モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

「たかが一服のお茶」と言うなかれ

2011年08月26日 | 飯碗、湯呑み、木のクラフト
かたち21のHP





昨年ご飯茶碗を作ってもらった森野清和さんに、
今年は湯のみ茶碗を作ってもらいました。
今回もなぜ森野さんに頼んだかというと、
何年か前に下関市の彼の工房を訪ねたときに、
彼が使っていた湯のみ茶碗がとても気に入って、
無理を言って譲ってもらったのですが、
以来現在に至るまで、他の湯のみにいっさい浮気することなく、
その湯のみを愛用し続けてきたということがあります。

森野さんの湯のみをそんなにまで気に入った理由はいくつかありますが、
そのひとつに、お茶の温度が湯のみを持つ手に
ほどよく伝わってくるということがあります。
その「ほどよい温かさ」の感覚がお茶の味わいも高めてくれますし、
湯のみを持つ手の感触も心地いいのです。

このごろの湯のみは熱いお茶を淹れるとすぐに熱くなって、しばらくは手に持てません。
口縁のあたりを親指と人差し指でつまむというような、みっともない所作を強いられます。
これではお茶の味もへったくれもありませんが、
現代の日本人は案外そういったことに無感覚なようで、文句をいう人が少なくなりました。

お茶の熱さがストレートに伝わってくるような湯のみは
ちょっと問題ありとしたいところです。
なぜなら、それでは「日本茶を愉しむ」という文化が
壊れてしまうからです(オオゲサではないですよ)。
しかし、ほとんどの陶器製の湯のみが熱伝導率が高くて、すぐに熱くなってしまいます。
そのことを意に介さない人たちの神経の粗雑さは、
原発がなければ生活が豊かにならないと考える人たちの
感性の粗雑さと基盤を同じくしていると思います。

湯のみがすぐに熱くなるのは素材の粘土を充分に吟味していないからで、
それではプロの陶芸家と言えません。
森野さんは自分で採取してきた粘土を、原土のまま、
あるいは水簸したりブレンドしたりして使っています。
湯のみを作る場合には、熱伝導率の低い粘土を吟味しているにちがいありません。
つまり陶芸家としての仕事をきちんとしているということですね
これが森野さんに湯のみ茶碗を作ってもらった理由です。

「おいしくお茶を飲む」文化を創れるかどうかということは、
これからの日本の「豊かさ」の在り様にかかわっていると私は考えています。


森野清和さんの湯のみはこちらでご覧になれます。
(左側の「湯のみ」をクリックしてください。)

コメント
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