今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

倫理的とは思えない理不尽なお話し 9月30日の日記

2013-11-08 11:50:14 | 病気

ここ数日、心の向くままに、近況を綴ってきた私ですが、今日はまた、過去の日記に戻りたいと思います。

未だ投稿していない過去記事は、残り数回分しかありませんが、後は、どんな内容だったかしら?

これまでも、冒頭文を読んだ限りでは、自分が何を書いたか思い出せないことがしばしばありました。

日記なんて、意外とそんなものなのかもしれませんね~

日々の出来事の印象や思いを、つれづれなるままに、ただ記述しているだけに過ぎないことが多いですから。。

 

さて、これからが過去の日記です。

9月30日が、何を指しているのか、書いた本人が良く分からなくなってしまいました。

書きはじめた日なのか、投稿日なのか。

4~5日かけて、少しずつ綴った日もありましたから。

まぁ~どちらでも、いいでしょう.(笑)

しかし、今回の記事は、余りに印象が強烈で、忘れることはありませんでした。

大変な長文ですから、ご多忙な方は、最初からスル―でお願いします。

 

 

三回目の夫の一時帰宅も終わり、いつも通り、病院まで見送ってきた私です。

放射線治療は、25回照射の3分の1にも至っていませんから、入院生活が、まだまだ当分続くことを覚悟しなければなりません。

当初、夫も私も、我が家からは遠方のこの病院で治療を受けること等、全く考えていませんでした。

 

紹介状宛のT大病院の医師にお目にかかり、内視鏡検査結果の報告を受けたうえで、近くの病院に転院する予定だったのです。

初診の際、手にした問診票の最後に、自由になんでも書きこめる欄がありました。

そこに、遠方による通院の困難さと懸念を夫は書き込み、口頭でもその旨、医師に伝えしました。

ところが、一切考慮はしてもらえず、或いは心に留める時間的余裕がおありでなかったのかもしれません。

それほど夫の患部の状態は緊急を要するものだったのでしょうか?

即、入院の手続きへとお話しが進んでしまったのです。

さらに検査入院の途中で、検査結果と今後の治療報告を受けた際も、25日連日の通院は無理であることを伝えました。

その折、「入院はできませんか」と一度だけお尋ねした私です。

それ以上お願いした覚えは全くありません。(後述の文章とこれがとても重要な関わりがあります。)

 

結局、夫が目の難病を患い不自由な身で暮らしいることが考慮され、検査入院後引き続き、放射線治療のための入院も認められました。

交通の便が良い二か所の病院のいずれかにに移る話しを夫としながら、一時帰宅途上にあった時のことです。

携帯に、このご連絡を頂いたは。

素直に喜び感謝した私達です。

この病院で元外科部長をされていたM医師の患者ということも、異例の扱いをして下さった一因のようでした。。

 

上記の内容は、後半で記す「重いお話し」に関連があります。

伏線、と思って下さいね。

 

T大の構内の建造物です

 

検査入院終了後、そのまま引き続き、治療のための入院がスタートしました。

その後、毎日患部に5~6分間放射線を照射する治療が続いています。

果たして順調にその効果が現れているのでしょうか。

旦那さまは、いつもと変わりない様子で、副作用は全く生じていないようです。

 

夫から言いだしたことですが、今回の一時帰宅は、初めて一人で戻ってきたYさん。

早速、体調の具合を聞いいたところ、、「食欲がなくなってきた」と言いました。

ついに副作用、と私は一瞬身構え心配になりましたが、我が家では私が出す手料理を、すべてペロッとたいらげ、その不安は瞬く間に解消。

とても安心しました。

 

妹夫婦が先週の中頃お見舞いに行ってくれましたが、穏やかで元気そうな印象を、夫から受けたようです。

実は、妹達がお見舞してくれていた頃、私は肝臓がん治療の担当医に、夫の近況を知らせるべくお会いしていました。

そこで、実に複雑なお話を聞かされ、何とも後味の悪いことに・・・・・・

 

その先生が、T大の卒業生であることも、今回のお話しで初めて私は知りました。

年頃は、娘達と変わらない雰囲気の先生でいらっしゃいます。

もしや同じ時代に、学びの舎を共にしておられたのかもしれません。

その大学の医学生は、天才、といってもいい一握りの人種の方達。

狂気と天才は紙一重なんていいますものね~

私には、近寄りがたい多少怖れをなす領域の人達に見えます。

 

しかし、担当医の先生は、なかなかハンサムで、笑顔の実にさわやかな方。

T大の医学部生だったようには、全く見えません。

お話はいつも前向きで明るく、お会いするたびに元気を授けて下さいました。

まさに理想の医師像、といった印象で、私は受け止め、年甲斐もなく、憧れの気持ちさえ抱いていました。

 

 

むろん、大腸がんの件では、この先生を立てることに気を配った私です。

最寄りの病院で診察を受け、内視鏡検査を勧められた時も、まず最初にこの先生にお電話をかけ、ご相談に乗って頂きました。

先生の病院は、二週間先まで予約の申し込みが受け付けられない状況とかで、個人の内視鏡専門のクリニックを勧めて下さいました。

 

