昨日は、妹と、命日を迎えた母のお墓参りに。
両親が亡くなって、十五年が経過しました。
今も、柔らかな美しいベールに包まれて、私の心の中で息づいている父母の記憶。
とてもブログでは、その思いを語り尽くせませんが・・・
その思い出に、両親の介護生活の幾年月が、厳然と織り込まれてしまった過去の現実を忘れることは到底できません。
まだ介護保険もなかった時代。訪問看護婦さんのお世話になり、我が家の和室が、医療器具であふれ、病室のように。
夜、熟睡できない生活が何年も続きました。
妹の日々の協力があったればこそ、入退院も繰り返しながら、何とか自宅介護で乗り切れたことでした。
けれど、果たして十分な世話ができたかと言えば、後悔することも多く、悲しい思いに浸る事もしばしばです。
娘達は、まだ学生の身で、親としては、そちらの生活にも目を向けざるおえない時期。
母にすべてを捧げるには、私の生活が、あまりにまだ多忙でした。。
でも、ほとんど家から一歩も出られない生活ではありましたから、たまに外出すると、太陽の光線の眩しさに頭がくらくらし、
軽い立ちくらみに見舞われ、自分の疲労の濃さに初めて気づくありさまでした。
帯状疱疹、メニエール、その他、ストレスから発症する病をいろいろ経験しましたが、気が大変張っていたせいでしょう。
寝込むこともなく、いずれも軽い症状で治まりました。
そのころ、周りの皆さんから、大変でしょう、と声をかけられ、同情の眼差しで見られましたが、当人の私は、娘として当然の
務めと思い、、苦労と感じたことは、ほとんどありませんでした。そのように感じることが怖かったのかもしれません。
苦労と感じた途端、その思いは二倍にも三倍にもなって、自分に跳ね返ってくる、と分かっていたからです。
どんな状況にあっても、生活に潤いを求め、明るく暮らそうとの気慨でおりました。
まだ若かったから持てた姿勢だと思います。
同居する頃には、すでに痴呆が進み、すっかり可愛い所在のない母になっていましたが。
妹曰く、「お母さまは、まるでお姉さまの影のよう。」 と。
一歩も私から離れず、私を慕い続けて、子供がえりしてしまった母だったからです。
しかし寝たきりになるまでは、痴呆が進んでも、決して姿勢を崩さず、凛とした品位も失わない母は、孫達の憧れ的存在でした。。
親子とは言え、私には同じ振る舞いは到底できそうにありません。
今不安なことは、私がもし同じ状況になった時、母と常に比べられること。(笑)
父は、その点、威厳のある、気難しい雰囲気の人でした。定年後は、晴耕雨読の生活を実行し、まさに先日紹介したヘルマンヘッセの
著書庭の愉しみの写真にそっくり。
その威厳は、今の父親には失われて久しいもの。私達娘は、丁寧な敬語でしか語りかけられない存在でした、
寝たきりの二人の介護に明け暮れた数年後、その甲斐もむなしく、最後は病院の医療ミス事故に近い理由で、同じ年に呆気なく亡くなって
しまった両親。
裁判沙汰にもできる口惜しさはありましたが、静かに見送ることが、私達の願いでしたから、そのようにいたしました。
そのころと違い、今は介護の支援も充実し、多少は楽にその時期を迎えられるのかもしれません。でも大変な苦労であることには変わりな
いでしょう、
私の経験から言えることは、苦労の渦中にある時こそ、前向きに上を向いて過ごす心構えが本当に大切であるということ。
どんな苦労もその人の心構え一つで重くも軽くもなる。正に人生とは、気持ち次第ですね~
私が、今までずっと抱きつづけ、今後も忘れたくない人生訓です。
この記述は、やっと新バージョンで行うことができました。
一重にブログ大先輩の妹のお陰です。
昨日両親の菩提寺の住職さんにお目にかかった時、「いつも仲がいいね~」と。
両親の介護の最中には、お互いにストレスがたまり、火花を散らしたこともありましたが(笑)、まれにみる仲良し姉妹かもしれません。
最近は、ブログで借りがいっぱいできてしまった姉。
恩返し?姉妹ですもの、まぁ~そんな気遣いはしなくていいか・・・
追記
でも車でも、大変な迷惑をかけたみたいだから、そうもいきませんね~(笑)
今、妹のブログのコメントを拝見して、認識を新たにしました。本当にごめんなさい!
それにも懲りず、昨日は、ご指導いただき、本当にありがとう。
今後とも宜しくお願いネ。
両親の小さな思い出アルバム
庭仕事の時、肌身離さず、父が身に着けていた麦わら帽子。 母のお習字の作品
ご訪問有難うございました。
両親への思いが溢れ、今日もまた書いてしまいました
お休みができません。(笑)