モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

美術・工芸のチャリティ展に違和感

2011年05月03日 | 展覧会・イベント
かたち21のHP

いま、ビジュアル系アートの世界(工芸含む)もチャリティの展覧会が盛んです。
しかし私はちょっと違和感を感じてます。
ふだんは自分の作品が売れなくてもいいと考えている人たちが、
急に売ろうと思い立っても、そう簡単に売れるわけがないのであって、
買う側の人たちはたいして欲しいとも思わないものを、
お付き合いで仕方なく買ってくれてるようなところがあるからです。

人様からお金をいただくということをふだんから意識して
自分の芸を磨いているエンタメ系――音楽とかプロスポーツとか芸能とか――の人たちが、
チャリティを企画したり入場料を寄付したりするということは立派な行為だと思いますが、
自分自身の満足のため、あるいは公募展に入選するためにものを作っているような人間が、
人助けのチャリティというのは、なんだか筋違いのように思えて仕方ありません。
やるべきことはもっと他にあるんじゃないの、という気がするんですね。

前回も書きましたが、今回の大津波はテレビの画面を超え出て、
すべての日本人の足元まで、あるいは心の中にまで襲いかかってきたのだと私は思います。
被災地からは遠く離れていても「いてもたってもいられない」とか
「自分に何ができるか」という思いを多くの日本人が持たれたようであるのは、
単に被災地の人々への同情とか気の毒と思う気持ちだけでなく、
むしろ自分自身にもふりかかってきた災厄として捉えられたからだと思うんです。

したがって「復興」という問題は、被災地や日本経済の復興というだけでなく、
日本人一人ひとりの「自分自身の復興」ということが
そこには重なっているのではないかと思います。
ソフトバンクの孫正義さんにしても、城南信用金庫の脱原発宣言にしても、
「自分自身を復興させる」というモチベーションが力強い説得力となっています。

したがって、ビジュアルアート(美術、工芸ほか)系の世界の人たちも、
一番問うべき問題は、美術や工芸の現状をどうするのかということ、
美術家とか工芸家として、大震災以降をどう生きていくのか
ということを問うことであるはずです。
その葛藤を作品化して世の中にアピールし、
それを買ってもらったお金を義捐金とするのならともかく、
片手間に作ったような作品を、小品で売れやすいだろうというような安易な考えで、
チャリティをやろうとするような、そういう在り方に私は馴染むことができないでいます。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする