モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

#本居宣長の[ながむる(奈我牟流)]の論

2023年02月19日 | 「‶見ること″の優位」
[ながむる(奈我牟流)]
本居宣長著『石上私淑言』
より

奈我牟流とは。聲を長くひきていふ事を。すべていふ也。于多布(うたふ)とは。其奈我牟流言の中にて。ほどよく調ひ文あるをいふ也。さればすべて聲をながく引ていふはみな奈我牟流也。其聲にあやをなしてほどよくながむるが于多布也。故に于多布をも通じて奈我牟流といへることおほし。奈我牟流をすべて于多布とはいひがたきことおほし。よりて文字も詠字は奈我牟流にも于多布にももちひ。歌字は于多布にのみ用て。奈我牟流には用ひず。もろこしにても此こころばえにて歌字と詠字ともちひかたに差別ある故也。(p.122)

「さて又物おもひしてなげくことを奈我牟流といへつこと。歌にも物語ぶみにもおほし。これはといふ言と同じ事也。其ゆへはは長息といふ事也。それをともはたらかしていふ事は。息と生と同じ事也。性と死とは一つの息によりて分るる物にて。息すれば生也。せねば死也。されば生は息するといふ意にて。本は息と生と同じ言なれば。息はともはたらく言也。されば其息を長くするをといひ。それをつづめて奈宜久(なげく)ともいふなれば。奈宜久はながいきするといふ事也。万葉集に。長氣所念鴨などよめる事数しらず。さて何故に息を長くするぞといふに。すべて。情にと不覚思ふ事あれば。必長き息をつく。俗にこれを多売伊幾都久(ためいきつく)といふ。漢文にも長-大-息などといへり。その長く息をつくによりて。むすぼほれたる心のはるる故に、心に深く感ずる事あればおのづから長息はする也。(p.123)

されば息を長くする事なれば。奈宜久を奈我牟流といふなり。さて。心に深くとおもふ事あれば。かならず長息をする故に。その意より転じて。物に感ずる事をやがて奈宜久とも奈我牟流ともいふ也。(p.123)

問云。物をつくづくとみるを奈我牟流といふは。いかなる故ぞ。
答云。(前略)然るを千載新古今のことよりして。もはら物を見る事にのみいへるは。又其意を一転せる物也。それにつきて二つの今按あり。「一にはまづ物思ふときは。常よりも見る物きく物に心のとまりて。ふと見出す雲霞木草にも目のつきて。つくづくと見らるるものなれば、かの者おもふ事を奈我牟流といふよりして、其時に」つくづくと物を見るのもやがて奈我牟流といへるより、後にはかならずしも物おもわねども。ただ物をつくづく見るをもしかいふ事になれるなるべし。されば中比は。物おもふ事と。見ることとをかねていへるやうに聞こゆるか。歌にも詞にもおほし。これ物おもふ時はかならず物をつくづくとみる物故也蜻蛉日記に。よろずをながめおもふに。又かかる事をつきせずながむるほどに。などいへるは。まさしくなげくといふに同じくして。物思ふ事也。(p.124-125)

「今一つには。三代集の比の歌にも詞にも。物思ひなげく事を奈我牟流といへるが。物を見る事のやうにも聞えてまぎらわしきがおほかるを。あやまりて。物を見ることぞと心得て後には。其意に用る事になれるなり。されば昔の歌に物思ふ事によめるを。見る事と心得ること今もおほし。此両義を並べて按ずるに。猶まえの義まさるべし。とまれかくまれ。物おもふ事より転ぜしはたがわぬ也。さて奈我牟流といふに。眺字をかくは。この字は視也望也と註したれば。後に物を見る事にいふこころ也。言の義にはかなはず。奈我牟流には詠字よくあたれり。ただし後の歌共に、見る事を奈我牟流とよめるに。詠字をかくは。文字は仮-物とはいひながら。目にたちてあしきもの也。(p.125)





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