モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

アートレクチャーin稲村ガ崎の報告

2013年12月16日 | アート鑑賞いろは塾

すでにお知らせしていますように、先月30日と今月7日の2日間にわたって「アートレクチャー稲村ガ崎」が開催されましたが、そこで話したことの概略を、おくればせながら報告しておきます。

テーマは「そもそも〈美術〉とは、〈工芸〉とは何だったのか」というもので、これを初級編(初日)、中級・上級編(2日目)に分けて話しました。

初級編の内容は、大きくは以下の4項目を柱としました。
1.「工業」「美術」「工芸」への分離の歴史過程。
2.「工業」と「工芸」の違い、「美術」と「工芸」の違い
3、今、なぜ「工芸」か。
4.「ものの美」について

1.では西洋で17世紀後半から18世紀前半にかけて起こった産業革命と芸術分野におけるロマン主義の興隆、そしてその後の工業化社会への発展によって、マニュファクチュアな生産様式から「工業」と「美術」への分離が生じたこと。西洋では両者を調和させる方法としての「デザイン」の考え方が生まれたが、日本では「工業」でもなく「美術」でもなく、その他のジャンルとしての「工芸」のジャンルが作られたことを話しました。

2.では、「用途のあるなし」をもって「美術」と「工芸」を区別する時代は過去のものであるという認識を前提とした上での、3部門の違いについて述べましたが、ここでの眼目は、「工芸的価値」を「工業的価値」や「美術的価値」の尺度をもって判断すべきではないということでした(詳細は私のツイッターを読んでください)。   

3.では、工芸の世界はコンセプトだけでなく、素材や用途といった「自己の外」にある世界とのなんらかの関係性の上に成り立つものである。他方、アートが目指す「自己完結性」の理念に破綻が生じて、「自己の外側にある世界」との関係性を求めていこうとする傾向が出てきた。このことが「工芸」というジャンルへの関心を呼び起こした(私の実感では、これは1980年代から始まっている)、という話をしました。

4.では、3.の延長線上で、モダンアートを推進してきたコンセプチュアリズムに対峙するものとして、「コンセプト」なしでも表現は成立するという考え方を基本とする「ものの美」の考え方を提示しました。「ものの美」の主要な柱として、「素材の美」「わざの美」「主客の一致」という項目を挙げられます。

初級編のフリートークでは多岐にわたる話題で盛り上がりましたが、ここでは、参加者の一人から「次回は未来への展望を予測するような話題を期待したい」という要望があったことを報告しておきます。もとより私もそのつもりでいました。ジャンルとしての「美術」と「工芸」の境界線は溶解しているというのが現状であり、この認識を未来へと展開していくどのような道筋が考えられるか、ということが次の中級・上級編のテーマとなるわけです。

2回目の中級・上級編は、「未来への展望」ということで、そのモデルとして「江戸期のアート」を取り上げました。全体の構成としては以下の内容となりました。
1.「江戸期アート」の特質
2.「おもてなしアート」とは?――Fine Art的自己とEntertainmento的自己
3.「空漠」と「取り合わせ」――主客が融合するエリア
4.象徴としての茶の湯――「一座建立」(Entertainmento的自己の生成)

1.ここでは「江戸期アート」の特質として、①「アート」も「工芸」もなかった ②書画の成り立ちを「おもてなしアート」として特徴づけることができる、を挙げました。「おもてなし」という言葉を使うのは時流に便乗してのことではないということをお断りしておきます。私個人の中では3年ぐらい前からこの言葉を使っている(「かたちの会」のスローガンとして、「おもてなしは日本文化のエッセンス」というのを3年ぐらい前から掲げている)が、そのきっかけとなったのは、「おもてなし」の英訳を古い和英辞典で調べるとEntertainmentとあったのにでくわしたことです。

2.「おもてなしアート」とは何かについて、次の4つの観点から話しました。
  ①モダンアートの主体となるFine Art的自己に対して、Entertainment的自己を提示する。
  ②日本的美の本質は「用の美」であるが、その「用の美」空間に客を招じ入れる・客と亭主が「用の美」空間を共有するために書画が制作された。
  ③主客を取り込む装置として、書画における「余白」や「間」の表現が盛んになり、ここから「余白」「間」の設定が日本的絵画空間の論理的な基軸となって、「純日本的書画」が生産されていく。
  ④そもそも絵画(平面表現)における「空間」とは?というテーマで、余談も交えました。ここでは「見えるとは〈全体〉と〈部分〉が同時に見えることをいう」ということを話しました。

3.「空漠」とは染色家仁平幸春氏が提案した用語で、「余白」や「間」をより包括的に含む概念として提示しました。「取り合わせ」は、主客が出会う場での諸道具による「おもてなし」の演出方法といえるでしょうか。これはまたアート鑑賞法における、西洋的な「作品対鑑賞者」という1対1の閉じられた時空の中での鑑賞ではなく、「用の美」の開かれた時空の中での鑑賞法をも意味します。「空漠」「取り合わせ」ともに、「主客が融合するエリア」というふうに定義づけられます。

4.そして結局目指されるところは、茶の湯で言うところの「一座建立」の精神です。この観点からすれば、アート(美術、工芸を包含する)の目的は「一座建立」を目指すことであり、その中で「Entertainment的自己」がそのつど生成してくる、というようなビジョンで「創作」ということをイメージしていくことができるのではないか、というのがこの回の結論となりました。

上級編は、参加者によるフリートーク・ディスカッションで実践的に「一座建立」を目指すことを試みました。初回の試みとしてはうまくいったと思います。詳細は、改めて報告したいと思っています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『かたち』No.14発行――「井上... | トップ | 第10回「アート鑑賞いろは塾... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

アート鑑賞いろは塾」カテゴリの最新記事