心に、絵画、ブロンズの平面作品など。入場料 600円

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