後白河法皇の院政期には、現在国宝に指定されている絵巻物が何点か創作されています。
今回から5回にわたって、それらの絵巻物から抽出できる「日本的りべらる」の要素について、私見を書いていきたいと思います。
「鳥獣戯画絵巻」展(東京国立博物館)図録より
絵画作品についての評釈は主観的要素の混じるのを避けがたく、難しいところもあるのですが、
あまり気にせずに、私が個人的に感じ、思うところを、みずからに放言を許す気持ちで書いていきますので、そのつもりで気楽に読んでいただけると幸甚です。
まずは、今年東京国立博物館でも大々的な展覧会のあった〈鳥獣戯画絵巻〉を取り上げましょう。
この絵巻物が話題になるときには、「謎に包まれた」というような紹介をされるのが定番になってますが、
その謎の主だった事項を挙げますと、
①制作年 ②作者はだれか ③制作の目的 ④テーマは何か ⑤なぜ動物に託して遊び
の世界が描かれているのか
といったことがあります。
今年の2月に、名古屋大学大学院で平安期から中世期の日本絵画の研究をされている伊藤大輔教授の『鳥獣戯画を読む』という本が上梓されましたが、この絵巻物の研究の最新の成果が示されています。
それによりますと、動物の世界のこととして描かれていることを、院政時代の王権の願望・夢想と繋げて解釈しているようです。
〈鳥獣戯画絵巻〉とほぼ同時期に創作されたと見られる〈年中行事絵巻〉との相似性がよく話題に出されますが、
『鳥獣戯画を読む』でも、〈鳥獣戯画絵巻〉が〈年中行事絵巻〉と共通した趣向で創作されていることに注目しています。
そして「なぜ年中行事的なのか」と問いを立てて、次のように解読しています。
「それは年中行事というものが、人間の文化的営みが、強固な制度として結晶化したものであり、人間や文化という構造上の極性を最も先鋭に意識させる行為であったからではないだろうか。動物に年中行事風のふるまいをさせることで、動物と人間、自然と文化の両極の存在は、明白な形をとって画中で前面化される。つまり二つの隣接領域が相互侵犯して生れる両義性をしっかりと担保するために、年中行事的なふるまいが必要であったものと考えられる。」(p.106)
院政期の都に展開された人間の「遊び」の世界が、動物の姿で描かれたのは何故か?
私が思うには、もし人間の姿で描けば衣裳も描くことになり、衣裳の描写は当時の人間の身分を表わすことになります。
そうすると、遊びや戯の表象の中に身分制の表象が侵入してくることになって、ひょっとしたらそれは後白河法皇の意に反することになるかもしれないということが、一つの可能性として想定されます。
遊びや戯においては、身分の区別は否定されてしかるべきであるという考え方が、院政期には無くもなかったようです。
『鳥獣戯画を読む』には、後白河法皇やその後の後鳥羽上皇の考え方の中には、身分制を否定するベクトルの存在したことが言及されています。(p.102-103)
私が〈鳥獣戯画絵巻〉から受ける一番強い印象は、動物たちの動き、動態の描写です。
その素形はもちろん人間の身体の動態ですが、それを描くことに何か絵師たちの嬉々とした感情の躍動を感じるのです。
これが表現できるためには、身体の動態をしっかりと観察してデッサンを積み重ねていったことでしょう。
身体の動態に作画のモチベーションを見出していくということは、平安期の同時代の他の絵画表現にあったでしょうか。
中国(北宋・南宋時代)や朝鮮半島にその例を求めてみましたが、国内の美術関係の出版物の中には見い出すことができませんでした。
(ポーズではありません。ポーズの表現は、身体を描けば何らかの形で伴います。)
確認データが少ない段階で確定的なことは言えませんが、これは時代や社会にとっての“絵画の意味”にかかわる問題が含まれているような気もしてきました。
ここは気軽な気持ちで言っときたいと思うのですが、身体の動態表現への着目は、絵を描くことを職業とする人(つまり絵師)にとっての、造形美的な関心であるように思います。
つまり、社会や時代が絵画に求めている機能とは別に(あるいは、それから離れて)、絵師の個人的な関心として、人間の動態表現への興味が発生してきているように感じられるのです。
それは絵師における、個人的な表現者としての意識の芽生えと意義付けることができます。
そういった事態が、人類の絵画表現史の中で、12世紀の日本で起こっていたのです。
(中国では山水画や花鳥画など静態的でコスミックな表現の段階であり、西洋では、キリスト教聖典に記された教えや説話をモチーフとする、宗教的コスモスの世界を表現する段階にありました。)
