モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

日本的りべらりずむⅥ 京極派の和歌(3)伏見院と永福門院 自然観照の深まり

2021年12月06日 | 日本的りべらりずむ

伏見院第92代天皇 1265-1317)は京極為兼と並んで京極派和歌を牽引する両輪の一方の人でした。

和歌は春宮(=皇太子)時代から為兼の指導を受けています。

この当時は皇統が二つに分かれて、後に南北朝時代に入る前哨の状況を呈していましたが、そのために苦難に満ちた生涯を送ることを余儀なくされました。

しかし前向きの性格の人だったようで、身に受けた苦労が人格を陶冶し、その和歌も、生涯の後半期には人の心を包み込むような懐の深さと温かさを増していきます。

代表作を3首挙げておきます。 

よひ(宵)のまのむら雲づたひかげ見えて山のはめぐる秋の稲妻(玉葉)
伏見院の和歌といえばいの一番に挙げられる歌です。
稲妻という詞にインパクトがある上に季節が秋であるのが趣向を盛り立てています。
天空に繰り広げられる光と影のスペクタクルを力強く謳いあげて、王朝和歌の世界に新たな歌いぶりを加えました。
「稲妻」について岩佐は、「稲妻の歌として、この歌の右に出るものはまずあるまい」と評しています。

寺ふかきねざめの山は明けもせで雨よ(夜)のかねの声ぞしめれる(風雅)
鐘の音が湿っているように聴こえるという表現が、王朝和歌の中では新鮮です。
ある研究者は、「鐘の音」を「しめっている」と触覚ないし視覚で感じとる心理的な錯覚による感覚間の転移現象と捉え、これを「共感覚表現」と名付けています(稲田利徳)。
個人の家集では伏見院がぬきんでて多用しているとのことです。
またこの歌にただよう身体感覚には、自然空間の中に溶け込んでいこうとする性向が感じとれます。

緑そふ庭の梢の色きよみ夕暮すずし池のうへの雨(十一番歌合)
伏見院の歌はスケール感の豊かなものが多いですが、他方で庭の池などの日常の身辺にある景を繊細に詠った秀作もたくさんあります。
岩佐の解説から引用しておきます。
「歌枕などの虚構によらず、身辺のありふれた自然を深く見つめ、その観照を年々に積み重ねて天地の永遠の生の営みに迫ってゆくという、京極派の基本的態度の一つのはっきりしたあらわれ」(『あめつちの心 伏見院御歌評釈』より)

なお、天皇としての天命を自覚した歌もたくさん詠んでいるので、その中からオプションとして1首紹介しておきましょう。

たみ(民)やすくくに(国)おさまりてあめつちのうけやはらぐる心をぞしる




伏見院の皇后の永福門院(1271-1342)も為兼から和歌の手ほどきを受け、為兼・伏見院に並ぶ京極派のスーパースターと目される歌人です。

伏見院との間の実子には恵まれなかったのですが、院と苦労を共にして天皇一家を支え、院亡き後は出家しながらも一家の家長的存在として気丈な生涯を送られたようです。

和歌の詠みぶりは、玉葉集期にはいくぶんか未熟さを残しながらも対象観察に細やかな感覚の働きを忍ばせています。

後半生には風雅集編纂の中心人物となって上梓にまでやりとげ、詠いぶりも奥深い自然観照の境地を示すものとなっています。

3首あげておきます。

花の上にしばしうつろふ夕づく日入るともなしにかげ消えにけり(風雅)
代表作中の代表作です。
「花の上」という微細な自然の場所に夕日の光という天象の動きが見い出され、そして「かげ(光)消え」ていく、そのわずかな時間の中に自然界の摂理のようなものが観照されています。

末高き籬の花はかたぶきて露おちつづく雨の夕ぐれ(自歌合)
少し傾いて立っている「籬の花」は作者が普段の生活の中で日々目にしているような見なれた景物です。そこに雨が降り、やんだ後もしばらく露が落ちつづけているという、身辺の何気ない状景に繊細な感覚を働かせています。

ま萩散る庭の秋風身にしみて夕日のかげぞかべに消えゆく(風雅)
「かべに消えゆく」という表現が王朝和歌としては目新しい。近代的な写実感覚に近いものがあります。
岩佐の評も紹介しておきましょう。
「繊細な観照、幽遠な心を深く意識の底にしずめながら、まことに単純なやさしい言葉で、余裕をもってしかも的確に対象を表現して(いる)」(岩佐美代子著『永福門院 その生と歌』(笠間選書)より)



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