そのクリニックで大腸がんと診断され、紹介状を手渡されたこと。

T大病院のW医師宛であることも伝えました。

宛先の医師について、「とても権威ある先生で、その人に会えるのは幸運な事です」とまでおっしゃいました。

更に、「夜でもお会いしたい、と強くお願いし、できるだけ早く診察を受けるように」とも。

 

私なりにお世話になっている先生を精一杯立てたうえでの、その後の行動を取ったつもりです。

むろん、担当医の病院での治療を進めて下されば、そのようにするつもりだったのですが。

そのようなお話は、一切ありませんでした。

 

このような経緯を辿り、肝臓の担当医にお会いした私です。

夫の病状を詳しく説明させていただくつもりでしたが、すでにT大病院から、連絡が入っていて、詳しい内容を、ご存じでびっくりしました。

その連絡後、カルテもすべて、送り届けて下さったようです。

私はゆえに、それ以上お伝えすることもなく、お礼のみを申し上げました。

院長先生の患者という理由で、特別扱いの入院が許可され、大変助かったことを。

 

                            正門に通じる銀杏並木 両側の建物が法学部、文学部のようです。

この時からでしょうか。

先生の雰囲気が急に変わりました。

 

まず驚いたのは、「院長にはまだこの話は報告していません。院長にお礼をしたいのなら、私を通して下さい」との言葉。

私達は、術中に説明を受けた以外、主治医にお目にかかったことは一度もありません。

もう一度、ありました。

退院時に、お礼のご挨拶をさせて頂くために。

これでは、金品の授受を匂わされているのも同然の気がしました。

そして、次に夫の長期入院を厳しく批判されたのです。

 

患者が長期入院をすると、病院は数百万の損失を被る、と。

長期入院の場合は、患者は、ホテル住まい或いは賃貸のマンション等に住んで、通院する人が多い。

或いは子供たちが全面的にサポートし送り迎えもするものですよ、と。

 

私は、こんな言葉が、理想の医師像と敬愛してやまなかった先生の口から吐かれていることに、驚き、暗然としました。

家庭には、それぞれの事情があります。

むろん、入院は私達が強く望んだことではない、といいましたが、先生の耳には、ほとんど届いていない雰囲気でした。

そして、患者は医師によい治療をしてもらうように気を遣うことが一番大切、とまで言われ、さらに大きなショックを受けた私です。

夫が、この病院に戻ると、T大病院は困るのですよ、とまで。

何がいけないの?

私の心のうちでは、?のマークでいっぱい。

更に、検査まで受けて転院を希望するのは医師に大変失礼な行為だとまで言われました。

 

他にもいろいろ聞かされましたが、私はまるで白い巨頭の世界に紛れ込んだかのよう。

頭が混乱し、先生の一言一言をショックを受けながら傾聴するのが精いっぱい。

そんな雰囲気を察しられたのでしょう。

身を乗り出すようにして、

「私が言わんとすることが分かりますか?」

と、お話しの途中、幾度もおっしゃいました。

何だか、とても、とても奥の深いお話しのようにも聴こえました。。

 

私には、納得できない理解不能なお話しばかりでしたが、「分かりますか?」の三度目くらいの質問に

「理解できるような気も多少してきました。医学界は、厳しい世界なのですね~」

と、わけのわからない感慨を述べた私です。

すると先生が、

「その通りです」

とおっしゃいました。

 

 T大の正門

 

T病院と、N病院の間に何か確執でもあるのでしょうか。

或いは、主治医の院長先生、担当医とT大病院との間に何かが存在するのでしょうか。

夫がT大病院で治療をすることが、余程お気に召さない印象を、私は受けました。

夫に私がその報告をすると、私とは違った感想を、次のように述べました。

「定期的に、検査と診察をしていたにもかかわらず、大腸がんを見落とした落ち度を主治医に厳しくたしなめられ、お前に当たっただけではないか」と。

 

中には患者さんが、見落としを指摘して、苦情を訴えても不思議ではないような事。

私はむろん、そんなことを言ってませんし、触れてもいません。

内心では、医師から一言お詫びがあってもいいのでは、といった気持が無きにしも非ずでしたが。

 

今まで良好な関係が築かれていて、この先生のお陰で、明るい希望を常に抱き、夫の闘病生活に臨めると、心から感謝していました。

その信頼が、一気に失望と不信感に変わり、この落差をいかように埋めれば良いのか、戸惑うばかりです。

いまだにそのショックから完全には、私は立ち直れていません。

 

最近、旦那さまに数度、次のように話しました。

「遠くて通うのが大変だけれど、肝臓の治療もT大病院にお願いし、病院を一本化しない?

私、~先生への信頼が地に落ちてしまって、いまだにそのショックから立ち直れないでいるの。

この度のことで、先生の気分を害してしまったから、今後、どのような扱いをあなたがされるか心配でならないわ。

患者の対応次第で、治療が変わるかのような口ぶりだったのですもの。」

 

私はその時のことを思い出すたびに、未だに少々落ち込みます。

私の大切な旦那さまが、訳の分からない病院の闇の世界に巻き込まれてしまったかのようで、何ともやりきれない気持ちでいます。

昨夜の電話での、妹夢路の感想は、「病院選びは、本当に難しいわね~」でした。

 

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