龍樹の唱える一二支縁起は、十二支の相互的な依存関係によって出来事が生起するということを主張し、
“十二支の相互的な依存関係”を時間的な前後関係(過去→現在→未来)や因果関係の枠組みの中で捉えず、
その実体は“空”であるというということを表明しています。
ということは、“空”の状態は無時間的だということが含意されていることになります。
つまり、たとえば座禅の修行を積み重ねて遂に“空”の状態に入ることができたとすると、
そこでは時間の感覚が無くなっているとか、超えられている、という状態が生じているということです。
天台止観や摩訶止観では、座禅の目指すところは“三昧”の境地であることが書かれていますが、
“三昧”というのは、世俗のレベルの理解では「忘我の状態になる」とか「時の経つのを忘れて」といった意味に受け止められているところからも推測されるように、
時間感覚が否定乃至超えられている状態を表す仏教用意語です。
ここからも、“空”の状態は無時間的であるというふうに了解することができます。
当ブログはここ3回ほど、「見ることの優位」あるいは「観照」の問題から離れて哲学談義のようなことを書いてきましたが、
何が言いたいのかというと、古典和歌、特に勅撰和歌集の掉尾を飾る玉葉集や風雅集の“観照”の深さということです。
たとえば、上記二つの和歌集の看板スターである永福門院は、古典和歌の究極と思われるほどの質の高さに達しているのですが、
次の和歌が伝えている自然観照の質というものが、どういう性質のものであるかということを突き止めてみたいと、切に思っていることが初発の動機です。
花の上にしばし移ろふ夕づく日入るともなしに光消えにけり
一見したところでは自然の移ろいを詠んでいると受け止められますが、
その移ろいの現象の深みに「永遠」ということが忍ばされている、
「光消えにけり」というのが自然の摂理の永遠性として詠(なが)められているような、そういうニュアンスが表された歌です。
たとえて言えば、夕刻の日の光が徐々に薄らいで闇が寄せてくるある時間の幅が、
一枚の絵画の中に表現されているような、そういう描写力です。
国文学者の小西甚一はこの歌について以下のように書いています。
「それは物理的にゆっくり消えていったはずだが、その消え切る微細な瞬間を、話主は突然に感じ取ったのである。
この把握は、微妙であると共に、鋭い。」(『日本文芸史』)
続いてこの“鋭い”感じについて詳細な分析が記述されていきます。
「この鋭さは、禅のものである。禅、とくに臨済禅では、表現の鈍さを嫌う。
同じような内容を言っても、日常意識の破られかたが痛烈なのを高く評価する。
それは、禅の語録に見られる巨師たちの問答が、切るか切られるかの白刃を交えるような緊迫感に充ちていることからわかる。
日常意識が鋭く破られるとき、不思議境としての性質が強くなるのも当然であって、後期の玉葉風にそれが現われている。
光線の扱いかたとか、時間の流動相とか、色彩の豊かさといった類の思議境について玉葉風を分析することが従来の立場だったけれども、
それだけでは玉葉風の真価を問うわけにゆかないはずである。」(『日本文芸史』)
小西は、中世の歌詠みたちは、少なくとも新古今集以来はみな天台宗ないし禅宗の止観の訓練を積み重ねているとして、
その止観によって得てきた観照力で自然の景物・現象を見ている、といった趣旨のことを書き、玉葉集・風雅集の和歌の世界を高く評価しています。
止観の修行は“空”の境地や洞察眼を養っていくかと思いますが、
そのようにして達せられる“空”の境地や“眺め”のはたらきは、
自然の移ろいをいわば“無時間”的な出来事として、“永遠”の相で観照するという、
そういう眼力ないし精神的境位を詠み人たちに授けていったのではないかと私は考えています。
“十二支の相互的な依存関係”を時間的な前後関係(過去→現在→未来)や因果関係の枠組みの中で捉えず、
その実体は“空”であるというということを表明しています。
ということは、“空”の状態は無時間的だということが含意されていることになります。
つまり、たとえば座禅の修行を積み重ねて遂に“空”の状態に入ることができたとすると、
そこでは時間の感覚が無くなっているとか、超えられている、という状態が生じているということです。
天台止観や摩訶止観では、座禅の目指すところは“三昧”の境地であることが書かれていますが、
“三昧”というのは、世俗のレベルの理解では「忘我の状態になる」とか「時の経つのを忘れて」といった意味に受け止められているところからも推測されるように、
時間感覚が否定乃至超えられている状態を表す仏教用意語です。
ここからも、“空”の状態は無時間的であるというふうに了解することができます。
当ブログはここ3回ほど、「見ることの優位」あるいは「観照」の問題から離れて哲学談義のようなことを書いてきましたが、
何が言いたいのかというと、古典和歌、特に勅撰和歌集の掉尾を飾る玉葉集や風雅集の“観照”の深さということです。
たとえば、上記二つの和歌集の看板スターである永福門院は、古典和歌の究極と思われるほどの質の高さに達しているのですが、
次の和歌が伝えている自然観照の質というものが、どういう性質のものであるかということを突き止めてみたいと、切に思っていることが初発の動機です。
花の上にしばし移ろふ夕づく日入るともなしに光消えにけり
一見したところでは自然の移ろいを詠んでいると受け止められますが、
その移ろいの現象の深みに「永遠」ということが忍ばされている、
「光消えにけり」というのが自然の摂理の永遠性として詠(なが)められているような、そういうニュアンスが表された歌です。
たとえて言えば、夕刻の日の光が徐々に薄らいで闇が寄せてくるある時間の幅が、
一枚の絵画の中に表現されているような、そういう描写力です。
国文学者の小西甚一はこの歌について以下のように書いています。
「それは物理的にゆっくり消えていったはずだが、その消え切る微細な瞬間を、話主は突然に感じ取ったのである。
この把握は、微妙であると共に、鋭い。」(『日本文芸史』)
続いてこの“鋭い”感じについて詳細な分析が記述されていきます。
「この鋭さは、禅のものである。禅、とくに臨済禅では、表現の鈍さを嫌う。
同じような内容を言っても、日常意識の破られかたが痛烈なのを高く評価する。
それは、禅の語録に見られる巨師たちの問答が、切るか切られるかの白刃を交えるような緊迫感に充ちていることからわかる。
日常意識が鋭く破られるとき、不思議境としての性質が強くなるのも当然であって、後期の玉葉風にそれが現われている。
光線の扱いかたとか、時間の流動相とか、色彩の豊かさといった類の思議境について玉葉風を分析することが従来の立場だったけれども、
それだけでは玉葉風の真価を問うわけにゆかないはずである。」(『日本文芸史』)
小西は、中世の歌詠みたちは、少なくとも新古今集以来はみな天台宗ないし禅宗の止観の訓練を積み重ねているとして、
その止観によって得てきた観照力で自然の景物・現象を見ている、といった趣旨のことを書き、玉葉集・風雅集の和歌の世界を高く評価しています。
止観の修行は“空”の境地や洞察眼を養っていくかと思いますが、
そのようにして達せられる“空”の境地や“眺め”のはたらきは、
自然の移ろいをいわば“無時間”的な出来事として、“永遠”の相で観照するという、
そういう眼力ないし精神的境位を詠み人たちに授けていったのではないかと私は考えています。