梅雨を迎え、重たい鉛色の空の日が多いこの頃。
私の腰痛も、ひどい時に比べると随分回復したものの、空の色に似て、まだまだ重苦しい雰囲気です。
そんなお天気と私の体調にもかかわらず、我が家の旦那さま、最近、少し元気を取り戻してきました。
その喜びを、私は日々噛みしめながら過ごしています。
旦那さまに、そのような私の印象を伝えると、
「いつもと同じだ」
と、愛想のない返事が返ってくるだけなのですけれどね。
私の目には、明らかに状態が、今までとは変わって映ります。
それを最初に感じたのは、前々回の入院時でした。
その入院期間中の最初の頃、私は掛り付け医の紹介状をもって、この病院の救急総合診療科の診察を受けました。
そして、背骨の圧迫骨折との診断を下され、いまだに痛みは続き、そのショックから完全に立ち直れないでいます。
しかし、一方では、夫の幾分元気になった様子を見て、そんな私の心がどんなに慰められているか分かりません
意外な診断を下されてからは、安静が大切とのことでしたから、しばらく病院への見舞は娘達に任せ、私は出かける回数を極力減らしました。
けれど、変わった様子はないか心配で、むろん毎日、夫に電話をかけます。
するとその時、応える旦那さまの声が、微妙に穏やかに感じられた私です。
声で、その人の体調が分かる、とよく言いますけれど、確かに元気な人の声には張りがありますよね。
持って生まれた声質というものがあるでしょうから、一概にそのように決めつけることはできないかもしれませんが。
私自身も数度、それを自分の声で実感したことがありました。
30代、40代、50代と一度ならず、過労で倒れ、救急車で病院に搬送され、そのまま入院したことがあります。
その時、しばらくの期間、弱弱しい声しか出せませんでした。
酷く衰弱していたときは、消え入りそうなか細い声を出すのがやっと。
恐らく皆様も似たような経験がおありではないでしょうか。
元気な娘たちでさえも、声の微妙な変化を、私は日頃よく感じ取っています。
娘の声に張りがある時は、私は安心し、仕事も子育ても順調に運んでいるに違いない、と勝手に思い込み、母親としての安堵感に浸ります。
一方では、心なしか声に張りがなく、沈んだトーンに感じられる日も時たまですがあります。
そんな時は、私は内心、チョッピリ不安に。
むろん、何も尋ねたりはしませんけれど、疲れがたまっているのかしら?
その他のことにも思いを馳せ、心配が一瞬心をよぎります。
仕事、家事、育児と多忙な暮らしを送る娘たちゆえ、長話をすることはほとんどありません。
けれど、短い会話でも、声のトーンで暮らしぶりが何となく分かります。
先日、次女から電話があった時は、声に張りがとてもあり、明るい口調でした。
広報で働く娘は、その頃、会社の大きなイベントに携わっていましたので、思わず言いました。
「イベントが無事に終わったんじゃないの?声がとても明るいもの」
と。
さて、旦那さまのその後の声は?
入院時に感じた印象は、退院後も私の心の中で継続中です。
声が、ほんのチョッピリですが以前より穏やかになりました。
声のみならず、数か月できなかった散歩にも出かけられるようになりました。
毎日、二人で近所を30分くらい、歩いています。
歩行も、以前より歩幅が大きく、幾分ですが力強くなりました。
食欲も、私よりあります。
これは病を患って以来、ほとんど衰え知らずで、私の不安な心の、一番の拠り所です。
「以前より、元気になったわね~」と私が言うと、今も返ってくる言葉は同じ。
「相変わらずで、変化はないよ」と。
花瓶は夫のオランダ出張時のお土産で、私のお気に入りの小物です。
奥は長女の結婚式の引き出物。
思い出の品を見ると、元気なころの旦那さまの姿が思い浮かんできます。
そんな時、私は勝手に思います。
Yさんは、私に甘えているだけなのだから、「そうなの~」と言って、心配顔をしてあげればいいのだわ、と。
でも元気になったことは、間違いありません。
私は夫の陰で、お医者様に、夫の窮状を切々と訴えていましたから、いろいろと治療を工夫してくださっているようです。
有難いことと感謝しながら、夫の幾分柔らかくなった語り口と表情を見て、私は喜びを噛みしめています。
いつまでも、今の状態が続きますように。
願わくばもっと元気になりますように。
ご覧下さいまして有難うございました。
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花のように泉のように