今回から5回にわたって、それらの絵巻物から抽出できる「日本的りべらる」の要素について、私見を書いていきたいと思います。
「鳥獣戯画絵巻」展(東京国立博物館)図録より
絵画作品についての評釈は主観的要素の混じるのを避けがたく、難しいところもあるのですが、
あまり気にせずに、私が個人的に感じ、思うところを、みずからに放言を許す気持ちで書いていきますので、そのつもりで気楽に読んでいただけると幸甚です。
まずは、今年東京国立博物館でも大々的な展覧会のあった〈鳥獣戯画絵巻〉を取り上げましょう。
この絵巻物が話題になるときには、「謎に包まれた」というような紹介をされるのが定番になってますが、
その謎の主だった事項を挙げますと、
①制作年 ②作者はだれか ③制作の目的 ④テーマは何か ⑤なぜ動物に託して遊び
の世界が描かれているのか
といったことがあります。
今年の2月に、名古屋大学大学院で平安期から中世期の日本絵画の研究をされている伊藤大輔教授の『鳥獣戯画を読む』という本が上梓されましたが、この絵巻物の研究の最新の成果が示されています。
それによりますと、動物の世界のこととして描かれていることを、院政時代の王権の願望・夢想と繋げて解釈しているようです。
〈鳥獣戯画絵巻〉とほぼ同時期に創作されたと見られる〈年中行事絵巻〉との相似性がよく話題に出されますが、
『鳥獣戯画を読む』でも、〈鳥獣戯画絵巻〉が〈年中行事絵巻〉と共通した趣向で創作されていることに注目しています。
そして「なぜ年中行事的なのか」と問いを立てて、次のように解読しています。
「それは年中行事というものが、人間の文化的営みが、強固な制度として結晶化したものであり、人間や文化という構造上の極性を最も先鋭に意識させる行為であったからではないだろうか。動物に年中行事風のふるまいをさせることで、動物と人間、自然と文化の両極の存在は、明白な形をとって画中で前面化される。つまり二つの隣接領域が相互侵犯して生れる両義性をしっかりと担保するために、年中行事的なふるまいが必要であったものと考えられる。」(p.106)
院政期の都に展開された人間の「遊び」の世界が、動物の姿で描かれたのは何故か?
私が思うには、もし人間の姿で描けば衣裳も描くことになり、衣裳の描写は当時の人間の身分を表わすことになります。
そうすると、遊びや戯の表象の中に身分制の表象が侵入してくることになって、ひょっとしたらそれは後白河法皇の意に反することになるかもしれないということが、一つの可能性として想定されます。
遊びや戯においては、身分の区別は否定されてしかるべきであるという考え方が、院政期には無くもなかったようです。
『鳥獣戯画を読む』には、後白河法皇やその後の後鳥羽上皇の考え方の中には、身分制を否定するベクトルの存在したことが言及されています。(p.102-103)
私が〈鳥獣戯画絵巻〉から受ける一番強い印象は、動物たちの動き、動態の描写です。
その素形はもちろん人間の身体の動態ですが、それを描くことに何か絵師たちの嬉々とした感情の躍動を感じるのです。
これが表現できるためには、身体の動態をしっかりと観察してデッサンを積み重ねていったことでしょう。
身体の動態に作画のモチベーションを見出していくということは、平安期の同時代の他の絵画表現にあったでしょうか。
中国(北宋・南宋時代)や朝鮮半島にその例を求めてみましたが、国内の美術関係の出版物の中には見い出すことができませんでした。
(ポーズではありません。ポーズの表現は、身体を描けば何らかの形で伴います。)
確認データが少ない段階で確定的なことは言えませんが、これは時代や社会にとっての“絵画の意味”にかかわる問題が含まれているような気もしてきました。
ここは気軽な気持ちで言っときたいと思うのですが、身体の動態表現への着目は、絵を描くことを職業とする人(つまり絵師)にとっての、造形美的な関心であるように思います。
つまり、社会や時代が絵画に求めている機能とは別に(あるいは、それから離れて)、絵師の個人的な関心として、人間の動態表現への興味が発生してきているように感じられるのです。
それは絵師における、個人的な表現者としての意識の芽生えと意義付けることができます。
そういった事態が、人類の絵画表現史の中で、12世紀の日本で起こっていたのです。
(中国では山水画や花鳥画など静態的でコスミックな表現の段階であり、西洋では、キリスト教聖典に記された教えや説話をモチーフとする、宗教的コスモスの世界を表現する段階にありました。)