しばらくお休みしようと思っていたのですが、思いのほか早く新しい記事が書けてしまいました。
それで、今日も更新させていただきます。
私はブログを綴る時間は、極力早朝だけと願っています。
ですから、その時間帯に書き上げられたときが更新日、とさせていただきますね。
決して焦らず。
定期更新へのこだわりも捨て、不規則に気の向くまま、といたします。
手紙とメール。
どちらも人と人の交流上、通信手段として、とても大切なツールであることに変わりありません。
私はこの二つに頼り切っています。
手紙より、今はメールを使用するほうがはるかに多いですが。
親友のKさんが送って下さった最近の素敵な絵手紙です。
今では他に、もっと気楽に交信できる便利な手段がいろいろあるようですね。
日常の会話が家族や友人と画像入りで気楽にできるらしい。
その程度の理解しかできていない私です。
その時流にいつまでたっても乗ろうとしない頑固者と言うべきか。
自らに呆れているところもあります。
ガラケーで十分間に合うと思い、スマホに未だに取り換えようとしない私ですから、どうしようもありません。
私のガラケー
私の本質は、本当は根っからのアナログ人間なのでしょう。
妹のブログに啓発され始めたの今のブログ。
その様な切っ掛けにに恵まれなかったなら、ブログライフとも全く無縁だったに違いありません。
それでも良かったかな~、と昔の私を懐かしむ自分がいます。
パソコンを使用するようになった動機が、何とも情けない理由。
株式投資に興味を持ったからです。
ひと財産を失ってしまい、私の人生の最大の汚点。
それを猛省するたびに、パソコンのなかった時代がますます懐かしく良き時代に思えてきたりします。
でも、今更くよくよしてもどうしようもありませんから。
高い授業料だったけれど、何にも替え難い社会勉強ができたと思うようにしています。
事実その通りでしたから。
新聞を熟読するようになったのも、その時からです。
我が家には文箱がたくさんあります。
両親の遺品です。
最近メールでなく、久しぶりにまた便せんでお手紙を認めました。
一通は三月のお彼岸の前のこと。
コロナ騒動でお墓参りに行けなくなってしまいましたので、お布施を同封し、夫の菩提寺のご住職様宛に。
ご供養のお願いに替えさせてせていただきました。
何だかとても緊張したけれど、お返事も頂き、お務めを無事に果たせた満足感に浸れました。
母のお習字の作品
母は達筆で筆まめな人でした。
もう一通は同窓生のH君からいただいた長いお手紙へのお返事。
このブログでも時折登場いただいています。
市政で局長として大活躍された友人です。
昨年急逝された、やはり同窓生で私が親しくお付き合いをしていたN君のお墓参りの様子等を詳しく報告くださったものでした。
同窓生たちがご一緒の。
手紙を手にすると、メール以上にその嬉しさには格別なものがあります。
筆不精なのでお返事を書くことが多少ストレスにもなりますが、書き上げるとやはり嬉しい。
メールとは違った喜びに浸れます。
これも遺品の文箱です。
普段用の文箱です
パソコンのなかった時代は、もっと不便な暮らしで時間もゆっくり流れていたのでしょう。
友人には手紙に、小中高生時代を振り返り、「今のように豊かではなかったけれど、良き時代でしたね」と書きました。
それが私のいまの正直な思いかもしれません。
新型コロナウイルスのような恐ろしウイルスに襲われることもなく、のんびりした時が紡げ、もともと暢気な私にはぴったりだったのかもしれない。
暗いご時世となり、不安に怯えている今の自分が何だか情けなく、昔の良き時代を思わず懐かしんでしまいました。
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ご訪問と温かな応援、 本当にありがとうございました.