池上彰氏の慰安婦問題を扱った記事で、朝日新聞がトラブルを起こしたこと
紙上に連載してきた「新聞斜め読みの」のコラムの、池上氏執筆辞退にさえ発展しそうな雰囲気になったこと。
とても残念に思いながら、その後の行く方を、私は追っていました。
さらに福島原発事故における吉田調書をめぐる誤報が事実であった事を認めるに及んで、それを大々的に報じてきた朝日の立場がますます悪くなりましたね。
それにいたしましても、他の週刊誌の朝日新聞をやりこめる、毒々しい見出しには、うんざり。
同業種ですのにね~
そんな騒動にもかかわらず、池上氏のコラム掲載の辞退は避けられそうで、ほっとしていた時期もありました。
さすが大人の対応、と嬉しく思いましたが、最近の報道では、継続するかどうか返事を池上氏がまだ保留中と知り、とても残念に感じています。
私は、このコラムの愛読者でしたから。
読者の気持ちも汲んで、今後の事を決めてほしいもの、と願っています。
愛読者なんておこがましいことが言えるほど、熟読していたわけではありませんが。
メディア・リテラシーの授業を受けている様な値打ちを感じ、池上氏の分かりやすい文章にも惹かれていました。
各紙の記事が公平な見地から正しく報道されているか朝日、読売、毎日、産経、その他主要な新聞を取り上げて、評価する内容でした。
なるほど、なるほど、と学びながら、納得して読ませて頂いたものです。
今朝の空模様
それに致しましても、朝日の態度は、少々情けないですね~
先だって、載せるのを朝日が拒否した、池上氏のコラムの記事を読んで、この程度の朝日批判で、慌てうろたえ、掲載を拒むなんて。
いつもは、社会問題を他紙以上に痛烈に批判もしてきた朝日ではなかったでしょうか。
これでは、自分には甘く他人には厳しい、私が一番嫌いな態度です。
子供たちには、逆の立場をいつも心がけるように、年頃になった頃から、常に幾度も諭してきたことでした。
自分には厳しく、他人には優しい人になりなさい、と。
報道の見地とは、趣がかなり違うお話ですが・・・・・・
我が家では、夫が朝日の愛読者ですから、私が嫁いでから、手元に常に朝日と日経の二紙がありました。
2年前に、日経の購読は取り止めましたが。
朝日は、字も日経に比べると大きくなり読み易く、有難さこそ増せども、批判の気持ちが湧いた事など一度もありませんでした。
私は井の中の蛙的な専業主婦の暮らしながら、社会常識を身に付け、人並みに成長できたのは、ひとえに新聞のお蔭と言っていいでしょう。
感謝の思い以外、何もありませんでした。
ですから、数十年愛読してきた朝日新聞が非難罵倒される姿を見るのは耐え難い程の苦痛で、心が痛みました。
私が少々無知過ぎ、恥ずかしいことなのかもしれませんが、朝日が左派寄りなんていうことも、全く知りませんでした。
最近は多少そんな認識を持つようになりましたが。
我が家の旦那さまは、学生時代から少々左寄りで、その精神を貫抜き通してきた人ですから、この新聞の愛読者であることに改めて納得しています。
正に安保闘争の頃、大学の構内で、それを目の当たりにした年代ですものね~
私が朝日、日経の両紙を熟読するようになったのは、投資がきっかけです。
投資経験に於ける精神の徒労は計り知れないものがありました。
ひと財産失い、何一つ良いことはありませんでした。
私の人生最大の汚点と、今もいくら悔やんでも悔やみきれない思いでいます。
でも唯一良いことがありました。
投資がきっかけで、興味が多少でもわけば、日経と朝日新聞を手あたり次第、熟読するようになったからです。
日経の記事が大半理解できるようになれば教養人といってよい、といった文を目にし、何だかチョッとと得意になったのもこの頃でした。(笑)
経済記事のみならず、それ以上に、社会問題や教養を高めてくれる内容にも関心を抱き、一生懸命通読しました。
そのためには、かなりの時間を必要とします。
私は主婦業を何よりも優先する身ですから、いつも新聞は、ながら読み。
そのため、夫が読み終わると、片っ端から関心のある記事を切り取ります。
そして、流しの傍に置いて食器を洗いながら読んだり、バッグに収め、出かけたときは乗り物の中で読み耽りました。
その習慣は、今も根付いています。
その朝日の不祥事といってもいいような、今回の出来事。
私も、社員のように辛くなりました。
その後、朝日の記者の方々の真摯な反省文や、これまで培ってきた読者との長年の信頼関係を壊した悔しさが滲み出た記事も、いろいろ目にしてきました。
国際関係に大きな影を落とす結果となった、長年の朝日の慰安婦問題に於ける偏見の記事は、確かに重大な過失を犯したのかもしれません。
しかし、慰安婦という言葉は適切でなくても、女性の人権と尊厳を無視した行為が戦時中まかり通ったことは事実のようですね~
その本質に目を向けた記事もたくさんあったことでしょう。
ですから朝日が論じてきた内容を、すべてを否定するような出来事とも私は思えません。
謝罪すべきことは、弁解しないで謝り、朝日には今まで通りの毅然とした信念のもと、よい記事を書いてほしいと願います。
朝日で成長した私はもしかして左寄り。
そんなこと、私は絶対ありません。
私はいつも中立です。(笑)
私には信じ難い事ですが、もし各紙に顕著に見地の相違があるとするなら、とても残念なことです。
おそらく新聞を数紙も読めるのは、政治家や企業の幹部くらいではないでしょうか。
一般の多くの庶民は、二紙が限度では。
私たちが、正しい判断で社会問題を理解するためにも、新聞は多様な意見を載せ、中立の立場を常に堅持してもらいたいものです。
こんな主張は、少々的外れの勝手な言い分かもしれませんが。
世間知らずの私の願いゆえ、聞き流して下さいね。
ご覧下さいまして有難うございました。
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